みどりの野原

野原の便り

1月30日 カンボジア 3日目⑥ アンコールワット・夕食はアプサラダンスディナーショー

2010年01月30日 | Weblog
遅い昼食の後、いよいよアンコールワットへ。

アンコールワットはアンコール遺跡群を代表する寺院建築。
私は今までアンコールワットとアンコールトムしか知らなかった。
逆に、そんな私でさえ知っている有名な寺院だ。
「アンコールワット」とは「寺の町」という意味だとか。

12世紀中ごろ30年余りの年月をかけて建立されたヒンズー教の寺院
であり王墓だという。

15世紀半ば、アユタヤの侵攻に敗れ都は放棄され、密林に覆われて
しまい、地元の人だけがひっそりとお参りしていたが、1860年フラ
ンス人の植物学者によって発見され、世界に知られるようになった。

さらにカンボジア内戦によって仏像など多数破壊されたが、日本や
ユネスコとカンボジアの協力で修復も進み、1992年世界遺産に登録
された。

敷地・建物の規模の壮大さ、デザイン、壁を埋め尽くすレリーフの
表現の細かさ・・・
(ネットによると面積は東京ドームの約15個分の広さだという)
幾多の戦いの歴史をくぐりぬけて今ここにあるのはすごいことだ。

 
西正門を入り環濠を渡る参道 環濠は東西1500m 南北1300m 
幅200m 元はナーガ(蛇神)の欄干があったが、落ちて今はない。
とてつもなく大きいお堀だ。雨季には水はもっと増える。

ガイドのチョットさんによると「アンコール遺跡群の中で正面が西
向きはここだけ。それは王の墓だから」という。
ついでに「クメール人が死んだ時は西枕にする」といい、北枕の日本
とは違うなあと思った。

 
西の搭門を入りまた参道が続く。ここには欄干が残っている。
ここからは祠堂は3つに見える。(後ろに2つ隠れている)
    右)内線の時の弾の後が石敷きに残る。塔門の柱にも弾の
        跡が点々とついて痛々しい。

  
前庭の「聖なる池」に映る5つの祠堂 
聖なる池は「王様のプール」とチョットさん。沐浴場だったらしい。
  右)池に入ってハスの花を切っている女性がいた。
 
  
前庭から 回廊に囲まれた祠堂
 右)この像は顔が残ってますねと言ったら、これは天女だという。
  アンコールワットの中には天女像が1500体もあり、技法や姿が
   同じものは二つとないそうだ。天女=デヴァター 


一番外側の第一回廊 その長いこと。
回廊の壁にはびっちりと浮き彫りがされていて、ガイドさんが説明
してくれた。

 
西面の南側の回廊には「マハーバータラ」というインドの物語
王位を争う戦いの場面が一面にレリーフになっている。

西面の北側は「ラーマヤナ」の物語が。
シータ姫をめぐり、ラーマ王子と悪ものとの戦いで、最後はラーマ王
子の勝利に終わる。
ラーマ王子の味方・敵などの登場人物?も多い。

 
第1回廊の東面の南にはヒンドゥの神話「乳海撹乱」の物語が。
写真は中央部。中央にビシュヌ神。下にはビシュヌの乗り物の亀。
蛇を引き合う左が阿修羅・右が仏 ずっと左の端には蛇の頭が、右
の端には蛇の尾と猿のハヌマンが描かれている。
「乳海撹乱」とはヒンドゥ教の神話で「神々と阿修羅が大蛇を引き
合って1000年間マンダラ山をかき回し海を混ぜた」というもの。
なかなか理解しがたい神話の世界。
海の中のものは死に、海から飛び出した天女が踊る。

今まで見たアンコール遺跡群の寺院の参道の欄干にはたいていこの
蛇を引き合う仏と阿修羅が右左にあった。(ナーガ(蛇)の欄干)


第1回廊の南面の東側は天国と地獄の絵巻ものが・・
上部に天界を・中部に人間界を・下部には地獄を書き、閻魔大王に
審判を受け、地獄に落とされている絵や、地獄の様子が事細かに彫
られていた。

第2回廊の仏像は全部頭が壊されていた。

 
第3回廊への階段
今日は仏教徒のお祭りの日で、登ることはできなかった。
この階段も相当きつそうだ。前はこの中央階段から登ったが、今は
登りやすいように端に木の階段が作ってあった。

 
十字回廊の所にいた遠足?の子供達
第1回廊と第2回廊を結ぶ十字回廊は4つに仕切られ、元は水のある
池だったそうだ。
それぞれ水・火・地・風を表す聖なる池だったらしい。
右)その十字回廊の壁にあった落書き?はなんと日本人のものだと
  いう。その説明を聞いて、また恥ずかしいことをして・・と思
  ったが、それは江戸時代のこと、フランス人により世界に知ら
  れるようになった時より前に、森本右近太夫一房という日本人
  が来て、仏像3体を寄進したらしい。
  そのことを壁に墨で書き遺したのだという。
  今は消されてわからなくなっていた。

説明では森本さんは、ここがインドの祇園精舎と勘違いしていたの
では?ということだったが、墨書のあったおかげで来た年代もわか
った。・・なので落書きとは言わないのかな? 

 
 修復中の図書館(経蔵?)      回廊と祠堂 
   
寺院をでたあたりで、前に拾った果物を売っていた。
 
売っていた果物   拾ったものをホテルで切ってみた
まだ未熟らしく、ナイフには白いゴムのような乳汁がべっとりと
ついて、始末に困った。とても食べられるような代物ではなかった。

近くのレストランでアプサラダンスディナーショウを見
ながら食事

 
アプサラダンス(天女の踊り)ショー   踊り子さんと記念写真

ネットによると、アプサラダンスは「クメール王朝時代、巫女たち
が『ラーマーヤナ物語』などを演じた宮廷舞踏」だという。
そして「ポルポト政権時代に踊り子は処刑され、踊りも絶えたが、
後に再現された」という。恐ろしい時代が少し前にあったのだ。

ダンスが終わった時、ガイドさんが「早く舞台の上へ上がって」
といい、大勢の客のいる中舞台へ上がる。他の人たちもぞろぞろ
上がってくるのかと思いきや・・私たち2人とヨーロッパ人男性1人
だけ。
ちょっと恥ずかしかったが天女さんと記念写真を撮ってもらっちゃ
った。

復習
ホテルに戻ってお風呂に入ってから今日の復習。
どうも複雑な神話の世界がわからなくて、Hちゃんに解説してもら
って少し納得。
Hちゃんの飲みこみのよさに感心する。
勉強しすぎて寝るのが深夜になってしまった。まあ熱心なこと!

いよいよ明日は最終日だ。
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