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『日日是好日』(読書メモ)

森下典子『日日是好日』新潮文庫

タイトルは「にちにちこれこうじつ」と読む。「毎日がよい日」という意味らしい。

著者の森下典子さんは、ルポライター・エッセイストとして活躍する方。大学時代からはじめた「茶道」について書かれた本書は、彼女の自叙伝でもある。

近所に住む「武田のおばさん」を師匠として始めた茶道。なんとなく始めて、なんとなく続けている茶道が、森下さんの人生のターニングポイントで気づきを与える。

本書を読んで一番印象に残ったことは、茶道をすると、季節の音や匂いに敏感になる(だろう)ということ。

6月のとある日に稽古をしていたときに雨が降ってきた。

「パラパラパラパラ…豆が当たるような音で、大粒の雨が、ヤツデの葉を打っている。ポツポツポツポツ… テントをつつくような音をさせて、今を盛りの紫陽花の葉や、丸く大きくなった山茱萸(さんしゅゆ)の葉っぱたちが、元気に雨をはね返している。熱帯雨林を感じさせる雨だった。「梅雨の雨だわね」先生が、誰にいうともなくつぶやいた。そのとき、気づいた。(そういえば、秋雨の音は違う…)十一月の雨は、しおしおと淋しげに土にしみ込んでいく。同じ雨なのに、なぜだろう?(あ!葉っぱが枯れてしまったからなんだ…六月の雨音は、若い葉が雨をはね返す音なんだ!雨の音って、葉っぱの若さの音なんだ!)パラパラパラパラ… ポツポツポツポツ…」(p.128)

梅雨と秋では雨の音が違う。忙しい私たちは、そんなことになかなか気づくことはできない。しかし、茶道によって心を静めると、その違いを肌で感じることができる。

もうひとつ印象に残った箇所がある。

著者が大学を卒業して3年が経った時。まだ正式に就職できずに、週刊誌のアルバイトをしていた森下さんは苛立っていた。

「(あー、また、お茶か)と、いらだった。悠長にお茶の稽古なんかやっている場合じゃない。私は先を急いでいる身なのだ。なのに毎週、お茶で足止めされる気がした。」(p.141)

こんな状態で稽古を積んでいると、先生が次のように森下さんをたしなめる。

「「あなた、今どこか、よそへ行っちゃっているでしょ」「?」私には、先生の言っている意味がわからない。「若いってことは、だめねえ。全然落ち着かない」先生は、独り言のようにつぶやいた。「ちゃんと、ここにいなさい」」(p.141-142)

この箇所を読んで、私たちは、「ちゃんと、ここにいる」ことがなかなかできない存在なのではなかろうか、と思った。

そして、本書の題名である「日日是好日」に関係するところ。

「私たちは、雨が降ると、「今日は、お天気が悪いわ」などと言う。けれど、本当は「悪い日」なんて存在しない。雨の日をこんなふうに味わえるなら、どんな日も「いい日」になるのだ。毎日がいい日に…。(「毎日がいい日」?)自分で思ったその言葉が、コトリと何かにぶつかった。覚えがあった。どこかで出会っていた。何度も、何度も…。その時、自然に薄暗い長押の上に目が行った。そこに、いつもの額がある。「日日是好日」(・・・・・!)(毎日がよい日)(p.217-218)

一日、一日を味わって過ごすこと。その日、その日の良さを感じながら過ごすこと。忙しい私たちが忘れていることを思い出させてくれた。









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