お昼前、外を見ればいい天気。
どこかへ歩きに行く? どこへ行こ。
正月に家族が寄った時、先日書いた「請堤」の話やいろんな話がでたが、その時、なぜだか「大和の清九郎ッて知ってる?」という話になった。
私が「聞いたことない」というと、「知らんの?」とあきれるように言って、清九郎さんの話を教えてくれ、「清九郎道」という丁石道があることも教えてくれたのだった。
今日はしの「清九郎道」を歩いてみることになった。
部屋から見ると日差しが眩しく暖かそうに見えたが、外はかなり寒い。
途中の道も雪が少し残り、行けなければ引き返すことにして・・
場所を見つけて車を止め、歩きはじめる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ab/df64b6f2b40eaec9bb735d9eb790fcbb.jpg)
車道には雪 大丈夫かな・・
山裾の道に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/32/6a3a99d79128050366c3cc720cc4d4e5.jpg)
ナワシロイチゴやモチツツジが霜にあたって紅葉して美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ff/f4ff41f95cfec8cd0f3bd19695dbd0e5.jpg)
雰囲気のよい山裾の道 車道と合流してすぐ、突然の雪道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/bb/fcd09e610eeb8264e59bf82de6f4971e.jpg)
「清九郎の墓道」の道標を進むと、登り窯があった。
説明板と道標があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ec/78823f97ec647c8712321d20f90877a6.jpg)
説明板にあった清九郎の銅像の写真 あっさっき「あの二宮金次郎さん 薪をかついでる」と言って通り過ぎた、あの像だ。
あれが清九郎さんだったのか。帰りに寄ってみようねといいつつ、帰りにはすっかり忘れてた。
右)「右清九郎道」の道標に従って右へ。山道を登る。墓へは1.3キロとのこと。
落葉に雪のかぶる山道。右はヒノキ林
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ac/5034ca7b55155f0c274ba7b945e8d83d.jpg)
九丁目の丁石があった。 登り道が続き 八丁目 7丁目の丁石が続く。
少し平らになったり、切りとおし道だったり・・ちょっと汗ばんできて上着を脱ぐ。
林道に出たところには石の道標が2つ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d0/ba88a663e8498fff72b85c26254eddbe.jpg)
左・ひがいもと(大淀町) 右・ほこたて(高取町)
右)もうひとつの石標には 「せいくろさんはかみち」
すごく冷えてきた。風もある。手もかじかんで感覚がにぶる。
また雪道 寒い。 しばらく行くと左の道への道標があり下って行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/57/073a5e08dc4e666e3035a2c734008c71.jpg)
「清九郎 屋敷跡」と標識が立っていた。 ええ~っ。こんなところに住んではったん?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ca/0830becbefea80980d1daee56592ec2a.jpg)
間もなく墓所があった。 花も供えてあり、整備をしている人もおられるよう。
周りにはスギやアラカシの大木 葉を落とした古木は何?ヤマザクラ??
大和の清九郎さん
『江戸時代の人で、孝行ものであったが、読み書き勘定が不得手で、丁稚奉公をやめたころから、博打や盗みなど非行を繰り返した。
・・老母から妻が残した遺言を聞き、心を動かし次第に信仰の道へ入って行った。
以後、老母と乳飲み子を抱えて家業に励み・・紅葉と徳行を重ねる信仰生活を送り、尊敬を集め、多くの逸話が残る』
若いころの悪行に高取側の村からも御所側の村からも村八分状態になっていたとの話もあるらしい。
だからこんな山の中に屋敷跡があるのか・・と思ったが、その話が本当がどうかはしらない。
後年、尊敬を集めるようになってからは、両方から戻ってほしいと要望があったとかなかったとか・・
とにかく後年には宗派を超えた念仏者 「妙好人中の妙好人」「大和の清九郎さん」と尊敬されたという。
お昼ご飯を持ってくるのを忘れたので、お墓の前で持ってきていたおやつを食べた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/9f/8a8129e0d7e0dcf4ef5098fdc3d16671.jpg)
帰り道は違う道でと、途中にあった光蓮院への→のあった山道を登る。 登りきった所から急な下り道を下ると、下に鉾立集落(高取町)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/74/6b3efc4ef0f2d4efe57f8bf79fff505d.jpg)
下った所に、光蓮寺があった。無住らしく民家のようだが、清九郎さんの菩提所。位牌もあり、毎年4月18日には供養もされるらしい。
右)株立ちの黄色い稈の竹があった。
下って、また山道へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/66/1c2a721031faedaafbffcb45b6a32e01.jpg)
木材が積んであった。材木が切り出されているのを久しぶりに見て、手入れのされた山を見るのも気持ちが良い。
材は短いので何に使うのかな?
