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東ベルリンの見どころは、慰霊碑と博物館だった

2009-04-01 07:57:00 | Weblog
ベルリンの壁裏側は、どうなっているのか? 見たい(1988年)、
と東ベルリンに行って、ブランデンブルク門とベルリンの壁、
の裏側を見ることができた。立ち入り禁止、工事現場のようで、
文化の創造とは、かけ離れていたことを書いた。

そしてツアーでは、東ベルリンの見どころは、慰霊碑博物館だった。
市民が息づく街……市場、商店街、住宅街などは、
見学ルートに入っていなかったし、見せられなかった。

東西ベルリンを見るツアー・バスは、東ベルリンに入ると、
一番の中心街、ブランデンブルク門から東に延びる大通り、
菩提樹の並木通り、ウンター・デン・リンデンを東に走る。

左が歴史博物館、中央にそびえるのはテレビ塔。
この先は博物館島になる。運転席の窓から。

――東ベルリンの第一印象は、活気がない。死んだような街だ。
東ベルリンの市民は、どこにいるのだろう?
東京ならば、中心街は銀座、博物館街は上野で、
にぎわいがあるが、東ベルリンは、人影がすくない。
1990年に東ドイツが消滅するが、国消滅の2年前を見た。

フンボルト大学、ベルリン大聖堂、赤い市庁舎などを眺めてから、
中心街から南東へ7キロメートルにあるトレプトウの、
ソ連の“戦没兵士慰霊碑”に向かった。

中央に巨大なソ連兵士の像がある。
右手に剣を持ち、左手に子ども抱いて、ナチスのシンボル、
ハーケンクロイツ卐を踏み壊して、その上に立っている。

「ソ連の兵士が、ファシストからヨーロッパの文明を救ったことを、
称えるものです。左右にある石碑も、戦没兵士を称えています。
スターリンの石碑もあります」
と、東のガイドから説明を受ける。

さきに、西ベルリンでは“ソ連の戦勝記念碑”を見たが、
ソ連の国威の発揚は、巨大な慰霊碑や記念碑をつくって、
それを、ツアー客に誇示するかのようだ。

そして、東ベルリンのツアーのメインは、“ペルガモン博物館”だった。

シュプレー川が二又に分かれた中州が、“博物館島”で、
ペルガモン博物館や旧博物館など、5つの博物館がかたまってある。
ペルガモン博物館では、トルコの古代遺跡であるゼウスの大祭壇、
を見るが、中央の橋の右は、ゼウスの大祭壇がある玄関につながる。

ギリシャのアレクサンドロス大王が東征したあと、
小国に分かれたが、その一つがペルガモン王国である。
トルコのエーゲ海に近いベルガマの街のアクロポリスに、
神殿(トラヤヌス神殿、アテナ神殿)、円形劇場、それに、
ゼウスの大祭壇などをつくった(紀元前2世紀)。

その“ゼウスの大祭壇”を発掘・調査してベルリンに運び、復元した。
写真が鮮明でなくて、すみません。

中央がゼウスの大祭壇の右半分、右はフリーズ(浮き彫り)。

祭壇を目の当たりにしているが、こんな壮大なものを、
――発掘して、輸送して、よく、復元できたもんだ。
それに、どうして東ベルリンにあるのだろう?

「1878年にドイツのカール・フーマンの調査によって、
ベルガマの土の中からゼウスの大祭壇を発掘しました。
ゼウスの大祭壇と、周囲のフリーズを船でベルリンに運んで、
20年かけて復元して、よみがえらせることができました」
と、ガイドは言う。

「しかし、第2次世界大戦の攻撃で被害を受けました。
そのあと、ソ連が保存の目的で運び出しましたが、
1958年に返却されて、再建できました」

コの字型をしたペルガモン博物館は、ほかに、
バビロニアの“イシュタール門”、
古代ローマの“ミトレスの市場門”もある。

ミトレスの市場門。
――こんな巨大な遺跡を、よく、運びこんだもんだ。

「土に埋もれたゼウスの大祭壇は、一部は掘り起こされて、
大理石は石灰として使われていました」
と言うから、発掘・調査をして、搬出し、復元できた遺跡を、
いまこうして、見ることは、ありがたいことだと思う。

――しかし、東ドイツの独自の美術品はないのだろうか?
それに、ペルガモン博物館は、がらがらだ。
我々西ベルリンからのツアー客だけで、
東ベルリンの市民はいない。

東ベルリンの見どころは、慰霊碑と博物館だった。
ソ連の“戦没兵士慰霊碑”を見る。“博物館島”へ移動して、
ペルガモン博物館”でトルコやバビロニア、ローマの遺跡を見る。

東ベルリンは、独自の文化を見せる街ではなかった。
革命体制を追い求める共産政権下では、独自の文化を創り出す、
という余力はなかったんだろう。国威の発揚は、記念碑に注いだ。
それに、国が消滅する直前の東ベルリンの市民には、
芸術を鑑賞する余裕はなかった。

1990年10月に東ドイツが消滅するが、
その2年前の東ベルリンでは、西のツアー客に、
活気がある、人がにぎわっている、発展している、
と思わせるところを、見せることができなかった。


西ベルリンでも、見逃せない美術品がある。
それは、エジプトの王妃“ネフェルティティの胸像”。

ネフェルティティの胸像は、実際は金色ではなく、
彩色されている(紀元前14世紀)。

いまは、博物館島の旧博物館に移されているが、
当時は、シャルロッテンブルク宮殿のエジプト博物館にあった。


「王妃ネフェルティティは、ファラオ・ツタンカーメンの、
父と結婚したから、ツタンカーメンの義母になります。
美しい人でした。エジプト芸術の傑作です」
と、西のガイドは話す。


第2次世界大戦から半世紀たって、ベルリンの見どころ、
博物館島”は、1999年に世界遺産になった。
ペルガモン博物館の“ゼウスの大祭壇”や、
旧博物館の“ネフェルティティの胸像”は、
ベルリンの市民でにぎわい、世界の人をひきつけている。
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