諏訪のランドマークは、「諏訪大社」。
諏訪神社が全国に1万社以上あるが、「諏訪大社」は、その本社。
多くの観光客が諏訪大社を訪れる。
「御柱」(おんばしら)を背景に記念撮影。「上社」。
「諏訪大社」は、諏訪湖をはさんで、
南側に「上社」(かみしゃ)、
北側に「下社」(しもしゃ)がある。
「上社」は、諏訪市に「本宮」(ほんみや)、
茅野市に「前宮」(まえみや)がある。
「上社」の「本宮」。
「下社」は、下諏訪町に「秋宮」(あきみや)と、
「春宮」(はるみや)がある。
「下社」の「秋宮」の神楽殿。
右に御柱が見える。左にも、杉の間に御柱が、薄く見える。
上社は男の神、「建御名方命」(たてみなかたのみこと)を、
下社は女の神、「八坂刀売命」(やさかとめのみこと)を、祀っている。
男神を「たてみなかた」、女神を「やさか姫」と諏訪の人は呼んでいる。
諏訪市博物館のカタログ。
男神と女神の名前が書いてある。
冬には、諏訪湖に「御神渡」(おみわたり)ができる。
氷が膨張してできた、盛り上がり。2008年。
男神の「たてみなかた」が、女神の「やさか姫」に逢瀬に行く道、
という神話から、「御神渡」(おみわたり)と呼んでいる。
「御神渡」は男神の諏訪から、女神の下諏訪に、
向かっているように見える。
外国人に、男神と女神の逢瀬の話をしたところ、
「ロマンティック」
と、興味深く聞いていた。
「御神渡」ができると、その高さや方角で、
作物のできばえや気候を占う「神事」が、
諏訪の八剱(やつりん)神社によって行われる。
「御神渡」は、マイナス10℃くらいの寒さが、
1週間ほど続くと、全面結氷してできるが、
最近は小さかったり、見られないことがある。
「御神渡」ができても、雪が降れば、埋もれてしまう。
諏訪の観光案内所に御神渡の状況を聞いてから、出かけた。
「諏訪大社」の、いくつかあるお祭りの中で、
「御柱祭」(おんばしらさい)が、知られている。
「御柱祭」の絵巻。諏訪市博物館のカタログから。
「御柱」を曳く人、縄やてこを持つ人、そして、
おんべや扇子、笹を持って応援している人と、
分担し、結束してお祭りをしている。
「御柱祭」は、平安時代の初期(8世紀)に最初の記録があって、
起源は、さらにさかのぼるというから、長い歴史のあるお祭りだ。
7年目ごとの寅(とら)年と申(さる)年に、
もみの大木を山から切り出して、人力だけで、
山から里へ20キロメートルほど曳き、
最後に、16本の「御柱」を神社の4隅に建てる。
諏訪湖を囲むようにある諏訪地方の6市町村の、
21万人が参加する大祭である。
山から里へ曳く「山出し」には、
「御柱」を、坂から落とす「木落し」があり、
川で「御柱」を清める「川越し」(上社)がある。
下社の「木落し」。
諏訪市博物館のカタログから。
「御柱」に乗る数人の氏子は、選ばれた人。
特に先端は、名誉中の名誉である。
御柱に巻き込まれることもあり、
命をかけることになる。
「男見るならば7年に1度、諏訪の木落し、坂落し」と、言われ、
諏訪の男ならば、一生に一度は乗ってみたい「木落し」である。
上から見た「木落し坂」。
8本の「御柱」を、ここから落とす。
斜度は35度、長さは100メートルある。
土煙を上げ、ドドドッーと地響きを立てて、
「御柱」は落ちる。落ちた跡は、黒い筋になっている。
「木落し坂」をのぞきこんで、
「この急坂を、木にまたがって下りるなんて!……」
と、肝を冷やしていたのが聞こえた。
木落しが終わった「御柱」は、里に向かう。
御柱の直径は1メートル、長さ17メートル、
重さ10トンを、人力だけで曳く。
御柱を清める「川越し」。上社だけ。
右の白旗が上がり、「川越し」の準備と安全が確認できて、
左右の綱を曳き始めると、対岸にある「御柱」は川に入った。
雪融け水の温度は10℃で、十分冷たい。
左奥の川の中にいる白いヘルメットの数人はレスキュー隊。
御柱の下敷きになったり、川に流される氏子を救出する。
「川越し」は、「木落し」とともに難所だ。
どちらも、救急車が待機している。
御柱が通る「御柱街道」では、道行く人に「振る舞い酒」がある。
諏訪は酒どころ。
どの銘柄も、うまかったな。「ウィ~」。
酒がタダなんて、こんなお祭り、見たことがない。
山から里へ曳く「山出し」のあとは、
里から神社へ曳く「里曳き」になる。そして、最後は、
神社の4隅に御柱を建てる、「建御柱」(たておんばしら)になる。
「奥山のモミの大木が、里へくだって、神になる」ときである。
「建御柱」
「御柱」のてっぺんに乗る「天端乗り」は、名誉なことである。