左にゴルフ場を見て、縁に沿って下る。
車のところに戻らねばならない。道路地図に破線の道があるらしく、それを探して少し山道を登ってみたがどうやら違うらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/fb/6e5c805877b3582abd698de72f150aa3.jpg)
ずっと下った所に広い道があった。方向的にこちらの方かと思う右に進む。
右)破線の道にしては広いなと思っていたら、間もなく山道になった。この道のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/54/17ae33cc6f1f435f6e31d945334b25fe.jpg)
急な下り道が続く。落葉には雪が薄く積もり、雪のない湿ったところは凍っていて、気をつけながら歩くが、滑りかけた。
下って出てきた所は・・「多分樋野分水工のところに出るはず」と息子が言った通り、見覚えのある施設が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/a6/5ef8200280163ae094364cd8f39fb2dd.jpg)
樋野分水工は「大和川分水」として、山の向こうの吉野川 下渕頭首工から来た水をここで東と西に分水するところ。
左側へ流れる西幹線水路は御所~葛城~香芝方面へ。 右側のトンネルに入る東幹線水路はトンネルを通って壷坂~明日香~山田寺~桜井~三輪~天理方面へ。
水田に水の必要な時期だけ流されるので、今は流れていない。
ここへは2011年6月4日に娘や息子達と来ている。
このブログを書くのに確認したいとがあって「樋野分水工」と検索したら・・私の前に書いた記事が出てきた。
懐かしい。あの時の感動がよみがえった。
(「樋野分水工」で検索 6月4日大和川分水・・ と書いてあるのが私のブログです。
下縁頭首工のことも書いています。よかったら見てください)
しばらく行った右側に神社が見え、立ち寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/5d/72df7d4d38839e4a49bee0aa595a44f2.jpg)
規模は大きくないが風格が感じられる神社だ。神社名はどこにも見あたらず、帰ってから調べて「天ノ安川神社」とわかる。
右)拝殿の間に参道があり、下から登って拝殿をくぐって参拝するようになっている。
『創建年代不詳 元は少し東にあり、この場所には権現堂があったという』
境内の横に「権現堂古墳」の看板があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/dc/ff59a369a63d94f5dcadf37876d384a1.jpg)
6世紀前半の円墳らしい。崩れを防ぐ支えがされていた。
右)中には刳り抜き式の家形石棺が見える。
天ノ安川神社 権現堂古墳 思わぬ見つけものだった。
横を下ると、天ノ安川神社の参道の階段に合流
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/ff/8348f0ae3b745d4bd70872249cd155c4.jpg)
鳥居~階段~拝殿くぐると奥に神社が見える。
下って行くと近鉄吉野線近くの車道に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/fd/db3fba8ec761c3861faa4947f227e18e.jpg)
葛駅近く。 天然の干し柿
坂をのぼって車に戻る。
家近くのバイパスの温度表示は―2℃ 寒いはずだ。
今日歩いたあたりはちょうど高取町と御所市、吉野の境い目 8キロぐらい歩いたらしい。
登り下りもあり、良いウォーキングになった。
どこかへ歩きに行く? どこへ行こ。
正月に家族が寄った時、先日書いた「請堤」の話やいろんな話がでたが、その時、なぜだか「大和の清九郎ッて知ってる?」という話になった。
私が「聞いたことない」というと、「知らんの?」とあきれるように言って、清九郎さんの話を教えてくれ、「清九郎道」という丁石道があることも教えてくれたのだった。
今日はしの「清九郎道」を歩いてみることになった。
部屋から見ると日差しが眩しく暖かそうに見えたが、外はかなり寒い。
途中の道も雪が少し残り、行けなければ引き返すことにして・・
場所を見つけて車を止め、歩きはじめる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ab/df64b6f2b40eaec9bb735d9eb790fcbb.jpg)
車道には雪 大丈夫かな・・
山裾の道に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/c4/d0b78c4f24625b5b9b2c225cab7dade6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/32/6a3a99d79128050366c3cc720cc4d4e5.jpg)
ナワシロイチゴやモチツツジが霜にあたって紅葉して美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/57/c935c7609726779abbe035ef82094640.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ff/f4ff41f95cfec8cd0f3bd19695dbd0e5.jpg)
雰囲気のよい山裾の道 車道と合流してすぐ、突然の雪道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/bb/fcd09e610eeb8264e59bf82de6f4971e.jpg)
「清九郎の墓道」の道標を進むと、登り窯があった。
