3~40センチ角の2.5メートルくらいある柱(90キロくらいか?)を
一人で背負って神社の参道を上がっていかれたのにはおどろいた。
一軒おいて、森口米屋があった。ご主人の宇三郎は頑丈なおじさんで牛を引いて米を運んでいた。裏に牛小屋がありよくのぞきに行った
ものである。私より3歳ほど下の男の子がいた。Kちゃんといった。宇三はんは、向日神社のお祭りに使う、正面のちょうちんを立てる
木で作った土台がある。3~40センチ角の2.5メートルくらいある柱(90キロくらいか?)を一人で背負って神社の参道を上がっていかれた
のにはおどろいた。今は軽トラだ。
その隣は安井鍵屋、饅頭屋だった。表だけは覚えているが、中には入れなかった。同級生の女の子Nちゃんと、4つほど上の姉Kさん、
その3つほど上に兄がいた。Tちゃんと言った。お父さんは、小柄な方だった。
隣りに中西さん兄弟妹三人、その隣は藤野さん娘3人息子1人。
細い道があって藤崎さん、ここはお父さんが大映の撮影所に行っておられた。近所でもあまりなかったが自動車で会社に通勤していた。
一男四女の子がいた。今はマンションがたっている。
次は大田さんという、牛乳屋があったが、そこの方はあまりしらないが、10歳ほど上の男の兄弟がいた。
次は、なぜ「滝松」というのかしらないが、小さいうどん屋があった。
次に梶さんという工務店が現在も続いている。その下の家に3年上のHちゃんという無口の子がいた。
そこに吉野という3人家族も一緒に住んでいた。
1年上にHという男の子がいた。随分年上の姉がいて、戦後間もない頃黒人の子どもがいた。いろんな事情があったのだろう。
ちょっと横に入った所に島という家があり同級生のH君と2つほど下の弟がいた。
梶さんの上に東と言う家があり、姉弟妹がいた。妹は聾唖者で喋ることができなかったが、明るい子だった。
ここまでが向日町だったが、記憶もこの家までである。表で作業をしておられたところはよく覚えているが、戸が閉まっているところは、
住んでいた人は覚えているが、その他の事情はわからない。