松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
『生きがいについて』執筆日記
神谷美恵子さんの『生きがいについて』(みすず書房)には、「『生きがいについて』執筆日記」が付録として収録されているのだが、これが面白い。
日記は1958年12月21日(日)から始まり、1966年5月14日(土)に終わっている。
原稿は1962年の時点で書き上げているようなのだが、そこから推敲に時間をかけているのがわかる(たぶん、一時期は放置状態)。
なんといっても、初期の思いがすごい。長くなるが、以下抜粋である(ちなみにNとはご主人のこと)。
1960年2月3日(水) 「ねてもさめても「生甲斐」を考え、その中にすべてをぶちこみたい願いに燃える」(p. 309)
1960年2月14日(日) 「ときどき自己嫌悪感におそわれて困る。こんなつまらないものを出す価値があるだろうか、と。でも私は私でしかないのだ」(p. 311)
1960年10月29日(土) 「夜二時まで「生甲斐」をひさしぶりでかく。もっとかきたくて死にそうだ」(p. 316)
1961年3月9日(木) 「ああいっそ自分の血でかけたらいいものを!」(p. 318)
1961年5月2日(火) 「夜帰ってからもかきたくてうずうずし、子供たち、かぜ気のNのねしずまるのを待ち(2時)までかきつづけていた。だれのためでもない。だれに気に入られなくてもよい。ただかかずにいられないからかくだけ」(p. 320)
1961年9月11日(月)「これこそ自分の一ばん大切な仕事である事は、やればやるほど明らかになるばかりだった。このために生きて来たといえる位である。それを次第次第に発見して行くおどろきとよろこびとかしこみ!」(p. 325)
この頃から、しばらく時間が空く。
1964年7月25日(土) 「私は「生甲斐」に久しぶりで手を入れはじめた。しらべてみるとこれを書き出したのは1959年12月だった!」(p. 329)
1965年5月17日(月) 「生甲斐の1,2,5,6,8章みすずへ発送。一種の虚脱状態。どういう結果になるか神のみぞ知る。」(p. 331)
1965年6月7日(月) 「午前十時半。今みすずから「生甲斐」を出すと云って来た・・・感謝!!」(p. 332)
1965年8月8日(日) 「やっと7章をけずる。しかしまだけずり足りない。自分の冗長さにおどろくほかない」(p. 333)
1965年11月19日(金) 「家事、おつかいでくれる。N10章11章を毎晩少しずつよんでくれる。私はどうも自己嫌悪におそわれてならない。何しろ6年もやっていたからだろう」(p. 335)
1966年3月30日(火) 「夜12時すぎR図書新ブンで私の本の広告をみつけ、コーフンで1時までおきていた」(p. 338)
1966年4月18日(月) 「みすずから電話で奥付の相談。いよいよ出ると思うとこわい」(p. 339)
1966年5月14日(土) 「光明園で診察。(中略)帰宅してみたら「生きがいについて」が来ていた(十部)」(p. 339)
『生きがいについて」の内容にも感銘を受けたが、そのプロセスを綴った日記にも感動した。
日記は1958年12月21日(日)から始まり、1966年5月14日(土)に終わっている。
原稿は1962年の時点で書き上げているようなのだが、そこから推敲に時間をかけているのがわかる(たぶん、一時期は放置状態)。
なんといっても、初期の思いがすごい。長くなるが、以下抜粋である(ちなみにNとはご主人のこと)。
1960年2月3日(水) 「ねてもさめても「生甲斐」を考え、その中にすべてをぶちこみたい願いに燃える」(p. 309)
1960年2月14日(日) 「ときどき自己嫌悪感におそわれて困る。こんなつまらないものを出す価値があるだろうか、と。でも私は私でしかないのだ」(p. 311)
1960年10月29日(土) 「夜二時まで「生甲斐」をひさしぶりでかく。もっとかきたくて死にそうだ」(p. 316)
1961年3月9日(木) 「ああいっそ自分の血でかけたらいいものを!」(p. 318)
1961年5月2日(火) 「夜帰ってからもかきたくてうずうずし、子供たち、かぜ気のNのねしずまるのを待ち(2時)までかきつづけていた。だれのためでもない。だれに気に入られなくてもよい。ただかかずにいられないからかくだけ」(p. 320)
1961年9月11日(月)「これこそ自分の一ばん大切な仕事である事は、やればやるほど明らかになるばかりだった。このために生きて来たといえる位である。それを次第次第に発見して行くおどろきとよろこびとかしこみ!」(p. 325)
この頃から、しばらく時間が空く。
1964年7月25日(土) 「私は「生甲斐」に久しぶりで手を入れはじめた。しらべてみるとこれを書き出したのは1959年12月だった!」(p. 329)
1965年5月17日(月) 「生甲斐の1,2,5,6,8章みすずへ発送。一種の虚脱状態。どういう結果になるか神のみぞ知る。」(p. 331)
1965年6月7日(月) 「午前十時半。今みすずから「生甲斐」を出すと云って来た・・・感謝!!」(p. 332)
1965年8月8日(日) 「やっと7章をけずる。しかしまだけずり足りない。自分の冗長さにおどろくほかない」(p. 333)
1965年11月19日(金) 「家事、おつかいでくれる。N10章11章を毎晩少しずつよんでくれる。私はどうも自己嫌悪におそわれてならない。何しろ6年もやっていたからだろう」(p. 335)
1966年3月30日(火) 「夜12時すぎR図書新ブンで私の本の広告をみつけ、コーフンで1時までおきていた」(p. 338)
1966年4月18日(月) 「みすずから電話で奥付の相談。いよいよ出ると思うとこわい」(p. 339)
1966年5月14日(土) 「光明園で診察。(中略)帰宅してみたら「生きがいについて」が来ていた(十部)」(p. 339)
『生きがいについて」の内容にも感銘を受けたが、そのプロセスを綴った日記にも感動した。
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