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大橋みつるの平和ト-ク・・世直しご一緒に!

世界の変化を見ながら世直し提言
朝鮮・韓国・中国・ロシアとの友好促進
日本語版新聞紹介

連載 NO.16 101年前の朝鮮独立宣言書・翻訳資料

2019-12-20 | 3・1独立運動の伝統を受け継いで

NO16

1919年3月1日  朝鮮3・1独立運動の「宣言書」の現代日本語訳 (少し長文ですが・・・)     

                     宣言書

 わたしたちは、わたしたちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人が自由な民であることを宣言する。このことを世界の人びとに伝え、人類が平等であるということの大切さを明らかにし、後々までこのことを教え、民族が自分たちで自分のことを決めていくという当たり前の権利を持ち続けようとする。

 5000年の歴史を持つわたしたちは、このことを宣言し、2000万人の一人ひとりがこころを一つにして、これから永遠に続いていくであろう、わたしたち民族の自由な発展のために、そのことを訴える。そのことは、いま、世界の人びとが、正しいと考えていることに向けて世の中を変えようとしている動きのなかで、いっしょにそれを進めるための訴えでもある。

 このことは、天の命令であり、時代の動きにしたがうものである。また、すべての人類がともに生きていく権利のための活動でもある。たとえ神であっても、これをやめさせることはできない。

 わたしたち朝鮮人は、もう遅れた思想となっていたはずの侵略主義や強権主義の犠牲となって、初めて異民族の支配を受けることとなった。自由が認められない苦しみを味わい、10年が過ぎた。支配者たちはわたしたちの生きる権利をさまざまな形で奪った。そのことは、わたしたちのこころを苦しめ、文化や芸術の発展をたいへん妨げた。民族として誇りに思い大切にしていたこと、栄えある輝きを徹底して破壊し、痛めつけた。そのようななかで、わたしたちは世界の文化に貢献することもできないようになってしまった。

 これまで押さえつけられて表に出せなかったこの思いを世界の人びとに知らせ、現在の苦しみから脱して、これからの危険や恐れを取り除くためには、押しつぶされて消えてしまった、民族として大切にして来た心と、国家としての正しいあり方を再びふるい起こし、一人ひとりがそれぞれ人間として正しく成長していかなければならない。

 次世代を担う若者に、いまの状況をそのままとしていくことはできないものであり、わたしたちの子どもや孫たちが幸せに暮らせるようにするためには、まず、民族の独立をしっかりとしたものにしなければならない。2000万人が固い決意を相手と闘う道具とし、人類がみな正しいと考え大切にしていること、そして、時代を進めようとするこころをもって正義の軍隊とし、人道を武器として、身を守り、進んでいけば、強大な権力に負けることはないし、どんな難しい目標であってもなしとげられないわけはない。

 日本は、朝鮮との開国の条約を1876年に結び、その後も様々な条約を結んだが、〔朝鮮を自主独立の国にするという約束は守られず〕そこに書かれた約束を破ってきた。

 しかし、そのことをわたしたちは、いま非難しようとは思わない。日本の学者たちは学校の授業で、政治家は会議や交渉の際に、わたしたちが先祖代々受け継ぎ行なってきた仕事や生活を遅れたものとみなして、わたしたちのことを、文化を持たない民族のように扱おうとしている。彼ら日本人は征服者の位置にいることを楽しみ喜んでいる。

 わたしたちは、わたしたちが作り上げてきた社会の基礎と、引き継いできた民族の大切な歴史や文化の財産とを、彼ら日本人が馬鹿にして見下しているからといって、そのことを責めようとはしない。わたしたちは、自分たち自身をはげまし、立派にしていこうとしていて、そのことを急いでいるので、ほかの人のことをあれこれ恨む暇はない。いまこの時を大切にして急いでいるわたしたちは、かつての過ちをあれこれ問題にして批判する暇はない。

 いま、わたしたちが行なわなければならないのは、よりよい自分を作り上げていくことだけである。他人を怖がらせたり、攻撃したりするのではなしに、自ら信じるところにしたがって、わたしたちは自分たち自身の新しい運命を切り開こうとするのである。決して昔の恨みや、一時的な感情で、ほかの人のことをねたんだり、追い出そうとしたりするわけではない。

