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戦争の証拠隠滅

2012-09-02 00:09:02 | Weblog
戦争の書類は焼却して、
戦争証拠隠滅をしろ。

昭和20年(1945年)8月15日の終戦の前日、1945年8月14日に、
「国や自治体の機密文書の廃棄」を閣議決定した。

軍・政府は、戦争に関する一切の資料を焼却して、
戦争はなかったものにしよう、
戦争を歴史から消し去ろうとした。

占領軍GHQの調査が始まるまえに、機密文書の焼却を急いだ。
そして、軍関係、町村役場、学校、地域では、
数日をかけて機密書類を焼却、廃棄した。
軍と政府による戦争の証拠隠滅である。
犯罪者は証拠隠滅をする。

戦争の証拠隠滅が、本当にあったのだろうか?
機密重要書類」を焼却せよ、という通達が見つかった。
長野県から各市町村長に宛てた通達、
機密重要書類焼却の件」である。松本市文書館で。


「機密重要書類焼却の件」は、
昭和20年8月18日の発行である。
昭和20年8月15日の終戦の3日後で、
昭和20年9月2日の無条件降伏の前になる。
戦争の証拠隠滅に、軍・政府はあわただしく動いた。

「機密重要書類焼却の件」の中身は、
各種機密書類」、「物動関係書類」、
統計印刷物」などの、焼却を命じている。
そして、学校や各種団体に通達すること、さらに、
この通達そのものも焼却することを命じている。

「機密重要書類焼却の件」は、
長野県東筑摩郡の今井村役場(現在の松本市今井)の、
昭和20年 庶務関係書類綴」の中に入っていた。松本市文書館で。


「昭和20年 庶務関係書類綴」の中には、
「機密重要書類焼却の件」、昭和20年8月18日とは別に、
「戦争ポスター」は焼却せよ、という通達、
大東亜戦争関係ポスター類焼却の件」、
昭和20年8月21日も入っていた。

長野県から各市町村長に宛てた通達。松本市文書館で。

「大東亜戦争関係ポスター類焼却の件」の中身は、
戦争ポスター」の焼却を命じている。
そして、学校や各種団体に通達すること、さらに、
この通達そのものも焼却することを命じている。
戦争の証拠隠滅には、「戦争ポスター」も見逃さなかった。

「満蒙開拓青少年義勇軍募集」。

「阿智村ポスター」から。

「戦争ポスター」が、なぜ「阿智村」から見つかったか? は、
「戦争ポスターは焼却せよ」、2012年8月19日、を参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/178c5a26cf3aa96d7fbdb5eb57653617
阿智村の原 弘平 元村長が、
「尊い教材になると考え、命がけで蔵に保管した」から。

戦争の証拠隠滅は宮崎県にもある。
宮崎県に「県経済史」がある。
国力を推定できる統計資料は、すべて焼却せよ、内務省
という電報が宮崎県知事に届いていた。しかし、
膨大な統計資料は、宮崎県再建の指針となる、
と考えた職員は、自動車で家の納屋に運び込んで隠した
その結果、「県経済史」を作ることができた。

しかし、統計資料以外の「機密重要書類」は、
県庁横の広場につくったごうで、
斧(おの)で壊し、火をつけ、一週間かけて灰にした。
こうして、軍・政府の指示で戦争の証拠隠滅が行われた。

戦争の証拠隠滅は学校にもあった。
本城(ほんじょう)小学校には、すごいものが残っている。
職員会の議事録「昭和20年度 職員会誌」である。本城国民学校。


昭和20年8月24日の職員会では、つぎのことが伝達された。
戦後社会の世論の取り締まりを厳重にすること、
国体を護持し、臥薪嘗胆の志で処すること、
敗戦の責任は国民全体にて負うこと、
軍および政府に対する戦争責任追求の論議は取り締まること、
戦争の書類ほかは焼却すること、など。

この「昭和20年度 職員会誌」があることは、
「松本市文書館講座」の「昭和20年8月の文書廃棄」、
2012年8月8日で知った。それから、
オリジナルを見たくなって、探した。

なにしろ67年前の議事録だ! どこにあるのだろう?
本城小学校にたどりついて、尋ねたところ、
「調べてみます」
1日たって、
「金庫の中に保管されていました」
と、連絡が入った。
ヤッタね! うれしかったね!
「これから行きます!」
なんという幸運だろう!
 
本城小学校は、松本市の北隣、
東筑摩郡筑北村(ひがしちくまぐん ちくほくむら)にある。
車で1時間弱、ワクワクしながらドライブした。
どんなものだろう? 触れるだろうか?
どんな金庫に入っていたのだろう?

お目当ての「昭和20年度 職員会誌」は、
すでに金庫から取り出して、用意してくれていた。
そして、職員室のテーブルで見ることができた。
ありがとうございます。

ヒモで閉じられていた。
薄かった。小さかった、B5。
ソーッと触れた。紙質は悪かった。
白紙ではなく、フォーマット紙だった。
万年筆で書いてあった。シワがつかないように注意した。
そして、これは本城小学校の「宝」だ! 宝物に触れている!
平和教育に使える。
冷たい麦茶がありがたかった。
麦茶を飲むときには、宝物を端に寄せて汚さないようにした。

「昭和20年度 職員会誌」には、
16回の職員会の議事録が収められていた。
5月29日、6月6日、7月6日、7月18日、8月8日、8月24日、
9月13日、9月18日、10月9日、11月13日、11月27日、
12月11日、12月18日、12月28日、2月19日、3月8日。
校長が校長会に出席し、その内容を学校にもどって、
職員会で伝達している。