垂直に建つまで乗っている。
気分が高まるとともに、緊張するときである。
氏子が、「車地」(しゃち)を巻き上げると、
「御柱」は、だんだんと建っていく。
「建御柱」は、「御柱祭」の最後の難関だ。
そして、垂直になって、感激のときがきた。
「天端乗り」は、「御柱祭」をやり遂げたことを、
下の氏子とともに歓び、どよめきが上げる。
「御柱祭」は、回をおうごとに盛んになっている。
起源が平安時代の初期より前にさかのぼる「御柱祭」は、
諏訪の伝統であり、文化である。
諏訪の人たちは、誇りを持っている。
御柱祭には、血は湧き、肉は踊って、
民俗の大催事を結束して継承してきた。
男神「ミナカタ」と女神「ヤサカ姫」を主人公にした、
神話のオペラ、「御柱」がある。
2004年の公演を観た(岡谷)。
諏訪にはロマンがあり、
文化の創造がある。
「御柱」の観光客は増えて、2010年の人出は180万人で、過去最高である。
観光バスで来て、観覧席から上社の木落しを観る。
諏訪の人は、「御柱祭」を観る場所を知っているが、
観光客は、どこへ行ったら、山出しや里曳きを、
観ることができるのか、わからないから、
観覧席はいいサービスである。
当日券を手に入れることができて、
遠方からのお客さんをお連れしたが、
「こんなに勇壮なお祭り、見たことがない」
と、興奮していた。
伝統ある「御柱祭」だが、オリジナリティでないものがある。
それは、ラッパと他県の民謡の踊りである。
ラッパは威勢がいいし、ショウとして盛り上げるには効果的だ。
だが昔は、ラッパはなかった。たとえば、ホラ貝や角笛、有名な太鼓に、
だんだんと置き換えていくのは、どうだろう?
ラッパが少なく、「木遣り」(きやり)が多いのは「下社」。
その分、「下社」は「上社」よりも、素朴で勇壮だった。
しかし、「下社」には、他県の民謡をスピーカーで流して踊っていたが、
新たにオリジナリティを盛り込んだ踊りだろうか?
マネに見えたが。基本は、絵巻にある。
「御柱祭」は諏訪の伝統であり、独自の文化である。
諏訪の誇りであり、日本の誇りである。
独自の文化は、世界に誇れる。
諏訪の人たちの「アイデンティティ」、
それは「御柱祭」だ。
血は沸き、肉が踊り、そして、結束する。
アイデンティティを持った人たちは、誇り高くみえる。
諏訪神社が全国に1万社以上あるが、「諏訪大社」は、その本社。
多くの観光客が諏訪大社を訪れる。
「御柱」(おんばしら)を背景に記念撮影。「上社」。
「諏訪大社」は、諏訪湖をはさんで、
南側に「上社」(かみしゃ)、
北側に「下社」(しもしゃ)がある。
「上社」は、諏訪市に「本宮」(ほんみや)、
茅野市に「前宮」(まえみや)がある。
「上社」の「本宮」。
「下社」は、下諏訪町に「秋宮」(あきみや)と、
「春宮」(はるみや)がある。
「下社」の「秋宮」の神楽殿。
右に御柱が見える。左にも、杉の間に御柱が、薄く見える。
上社は男の神、「建御名方命」(たてみなかたのみこと)を、
下社は女の神、「八坂刀売命」(やさかとめのみこと)を、祀っている。
男神を「たてみなかた」、女神を「やさか姫」と諏訪の人は呼んでいる。
諏訪市博物館のカタログ。
男神と女神の名前が書いてある。
冬には、諏訪湖に「御神渡」(おみわたり)ができる。
氷が膨張してできた、盛り上がり。2008年。
男神の「たてみなかた」が、女神の「やさか姫」に逢瀬に行く道、
という神話から、「御神渡」(おみわたり)と呼んでいる。
「御神渡」は男神の諏訪から、女神の下諏訪に、
向かっているように見える。
外国人に、男神と女神の逢瀬の話をしたところ、
「ロマンティック」
と、興味深く聞いていた。
「御神渡」ができると、その高さや方角で、
作物のできばえや気候を占う「神事」が、
諏訪の八剱(やつりん)神社によって行われる。
「御神渡」は、マイナス10℃くらいの寒さが、
1週間ほど続くと、全面結氷してできるが、
最近は小さかったり、見られないことがある。
「御神渡」ができても、雪が降れば、埋もれてしまう。
諏訪の観光案内所に御神渡の状況を聞いてから、出かけた。
「諏訪大社」の、いくつかあるお祭りの中で、
「御柱祭」(おんばしらさい)が、知られている。
「御柱祭」の絵巻。諏訪市博物館のカタログから。
「御柱」を曳く人、縄やてこを持つ人、そして、
おんべや扇子、笹を持って応援している人と、
分担し、結束してお祭りをしている。
「御柱祭」は、平安時代の初期(8世紀)に最初の記録があって、
起源は、さらにさかのぼるというから、長い歴史のあるお祭りだ。