 古い考え方を持つ古い人びとが力を握って、そのもとで手柄を立てようとした日本の政治家たちのために、犠牲となってしまった、現在の不自然で道理にかなっていないあり方をもとにもどして、自然で合理的な政治のあり方にしようとするということである。

* もともと、日本と韓国(注・大韓帝国)との併合は、民族が望むものとして行なわれたわけではない。その結果、威圧的で、差別・不平等な政治が行なわれている。支配者はいいかげんなごまかしの統計数字を持ち出して自分たちが行なう支配が立派であるかのようにいっている。

 しかしそれらのことは、二つの民族の間に深い溝を作ってしまい、互いに反発を強めて、仲良く付き合うことができないようにしている、というのが現在の状況である。きっぱりと、これまでの間違った政治をやめ、正しい理解と心の触れあいに基づいた、新しい友好の関係を作り出していくことが、わたしたちと彼らとの不幸な関係をなくし、幸せをつかむ近道であるということを、はっきり認めなければならない。*

 また、怒りと不満をもっている、2000万の人びとを、力でおどして押さえつけることでは、東アジアの永遠の平和は保証されないし、それどころか、東アジアを安定させる際に中心になるはずの中国人の間で、日本人への恐れや疑いをますます強めるであろう。

 その結果、東アジアの国々は共倒れとなり、滅亡してしまうという悲しい運命をたどることになろう。いま、わが朝鮮を独立させることは、朝鮮人が当然、得られるはずの繁栄を得るというだけではなく、そうしてはならないはずの政治を行ない、道義を見失った日本を正しい道に戻して、東アジアをささえるために役割を果たさせようとするものであり、同時に、そのことで中国が感じている不安や恐怖をなくさせようとするためのものである。つまり、朝鮮の独立はつまらない感情の問題として求めているわけではないのである。

 ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる。

 新しい春が世界にめぐってきたのであり、すべてのものがよみがえるのである。酷く寒いなかで、息もせずに土の中に閉じこもるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。いま、世の中は再び、そうした時代を開きつつある。

 そのような世界の変化の動きに合わせて進んでいこうとしているわたしたちは、そうであるからこそ、ためらうことなく自由のための権利を守り、生きる楽しみを受け入れよう。そして、われわれがすでにもっている、知恵や工夫の力を発揮して、広い世界にわたしたちの優れた民族的な個性を花開かせよう。

 わたしたちはここに奮い立つ。良心はわれわれとともに進んでいる。老人も若者も男も女も、暗い気持ちを捨てて、この世の中に生きているすべてのものとともに、喜びを再びよみがえらせそう。                                    先祖たちの魂はわたしたちのことを密かに助けてくれているし、全世界の動きはわたしたちを外側で守っている。実行することはもうすでに成功なのである。わたしたちは、ただひたすら前に見える光に向かって、進むだけでよいのである。

公約三章

一、今日われわれのこの拳は、正義、人道、生存、身分が保障され、栄えていくための民族的要求、すなわち自由の精神を発揮するものであって、決して排他的感情にそれてはならない。

一、最後の一人まで、最後の一刻まで、民族の正当なる意志をこころよく主張せよ。

一、一切の行動はもっとも秩序を尊重し、われわれの主張と態度をしてあくまで公明正大にせよ。

            朝鮮建国四千二百五十二年三月一日

朝鮮民族代表

孫秉煕 吉全宙 李弼柱 白龍城 金完圭 金秉祚  金昌俊 權東鎮 權秉悳    羅龍煥 羅仁協 梁甸伯 梁漢默 劉如大 李甲成  李明龍 李昇薰 李鍾勳
李鍾一 林礼煥 朴準承 朴煕道 朴東完 申洪植  申錫九 呉世昌 呉華英     鄭春洙 崔聖模 崔麟   韓龍雲 洪秉箕 洪基兆

 

