みどりの野原

野原の便り

4月15日 鹿児島 薩摩半島の旅 2日目ー2 関吉の疏水溝・喜入のリュウキュウコウガイ産地・殿様湯・指宿フェニックスホテル 泊 

2023年04月15日 | Weblog

15日の続き
関吉の疏水溝(鹿児島市)

せきよしの物産館に駐車して下り、稲荷川沿いに登っていく。


山裾の水路沿いに歩く。これが「関吉の疏水溝」なのだろう。
左に稲荷川の上流の棈木川がある。


説明板のあるところに来た。
いつもは土日にしかいないというボランティアガイドさんがたまたまいらして、案内して下さった。ラッキー。

説明によると「関吉の疏水溝」は、1852年に島津斉彬が設けた用水路で、今日朝から行ってきた集成館まで水をひき、集成館事業の動力源として利用されたとか。
集成館事業の製鉄・製鋼・・など、水車の動力に頼っていたという。


棈木川 雨の後で水量が多い。ここから先へは行けない。


棈木川(あべきがわ)少し下ったところに川幅が狭まったところ。
ここに板を渡し、蛇籠を積んで水をせき止めて水位を上げ、左側に掘られた疏水に水を流していたらしい。
「棈木川」の読み方がわからずガイドさんに聞くと「あべきがわ。木があるでしょ」・・と。
アベキ?アベマキならあるけど、と思って帰って調べたら、アベマキの漢字に「棈」があった。

集成館・仙厳園まで高低差8m・距離約8㎞ これを機械のない時代に、手掘りでトンネルもいくつも(18ヵ所)掘って水をひく。すごいな。

流路がはっきりわかるところと、住宅開発などで流路がわからなくなっているところも多いとか。

2015年7月、「明治日本の産業革命遺産、製鉄・製鋼・造船・石炭産業の構成遺産の1つ」として、尚古集成館と共に世界文化遺産に登録された。

知らずに、ただの用水路と思っていた疏水が、日本の産業革命に深く関わっているのを知って感銘。


駐車していたせきよし物産館で、鹿児島名物「あくまき」を土産に買う。

14:30出発 九州道に乗る。
まだ昼ごはんがまだだった。
途中のカフェでコーヒーとケーキで小腹を満たす。


車道沿いにワシントンヤシモドキが並ぶ。

③道沿いに「喜入のメヒルギ群落」があるはず。私の希望地。
それらしい標柱があり駐車。


「特別天然記念物 名勝 喜入のリュウキュウコウガイ産地・・」
えっ?リュウキュウコウガイって?(初めて聞く名) 
説明書を読むと「メヒルギ」のことらしい。
琉球の笄(こうがい=髪に挿してとめるもの)に似るところからの名。

メヒルギはマングローブ植物。ヒルギ科
ここはメヒルギ群落の北限地なのだ。
沖縄など南の方ではよくある。見たこともある。


短い木道があり、メヒルギの横を歩ける。
河口近くの潮間帯と言われる汽水域の泥地に生える。
南の方のメヒルギに比べ樹高は低いらしい。


メヒルギ(リュウキュウコウガイ)の胎生種子。


胎生種子の形が琉球の笄(こうがい)に似る。


胎生種子が地面に落ちて、波に流されてうまく泥地に刺さって定着すれば根付いて幼植物になる。


メヒルギの葉先は丸い。 小さい赤いつぼみのようなものがあった。

メヒルギ群落の北限地。メヒルギとご機嫌の私の写真も撮ってもらって、うれしい時間だった。

④次に「殿様湯跡」に立ち寄る。


「殿様湯跡」(石造りの湯舟 当時は館があった) 
江戸時代、島津斉興(島津氏27代当主・薩摩藩10代藩主)によって創建された別荘の遺跡。
(以前にあった摺ヶ浜温泉に置かれていた殿様湯が移された)
『当時は30余棟の館と趣向を凝らした豪華な湯殿を備え、島津家の公館(別荘)として、俗に「殿様湯」と称された』
コンクリートの桝が並んでいるように見えるのは石造りの浴槽。

中央の小さい桝は湯が沸き出ているところ。
湯があふれると、時計回りに次々桝に流れ込み、浴槽の湯温を調整していたという。


反対側から撮る。足元にはタイルが並んでいる。
明治中期のタイルで、イギリス製の銅板転写タイルと日本の瀬戸焼の銅板転写タイルが使用されているらしい。
タイルは娘が専門だ。

殿さまはここから浴槽に入られたらしい。想像つかないな。
水の中から、ゲコゲコとカエルの声。探しても姿は見えない。

 
2つの石碑には「これより内側はお殿様専用のため入ってはいけない」というようなことが書かれているらしい。
島津斉彬公や久光公もしばしば逗留されたのだとか。


殿様湯跡に隣接して「湯権現」
『殿様湯と共に、江戸時代の温泉文化を知る貴重な資料として、指宿市の文化財に指定されている』


殿様湯跡に接して「二月田温泉 殿様湯」がある。
殿様湯跡は明治に現所有者の先祖の所有となり、子孫の方が経営しておられるそうだ。
「建物の老朽化で一部を残して改築した」とのこと。
明治には昔の建物が少しは残っていたのだろうか?