7年目ごとの寅(とら)年と申(さる)年に、
もみの大木を山から切り出して、人力だけで、
山から里へ20キロメートルほど曳き、
最後に、16本の「御柱」を神社の4隅に建てる。
諏訪湖を囲むようにある諏訪地方の6市町村の、
21万人が参加する大祭である。
山から里へ曳く「山出し」には、
「御柱」を、坂から落とす「木落し」があり、
川で「御柱」を清める「川越し」(上社)がある。
下社の「木落し」。
諏訪市博物館のカタログから。
「御柱」に乗る数人の氏子は、選ばれた人。
特に先端は、名誉中の名誉である。
御柱に巻き込まれることもあり、
命をかけることになる。
「男見るならば7年に1度、諏訪の木落し、坂落し」と、言われ、
諏訪の男ならば、一生に一度は乗ってみたい「木落し」である。
上から見た「木落し坂」。
8本の「御柱」を、ここから落とす。
斜度は35度、長さは100メートルある。
土煙を上げ、ドドドッーと地響きを立てて、
「御柱」は落ちる。落ちた跡は、黒い筋になっている。
「木落し坂」をのぞきこんで、
「この急坂を、木にまたがって下りるなんて!……」
と、肝を冷やしていたのが聞こえた。
木落しが終わった「御柱」は、里に向かう。
御柱の直径は1メートル、長さ17メートル、
重さ10トンを、人力だけで曳く。
御柱を清める「川越し」。上社だけ。
右の白旗が上がり、「川越し」の準備と安全が確認できて、
左右の綱を曳き始めると、対岸にある「御柱」は川に入った。
雪融け水の温度は10℃で、十分冷たい。
左奥の川の中にいる白いヘルメットの数人はレスキュー隊。
御柱の下敷きになったり、川に流される氏子を救出する。
「川越し」は、「木落し」とともに難所だ。
どちらも、救急車が待機している。
御柱が通る「御柱街道」では、道行く人に「振る舞い酒」がある。
諏訪は酒どころ。
どの銘柄も、うまかったな。「ウィ~」。
酒がタダなんて、こんなお祭り、見たことがない。
山から里へ曳く「山出し」のあとは、
里から神社へ曳く「里曳き」になる。そして、最後は、
神社の4隅に御柱を建てる、「建御柱」(たておんばしら)になる。
「奥山のモミの大木が、里へくだって、神になる」ときである。
「建御柱」
「御柱」のてっぺんに乗る「天端乗り」は、名誉なことである。
垂直に建つまで乗っている。
気分が高まるとともに、緊張するときである。
氏子が、「車地」(しゃち)を巻き上げると、
「御柱」は、だんだんと建っていく。
「建御柱」は、「御柱祭」の最後の難関だ。
そして、垂直になって、感激のときがきた。
「天端乗り」は、「御柱祭」をやり遂げたことを、
下の氏子とともに歓び、どよめきが上げる。
「御柱祭」は、回をおうごとに盛んになっている。
起源が平安時代の初期より前にさかのぼる「御柱祭」は、
諏訪の伝統であり、文化である。
諏訪の人たちは、誇りを持っている。
御柱祭には、血は湧き、肉は踊って、
民俗の大催事を結束して継承してきた。
男神「ミナカタ」と女神「ヤサカ姫」を主人公にした、
神話のオペラ、「御柱」がある。
2004年の公演を観た(岡谷)。
諏訪にはロマンがあり、
文化の創造がある。
「御柱」の観光客は増えて、2010年の人出は180万人で、過去最高である。
観光バスで来て、観覧席から上社の木落しを観る。
諏訪の人は、「御柱祭」を観る場所を知っているが、
観光客は、どこへ行ったら、山出しや里曳きを、
観ることができるのか、わからないから、
観覧席はいいサービスである。
当日券を手に入れることができて、
遠方からのお客さんをお連れしたが、
「こんなに勇壮なお祭り、見たことがない」
と、興奮していた。
伝統ある「御柱祭」だが、オリジナリティでないものがある。
それは、ラッパと他県の民謡の踊りである。
ラッパは威勢がいいし、ショウとして盛り上げるには効果的だ。
だが昔は、ラッパはなかった。たとえば、ホラ貝や角笛、有名な太鼓に、
だんだんと置き換えていくのは、どうだろう?
ラッパが少なく、「木遣り」(きやり)が多いのは「下社」。
その分、「下社」は「上社」よりも、素朴で勇壮だった。
しかし、「下社」には、他県の民謡をスピーカーで流して踊っていたが、
新たにオリジナリティを盛り込んだ踊りだろうか?
マネに見えたが。基本は、絵巻にある。
「御柱祭」は諏訪の伝統であり、独自の文化である。
諏訪の誇りであり、日本の誇りである。
独自の文化は、世界に誇れる。
諏訪の人たちの「アイデンティティ」、
それは「御柱祭」だ。
血は沸き、肉が踊り、そして、結束する。
アイデンティティを持った人たちは、誇り高くみえる。