みどりの野原

野原の便り

4月23日 斑鳩の里めぐり 小泉神社 斑鳩3塔 藤ノ木古墳

2023年04月23日 | Weblog

「鎮守の森を観に行こう会」が最終回となった。

社叢学会の調査地域の1つとして桜井市が指定され、市民ボランティアが調査に協力したのがきっかけで、翌年H15年(2003)4月に「森とふれあう市民の会」が発足。その活動の1つとして生まれたのがこの会。
年4回ぐらいのペースで開催されていた。

歴史や植生、他、大先生が講師。アットホームな雰囲気。
遠く関東から来られる方もおられるぐらい大人気だった。
発足から20年。コロナで間があいて‥ついに今回最終回となる。

私の初参加はH16 年4月から都合のついた時に参加してきた。
楽しい会でした。お世話になりました。

今日はJR小泉駅で集合して「斑鳩の里」を巡る。
講師の先生方も勢ぞろい。

富雄川を渡って「小泉神社」


鳥居をくぐって階段を登る。
布や幡のようなものや提灯などが・・両脇に広げられている。
お祭りの準備? 片付け? それとも虫干し? 
 

表門は小泉城の裏門を移築されたもの。
小泉城は陣屋と言われる平城。小泉氏の後片桐氏が入り片桐城とも言われる。
今は石碑が残るだけらしい。


本殿(国宝)
複雑で装飾性のある組み物・軒下を支える枓栱(ときょう)
蟇股のところにもバラや花の彫り物。
元は朱色だったのでしょうか?極彩色だったのでしょうか?

川沿いから野道を歩く。


イチジクの産地 切り詰められたイチジクの枝
おいしいイチジクが食べた~い。


広がるレンゲ畑  こんな所を歩くと幸せな気分になる。


遠くに見えてきたのは「法起寺の三重の塔」(斑鳩3塔の1つ)
コスモスの小さい苗は秋には塔をや斑鳩の景色を引き立てることだろう。

平城京には11ぐらいの塔があり、斑鳩には5塔があったそうだ。
斑鳩寺の三重の塔?は670年消失。(元の)中宮寺の三重塔?もなくなり・・

今残るのは、法起寺(三重塔・国宝)・法輪寺(三重塔・再建)・法隆寺(五重塔・国宝)の3塔のみで、「斑鳩三塔」といわれる。

飛鳥にあった塔は全部なくなった。

法起寺の読み方は「ほうきじ」と読むそうだ。(お寺さん)
今日は寺内には入らない。


途中の溜池にはハシビロガモ 近くの池にはオオバンもいた。


国史跡「三井瓦窯跡」
横の格子から覗くと階段状の登り窯の内部が見えた。
傾斜地は瓦窯に都合のよい立地。
谷地では粘土や水、山地では燃料の薪が得られる。
保護のために屋根がかけられている。

お寺の瓦を焼いていた瓦窯。
今は偶然見つかったこの1基だけだが、もっとたくさんあるはずだという。


「史跡 三井」 聖徳太子が掘ったとの言い伝えがある。


井戸は明治時代には埋まっていたが、1932年に発掘調査された。
深さ2.24m 途中は少し膨れた筒状だったそうだ。

聖徳太子が飛鳥から3つの井戸をこの地に移したことからこの地を三井と言うようになったとも。
井戸を移す?どうやって??

「法輪寺」別名三井寺
創建ははっきりしないが、7世紀中ごろ(飛鳥時代)には存在していたという。聖徳太子ゆかりの寺。

S19年(1944)7月、落雷で塔は焼失してしまった。
太平洋戦争中の金属類供出で、避雷針が無くなっていたのだそう。ああ・・もう!なんてこと!
S50年(1975)悲願がかなって、消失前と同じ場所に同じ姿で再建された。


再建された法輪寺の三重塔(斑鳩3塔の1つ)
塔の位置は法起寺とは逆で、門から入って左にある。(法隆寺式伽藍)
焼失時に救出された仏舎利や釈迦如来坐像、四天王像も戻された。

元通りとはいえ再建のため、消失前の国宝の指定は解除された。

「中宮寺跡史跡公園」に移動。お弁当。


中宮寺跡史跡公園 


塔跡と金堂跡の2つの基壇が復元されている。
ここは中宮寺が創建された場所。(現中宮寺は400mほど離れた場所にある)

中宮寺の創建は古く、法隆寺若草伽藍と同時期の建立といわれ、法隆寺と同じ型の瓦が出土しているらしい。

現中宮寺は16世紀前半に今の場所に移転したと伝わる。
大和3門跡寺院の1つ。

境内は法隆寺に隣接しているらしく・・

中宮寺・・と思っている間に、ここは「法隆寺」の東院らしい。


法隆寺 東院鐘楼(国宝)
中の梵鐘には「中宮寺」と刻まれているとか。
元は中宮寺にあったものなのか??

法隆寺と中宮寺は僧寺と尼寺として深いつながりがあったようだ。

「法隆寺」
聖徳太子の斑鳩の宮・斑鳩寺に由来する寺。世界最古の木造建造物
広い境内に東伽藍・西伽藍 門や建造物が立ち並び、建物や仏像など国宝が目白押し。
「法隆寺地域の仏教建造物」として法起寺の建造物と共に、1993年に日本初のユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。


伝法堂 二重虹梁という妻飾りを見る。
虹梁とはの上部を横に渡す材、柱の頭部をつなぐ役目の梁のこと。
構造上も重要なのでしょうが、美しいですね。


中門(飛鳥時代 国宝)の奥に五重塔(飛鳥時代 国宝)(斑鳩三塔の1つ)が見えた。
飛鳥時代に建てられた世界最古の木造の五重塔だ。

たくさんある建物の中で、好きなのは西円堂。


階段を登っていくあたりも雰囲気がいい。


上にある八角形のお堂が 西円堂(八角円堂)(鎌倉時代 国宝)
中に薬師如来像(奈良時代 国宝)が見えた。

この後、藤ノ木古墳へ。

「藤ノ木古墳」 6世紀後半の円墳 国の史跡
2度の発掘で、未盗掘の横穴式石室ということがわかり、水銀朱を塗った家型石棺や豪華な副葬品、男性2人が埋葬されていることもわかり、世間を驚かせた。
未盗掘の古墳は珍しいが、盗掘を免れたのは、江戸時代まで古墳を守っていたという近くにあった尼寺の存在も関係あったのかも。

羨道を進み、格子戸越しに家型石棺を見る。

近くにある「斑鳩文化センター」


建物前に藤ノ木古墳の家型石棺の複製品がどっかりと。
二上山に産する凝灰岩製のくり抜き型家型石棺 
蓋の部分に縄掛突起 棺の内外面は水銀朱を塗られていたそうだ。
展示の複製石棺の色は鮮やかすぎるように思うが、貫禄十分
この中に2人の人物と副葬品が収まっていたのかと想像する。

先に石棺を納めた後に石室を造ったのではとも聞いた。

館内で、藤ノ木古墳の副葬品のレプリカの常設展示などを見る。

金銅製の冠  
履(くつ)も細かい飾りがこれでもかと言うぐらいついている。
展示が始まった頃に見に来たことがある。


通路の奥に進むと石棺がある。通路は古墳の羨道のようだった。

スケジュールいっぱいの一日。バスに乗るみなさんと分かれ、JR法隆寺駅まで歩く。
滑り込みセーフ。

道のわからない私たちのために道案内もしていただき、最後までお世話になりました。

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