説明板と道標があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/70/10a434c6c348da0bafeabe5603f534fe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/ec/78823f97ec647c8712321d20f90877a6.jpg)
説明板にあった清九郎の銅像の写真 あっさっき「あの二宮金次郎さん 薪をかついでる」と言って通り過ぎた、あの像だ。
あれが清九郎さんだったのか。帰りに寄ってみようねといいつつ、帰りにはすっかり忘れてた。
右)「右清九郎道」の道標に従って右へ。山道を登る。墓へは1.3キロとのこと。
落葉に雪のかぶる山道。右はヒノキ林
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/63/73c7b50f99cb8089f73968f174231db5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ac/5034ca7b55155f0c274ba7b945e8d83d.jpg)
九丁目の丁石があった。 登り道が続き 八丁目 7丁目の丁石が続く。
少し平らになったり、切りとおし道だったり・・ちょっと汗ばんできて上着を脱ぐ。
林道に出たところには石の道標が2つ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/b9/f8f56627d8bd26eaeea0e699575a4a7f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d0/ba88a663e8498fff72b85c26254eddbe.jpg)
左・ひがいもと(大淀町) 右・ほこたて(高取町)
右)もうひとつの石標には 「せいくろさんはかみち」
すごく冷えてきた。風もある。手もかじかんで感覚がにぶる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/87/c9d689397fe00d4634e9cb7b24c29946.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/cf/f215d5634bdec45860991c9ebf3f25c4.jpg)
また雪道 寒い。 しばらく行くと左の道への道標があり下って行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/79/680af907d89b0898448da3d42538b51d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/57/073a5e08dc4e666e3035a2c734008c71.jpg)
「清九郎 屋敷跡」と標識が立っていた。 ええ~っ。こんなところに住んではったん?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ca/0830becbefea80980d1daee56592ec2a.jpg)
間もなく墓所があった。 花も供えてあり、整備をしている人もおられるよう。
周りにはスギやアラカシの大木 葉を落とした古木は何?ヤマザクラ??
大和の清九郎さん
『江戸時代の人で、孝行ものであったが、読み書き勘定が不得手で、丁稚奉公をやめたころから、博打や盗みなど非行を繰り返した。
・・老母から妻が残した遺言を聞き、心を動かし次第に信仰の道へ入って行った。
以後、老母と乳飲み子を抱えて家業に励み・・紅葉と徳行を重ねる信仰生活を送り、尊敬を集め、多くの逸話が残る』
若いころの悪行に高取側の村からも御所側の村からも村八分状態になっていたとの話もあるらしい。
だからこんな山の中に屋敷跡があるのか・・と思ったが、その話が本当がどうかはしらない。
後年、尊敬を集めるようになってからは、両方から戻ってほしいと要望があったとかなかったとか・・
とにかく後年には宗派を超えた念仏者 「妙好人中の妙好人」「大和の清九郎さん」と尊敬されたという。
お昼ご飯を持ってくるのを忘れたので、お墓の前で持ってきていたおやつを食べた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/ce/0f9a51550a91b7dd67fb326bf37b29ac.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/9f/8a8129e0d7e0dcf4ef5098fdc3d16671.jpg)
帰り道は違う道でと、途中にあった光蓮院への→のあった山道を登る。 登りきった所から急な下り道を下ると、下に鉾立集落(高取町)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/7f/07c1282c247907aa2bd3ce159437cf33.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/74/6b3efc4ef0f2d4efe57f8bf79fff505d.jpg)
下った所に、光蓮寺があった。無住らしく民家のようだが、清九郎さんの菩提所。位牌もあり、毎年4月18日には供養もされるらしい。
右)株立ちの黄色い稈の竹があった。
下って、また山道へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/88/4f4097088fb951c948f618f375852956.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/66/1c2a721031faedaafbffcb45b6a32e01.jpg)
木材が積んであった。材木が切り出されているのを久しぶりに見て、手入れのされた山を見るのも気持ちが良い。
材は短いので何に使うのかな?
