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諏訪のランドマークは諏訪大社

2010-10-27 00:10:27 | Weblog
諏訪のランドマークは、「諏訪大社」。
諏訪神社が全国に1万社以上あるが、「諏訪大社」は、その本社。

多くの観光客が諏訪大社を訪れる。
御柱」(おんばしら)を背景に記念撮影。「上社」。

「諏訪大社」は、諏訪湖をはさんで、
南側に「上社」(かみしゃ)、
北側に「下社」(しもしゃ)がある。

「上社」は、諏訪市に「本宮」(ほんみや)、
茅野市に「前宮」(まえみや)がある。

「上社」の「本宮」。

「下社」は、下諏訪町に「秋宮」(あきみや)と、
「春宮」(はるみや)がある。

「下社」の「秋宮」の神楽殿。
右に御柱が見える。左にも、杉の間に御柱が、薄く見える。

上社は男の神、「建御名方命」(たてみなかたのみこと)を、
下社は女の神、「八坂刀売命」(やさかとめのみこと)を、祀っている。
男神を「たてみなかた」、女神を「やさか姫」と諏訪の人は呼んでいる。

諏訪市博物館のカタログ。

男神と女神の名前が書いてある。

冬には、諏訪湖に「御神渡」(おみわたり)ができる。

氷が膨張してできた、盛り上がり。2008年。
男神の「たてみなかた」が、女神の「やさか姫」に逢瀬に行く道、
という神話から、「御神渡」(おみわたり)と呼んでいる。
「御神渡」は男神の諏訪から、女神の下諏訪に、
向かっているように見える。

外国人に、男神と女神の逢瀬の話をしたところ、
「ロマンティック」
と、興味深く聞いていた。

「御神渡」ができると、その高さや方角で、
作物のできばえや気候を占う「神事」が、
諏訪の八剱(やつりん)神社によって行われる。

「御神渡」は、マイナス10℃くらいの寒さが、
1週間ほど続くと、全面結氷してできるが、
最近は小さかったり、見られないことがある。
「御神渡」ができても、雪が降れば、埋もれてしまう。
諏訪の観光案内所に御神渡の状況を聞いてから、出かけた。

「諏訪大社」の、いくつかあるお祭りの中で、
御柱祭」(おんばしらさい)が、知られている。

「御柱祭」の絵巻。諏訪市博物館のカタログから。
「御柱」を曳く人、縄やてこを持つ人、そして、
おんべや扇子、笹を持って応援している人と、
分担し、結束してお祭りをしている。

「御柱祭」は、平安時代の初期(8世紀)に最初の記録があって、
起源は、さらにさかのぼるというから、長い歴史のあるお祭りだ。

7年目ごとの寅(とら)年と申(さる)年に、
もみの大木を山から切り出して、人力だけで、

山から里へ20キロメートルほど曳き、
最後に、16本の「御柱」を神社の4隅に建てる。

諏訪湖を囲むようにある諏訪地方の6市町村の、
21万人が参加する大祭である。

山から里へ曳く「山出し」には、
「御柱」を、坂から落とす「木落し」があり、
川で「御柱」を清める「川越し」(上社)がある。

下社の「木落し」。

諏訪市博物館のカタログから。

「御柱」に乗る数人の氏子は、選ばれた人。
特に先端は、名誉中の名誉である。
御柱に巻き込まれることもあり、
命をかけることになる。

「男見るならば7年に1度、諏訪の木落し、坂落し」と、言われ、
諏訪の男ならば、一生に一度は乗ってみたい「木落し」である。

上から見た「木落し坂」。

8本の「御柱」を、ここから落とす。
斜度は35度、長さは100メートルある。
土煙を上げ、ドドドッーと地響きを立てて、
「御柱」は落ちる。落ちた跡は、黒い筋になっている。

「木落し坂」をのぞきこんで、

「この急坂を、木にまたがって下りるなんて!……」
と、肝を冷やしていたのが聞こえた。

木落しが終わった「御柱」は、里に向かう。

御柱の直径は1メートル、長さ17メートル、
重さ10トンを、人力だけで曳く。

御柱を清める「川越し」。上社だけ。

右の白旗が上がり、「川越し」の準備と安全が確認できて、
左右の綱を曳き始めると、対岸にある「御柱」は川に入った。
雪融け水の温度は10℃で、十分冷たい。

左奥の川の中にいる白いヘルメットの数人はレスキュー隊。
御柱の下敷きになったり、川に流される氏子を救出する。
「川越し」は、「木落し」とともに難所だ。
どちらも、救急車が待機している。

御柱が通る「御柱街道」では、道行く人に「振る舞い酒」がある。

諏訪は酒どころ。
どの銘柄も、うまかったな。「ウィ~」。
酒がタダなんて、こんなお祭り、見たことがない。

山から里へ曳く「山出し」のあとは、
里から神社へ曳く「里曳き」になる。そして、最後は、
神社の4隅に御柱を建てる、「建御柱」(たておんばしら)になる。
「奥山のモミの大木が、里へくだって、神になる」ときである。

「建御柱」

「御柱」のてっぺんに乗る「天端乗り」は、名誉なことである。
垂直に建つまで乗っている。
気分が高まるとともに、緊張するときである。

氏子が、「車地」(しゃち)を巻き上げると、

「御柱」は、だんだんと建っていく。

「建御柱」は、「御柱祭」の最後の難関だ。
そして、垂直になって、感激のときがきた。
「天端乗り」は、「御柱祭」をやり遂げたことを、
下の氏子とともに歓び、どよめきが上げる。

「御柱祭」は、回をおうごとに盛んになっている。
起源が平安時代の初期より前にさかのぼる「御柱祭」は、
諏訪の伝統であり、文化である。
諏訪の人たちは、誇りを持っている。
御柱祭には、血は湧き、肉は踊って、
民俗の大催事を結束して継承してきた。

男神「ミナカタ」と女神「ヤサカ姫」を主人公にした、
神話のオペラ、「御柱」がある。
2004年の公演を観た(岡谷)。
諏訪にはロマンがあり、
文化の創造がある。

「御柱」の観光客は増えて、2010年の人出は180万人で、過去最高である。

観光バスで来て、観覧席から上社の木落しを観る。

諏訪の人は、「御柱祭」を観る場所を知っているが、
観光客は、どこへ行ったら、山出しや里曳きを、
観ることができるのか、わからないから、
観覧席はいいサービスである。
当日券を手に入れることができて、
遠方からのお客さんをお連れしたが、
「こんなに勇壮なお祭り、見たことがない」
と、興奮していた。

伝統ある「御柱祭」だが、オリジナリティでないものがある。
それは、ラッパと他県の民謡の踊りである。
ラッパは威勢がいいし、ショウとして盛り上げるには効果的だ。
だが昔は、ラッパはなかった。たとえば、ホラ貝や角笛、有名な太鼓に、
だんだんと置き換えていくのは、どうだろう?

ラッパが少なく、「木遣り」(きやり)が多いのは「下社」。
その分、「下社」は「上社」よりも、素朴で勇壮だった。

しかし、「下社」には、他県の民謡をスピーカーで流して踊っていたが、
新たにオリジナリティを盛り込んだ踊りだろうか?
マネに見えたが。基本は、絵巻にある。

「御柱祭」は諏訪の伝統であり、独自文化である。
諏訪の誇りであり、日本の誇りである。
独自の文化は、世界に誇れる。

諏訪の人たちの「アイデンティティ」、
それは「御柱祭」だ。
は沸き、が踊り、そして、結束する。
アイデンティティを持った人たちは、誇り高くみえる。
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