注目は昭和20年8月24日の職員会の議事録(4ページ)。2012年8月撮影。


八.二四
一、知事の訓令および大臣訓令につき、校長朗読
二、知事の告諭朗読
三、校長会の報告
 1、軍人援護および治安維持に就いて
 2、政府の経過発表は近い中にあるという
 3、戦後社会の輿論の取締を厳重にする由
  ○大御心を奉体し国体護持をすること、
   全国民は親和、臥薪嘗胆の志で処すること、
  ○敗戦の責任国民全体にて負うこと、
  ○上体1人に対し奉りては律統の精神をもって
   壱忠の誠をいたすること、(このように読めたが?)
  ○難局打開を子々孫々に到るまで克復し、
   中途にて斃(たお)れるがごとき事なきこと、
  ○直接行動を戒めること、
  ○共産主義革命的言論を取締ること、
  ○痛憤悲哀の心は認めるし、批判も認める、
   然し、廟議決定に反する戦争継続論または、
   国民の結束を乱すがごとき言論は取締る、
  ○軍か政府に対する戦争責任追求の論議は取締る、
  ○直接行動をそそのかすごとき言論、
   自暴自棄に導くがごとき言論は取締る、
 4、書類焼却をなすこと
  ○戦力増強のために参加した事の分かるようなもの、
   学徒動員、校舎転用、翼賛会、青年団等の関係書類、 
   その他、義勇隊、学徒隊等の書類、
  ○国力判定に資する統計類および資料
  ○青年学校教練科の年度表
 5、学徒指導に関し
  ○学校工場は至急取り去ること、
  ○中等学校は指示あるまで教科書を停止のこと、
   男子学徒は集団的に増産に、
   女子学徒は家庭に入ること、
  ○国民学校授業休止は7月30日付通牒によること、
  ○高等科、工場出勤学徒は指示あるまで授業を停止すること、
  ○応召軍人教員は順次帰還するにより補充せぬこと
 6、応召者の隊者、現役者、休職者の報告をすること
   形式
   応召月日 資格 財産 俸給 氏名 勤務地(内地、外地) 応召現役の別
  ○青年学校、国民学校は別紙によること
   教学課長宛に提出のこと
 7、学級増加は認める 70人以上
 8、加配米は8月15日以降認めず
 9、増産協力賞誉金 180円配当する
   19年度9月以降至籍せよ(このように読めたが?)
   高等科児童へ等分し貯金すること
 10、焼却書類
   青少年団綴
   通牒中のものを取り去る
   武道用具銃器類は一括して始末する
   統計年鑑

昭和20年8月24日の職員会の議事録(2/4)。


昭和20年8月24日の職員会の議事録(3/4)。


昭和20年8月24日の職員会の議事録(4/4)。


戦争に関する書類焼却の指示が、
校長会を通じて国民学校におろされ、
戦争に関する一切の資料を焼却している。
それに、敗戦の責任は国民全体にて負うこと、
軍および政府に対する戦争責任の追求はするなと、
軍・政府は戦争の責任逃れをはっきりと伝えている。


戦争に関する一切の資料、一切の歴史を焼却したから、
各県の「県史」は、戦争時期の歴史、記述はなくなっている。
それか、聞き取り、個人の日記や記録、写真に頼った「県史」になっている。

もし、「県史」に統計的な記録が連続するならば、それは、
「機密重要書類」を焼却から回避することができた県である。

「長野県史」を見ると、昭和14年~昭和20年の統計資料には、抜けが多い。
長野県史」。長野県史刊行会。

「長野県史」は、この本棚の2倍あって、
通史編(11冊)、近世史料編(18冊)、近代史料編(21冊)、
考古史料編(4冊)、方言編(1冊)、美術建築史料編(4冊)、民俗編(14冊)。
「長野県史」は松本市図書館、長野県立歴史館、
ほか各市の図書館で閲覧できる。

「長野県史」、近代資料編、別巻 統計(一)、平成元年(1988年)発行、
および、別巻 統計(二)、昭和60年(1985年)発行の目次から。
人口動態」。

「人口動態」には、
「第52表 満蒙開拓青少年義勇軍送出数-郡市」以外は、
昭和14年(1939年)以降のデータがない。


それに、「満蒙開拓団」の表がない。
長野県は「満蒙開拓青少年義勇軍」とともに、
「満蒙開拓団」も全国一多く送り出した県である。
「満蒙開拓団等送出数上位県」。

「満蒙開拓平和記念館事業準備会」のリーフレットから。

軍事」。


「軍事」には、昭和11年(1936年)以降のデータがない。
それに項目が少ない。召集令状による徴兵数や年齢、戦死者数、
戦地などの項目は、年度別、郡市別にあってもいいが。
「軍事」関係の資料は、特に徹底的に焼却した。

鉱工業」。


「鉱工業」には、
「第152表 職工5人以上の工場数・従業員数および生産額」、
「第153表 職工4人以下の工場数・従業員数および生産額」以外は、
昭和16年(1941年)以降のデータがない。

戦争の証拠隠滅によって、「長野県史」には、
戦争中のデータが掲載できなかった。

みなさんの「県史」はいかがでしょうか?
歯抜けか、統計表自体がないと思う。

戦争の結果は?
大空襲、原爆で国土は焦土と化し、310万人が命を失い、
国民に希望はなく、その日を生きていくのがやっとだった。

占領軍GHQの調査が始まるまえに、
軍・政府は、戦争の証拠隠滅を徹底してやった。
国民を恐怖で脅して実施した戦争の証拠隠滅だった。

犯罪者は証拠隠滅をする。しかし、
国際社会は、軍・政府を犯罪者とした。
大日本帝国は崩壊した。
そして、日本が更生するまで、
7年近く、日本は連合軍の占領下にあった。
だれもが思い出したくない戦争の結末。
戦争の証拠隠滅が行われていた。
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