「チャプンと入る?」と言うことで、温泉に入ることに。
入湯料350円 殿様気分?


横には飲料泉もあり、コップが置いてあり自由に飲める。

17:50 出発


⑤指宿フェニックスホテル 今夜の宿 (指宿市)18時過ぎに到着。
錦江湾を望む高台に建つ。


608号室 和室 部屋は昭和な感じ。落ち着く。


部屋はすべてオーシャンビュー。
錦江湾・手前に指宿枕崎線が見える。


夕食は黒陶板焼き会席  芋焼酎は赤右衛門  
上げ膳据え膳。お腹いっぱい。

2日目も面白かったなあ。
お風呂に入って早めに就寝。極楽極楽・・

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4月15日 鹿児島 薩摩半島の旅 2日目ー1 尚古集成館・仙厳園

2023年04月15日 | Weblog


朝起きて外を見ると本降りの雨。やっぱり今日も雨か~。
目の前に大きく見えるはずの桜島は・・雨雲の中。


朝食はビュッフェ
その種類の多いこと。今まで見たことがないぐらい並んでいる。
『毎朝80種類の和・洋ビュッフェ料理』が売りになっているらしい。
どれもおいしかったけれど、一人が食べる分量はしれており・・

部屋の広さも驚く。3人掛け丸テーブルが何十と並び、狭狭しくはない。

ゆっくりと朝食を食べている間に雨は小降りになった。
天皇様も以前に宿泊されたというこのホテル。
高級感があふれたホテルだった。

運転手交代で、今日は鹿児島市~指宿市へ。

①尚古集成館・仙厳園(鹿児島市吉野町)


現在、尚古集成館本館は、島津家 800 年の歴史や文化を紹介する博物館として使用されているが、この建物は、慶応元年(1865)に竣工した、現存する日本最古の石造り洋式機械工場「旧集成館機械工場」
残念なことに、今は本館がリニューアル工事中だった。

時代はアヘン戦争があり、ヨーロッパ諸国がアジアの植民地化を進めていた頃。
海外からの脅威・危機感を強く感じていた島津斉彬(薩摩藩11代藩主。島津氏28代当主)は軍事力強化の重要性を感じ、それには経済の発展、機械工業や鉄道網の整備などが必要と、国の近代化を推進した。(集成館事業)

ここには、アジア初の近代的西洋式工場群があったのだ。
一帯は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業」として2015年、世界文化遺産に登録された。

雰囲気だけ感じて、隣接する仙厳園(せんがんえん)へ。

仙厳園
1658(万治元年)島津家19代当主 光久によって築かれた別邸・庭園。

「反射炉跡」石垣の上に大砲を鋳造する反射炉の跡


「錫門」江戸時代には正門として使われた。
屋根は錫板で葺かれている(写真に写ってない)(´;ω;`)


「御殿」仙厳園の中にある。中を見学。
『江戸時代は島津家別邸として、明治時代からは一時本邸として使用された御殿。
現存する御殿は明治17年(1884)に改築された建物が主体となり、藩主の部屋はすべて節なしの屋久杉で当時の雰囲気を感じられる』


御小座(化粧の間)歴代の当主が身支度を整えた部屋
復元された「金襖 6枚」天井板を矢羽根状にして立体感や奥行きを出し部屋を広く見せる工夫がされている。


御小座(披露の間)
島津家へ贈り物が届いた時、お披露目が行われた。


御湯殿(浴槽は再現)当主専用の風呂
当時は別の場所で沸かした湯を運んでいた。


各部屋にはいろんな釘隠しがあった。

他、たくさんの部屋がある。
華美ではないが、歴史が感じられる。


部屋からは「雄大な桜島」が望めるそうだが・・

庭園に出る。

獅子乗り大石灯籠 笠石は8畳ぐらいの大きさがあるそうだ。

斉彬が、御殿からガス管を引いてガス灯の実験をしたという石灯籠もある。
日本で初めてのガス灯実験成功。

江戸時代に琉球王国から送られたという「望嶽楼」
テレビドラマ「西郷どん」の舞台になったという場所も。


孟宗竹の竹藪
元文元年、21代吉貴は「琉球王国から江南竹(孟宗竹)2株取り寄せて植えた。
ここから全国に広まったという。


コガクウツギ ここで確認できた。
なかなかいい咲き具合に出会わないのだ。

ここで3時間も費やした。 次の場所へ移動。  次に続く。

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