左にゴルフ場を見て、縁に沿って下る。
車のところに戻らねばならない。道路地図に破線の道があるらしく、それを探して少し山道を登ってみたがどうやら違うらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/60/0bf8c52d7d92142639cf7da3e1b45220.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/fb/6e5c805877b3582abd698de72f150aa3.jpg)
ずっと下った所に広い道があった。方向的にこちらの方かと思う右に進む。
右)破線の道にしては広いなと思っていたら、間もなく山道になった。この道のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/54/17ae33cc6f1f435f6e31d945334b25fe.jpg)
急な下り道が続く。落葉には雪が薄く積もり、雪のない湿ったところは凍っていて、気をつけながら歩くが、滑りかけた。
下って出てきた所は・・「多分樋野分水工のところに出るはず」と息子が言った通り、見覚えのある施設が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/07/c8d18351bb32eca08f1b9763121b98f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/a6/5ef8200280163ae094364cd8f39fb2dd.jpg)
樋野分水工は「大和川分水」として、山の向こうの吉野川 下渕頭首工から来た水をここで東と西に分水するところ。
左側へ流れる西幹線水路は御所~葛城~香芝方面へ。 右側のトンネルに入る東幹線水路はトンネルを通って壷坂~明日香~山田寺~桜井~三輪~天理方面へ。
水田に水の必要な時期だけ流されるので、今は流れていない。
ここへは2011年6月4日に娘や息子達と来ている。
このブログを書くのに確認したいとがあって「樋野分水工」と検索したら・・私の前に書いた記事が出てきた。
懐かしい。あの時の感動がよみがえった。
(「樋野分水工」で検索 6月4日大和川分水・・ と書いてあるのが私のブログです。
下縁頭首工のことも書いています。よかったら見てください)
しばらく行った右側に神社が見え、立ち寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/95/6ff3f3e64d09dd7965fb8a5b796b5142.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/5d/72df7d4d38839e4a49bee0aa595a44f2.jpg)
規模は大きくないが風格が感じられる神社だ。神社名はどこにも見あたらず、帰ってから調べて「天ノ安川神社」とわかる。
右)拝殿の間に参道があり、下から登って拝殿をくぐって参拝するようになっている。
『創建年代不詳 元は少し東にあり、この場所には権現堂があったという』
境内の横に「権現堂古墳」の看板があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/d9/f1ded3b87c8f9d72c47a21526ab95bb3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/dc/ff59a369a63d94f5dcadf37876d384a1.jpg)
6世紀前半の円墳らしい。崩れを防ぐ支えがされていた。
右)中には刳り抜き式の家形石棺が見える。
天ノ安川神社 権現堂古墳 思わぬ見つけものだった。
横を下ると、天ノ安川神社の参道の階段に合流
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/ff/8348f0ae3b745d4bd70872249cd155c4.jpg)
鳥居~階段~拝殿くぐると奥に神社が見える。
下って行くと近鉄吉野線近くの車道に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/fd/db3fba8ec761c3861faa4947f227e18e.jpg)
葛駅近く。 天然の干し柿
坂をのぼって車に戻る。
家近くのバイパスの温度表示は―2℃ 寒いはずだ。
今日歩いたあたりはちょうど高取町と御所市、吉野の境い目 8キロぐらい歩いたらしい。
登り下りもあり、良いウォーキングになった。
この日はいい天気やったね。私は金剛山に行きたかったけど、車道の凍結が怖くて行けなかったわぁ。
ミッチャンには物足りないカモしれないけど・・
たまにはのんびりコースで。