 100年前に作られた「宣言書」 から、現在、私たちが学ぶべきもの

 3・1独立運動を準備した指導者は、民族自決の強い考えを持ち、第一次世界大戦後の世界の新秩序形成の機運への期待を持ち、大日本帝国の占領支配下で朝鮮独立宣言をしたこと。 そして、「宣言書」は、民主主義や民族文化の尊重、軍国主義の批判と東アジアの平和を作り出すこと、排外主義や暴力に走ることを戒めつつ、自分たち自身の新しい運命を歩むことを述べるという、思想的、道義的に大変質の高いものとなっている。

  まず、「宣言書」は、大日本帝国が朝鮮を支配し、朝鮮の文化を劣ったもののように見なすことを批判しているが、日本人一般を責めたり、断交、排撃を訴えたりしているわけではない。むしろ、朝鮮人と日本人が心を通わせるような関係を作り出すためには、武力による支配をやめるべきだと述べているのである。朝鮮人と日本人との関係を悪化させるだけでなく、中国を不安に陥れて東アジアの対立を生み出すことになる、と説いている。

 朝鮮支配のあり方への批判では、武力による威圧的な統治の問題や朝鮮民族・朝鮮文化への抑圧、劣等視、差別を指摘し、統計の虚飾をもって統治を正当化していることについての批判も行っている。これは、朝鮮総督府が韓国併合以来、朝鮮の「近代化」を進めた(例えば、鉄道や道路を整備したとか、近代的な学校や病院を建設した、農業生産を増やしたなど)というが、朝鮮民族の幸福にはつながっていないということを述べ、利益を得たのは誰であったのか、と問いただしている。

 正しい政治は武力によって民衆を押さえつけるものではない、 また、そもそも朝鮮植民地化の過程や韓国併合の際にも、朝鮮民族の境遇に同情した日本人も少数存在する。例えば、足尾鉱毒問題ために心血を注いでいた田中正造は、被害に苦しむ人びとと朝鮮人を重ね合わせてとらえ、被害者のことを忘れて「日韓合邦」を祝うような日本はやがて亡国の憂き目にあう、日本もまたいずれの日か他国に「合邦」(=植民地化)されてしまうであろうと述べている。

 最近のマスコミ報道等を見ると、大日本帝国の支配に対する抵抗を「反日」の語をもって語り思考停止に陥っていると懸念せざるを得ない。いまこそ、100年前に発せられた朝鮮民族の「宣言書」を読み、そのメッセージに向き合ってみることが必要ではないだろうか。同時に、日本人のなかにもわずかにあった、支配を受けている他民族との連帯や自身を省みる動きも思い起こすべきである。

 

 

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住民らは昨年、小泉純一郎元首相の講演会に1300人を集めるなど運動を拡大。

2019-12-20 | 原発やめろ!

核のゴミ拒否の条例

和歌山・白浜町議会 全会一致可決

 和歌山県白浜町議会は18日、原子力発電所などの核燃料や使用済み燃料の同町への持ち込み、貯蔵や処分する施設を町内に建設することを拒否する条例を全会一致で可決しました。住民運動と日本共産党の議会質問が実ったものです。

 白浜町では、原発建設が頓挫したにもかかわらず、いまだに関西電力が土地を所有。福井県知事と関電が2018年のうちに使用済み核燃料中間貯蔵施設を福井県外に決定すると約束する中、同町が計画地点となる危険性が急浮上しました。

 住民らは昨年、小泉純一郎元首相の講演会に1300人を集めるなど運動を拡大。日本共産党は、町議会で何度も取り上げるとともに、昨年3月の町議選で「中間貯蔵施設は白浜町に必要なし」の議会決議をと提案し、現有2議席を確保。今春の県議選では、核のゴミ拒否条例をつくろうと呼びかけて西牟婁(にしむろ)郡区(定数2)で共産党議席を奪還するなど、住民とともに歩みました。

 井澗(いたに)誠町長は当初、「申し出があれば話を聞く」など態度を明確にしませんでしたが、住民運動の広がりのもと昨年9月、「申し入れがあっても協議する考えはない」と表明。町議会は昨年12月、受け入れ拒否の議会議決を求める住民請願を日本共産党以外の反対で不採択にしましたが、今回、町提案の条例を全会一致で可決しました。


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歴史的事件に関連した造形物などは道路を占用できるが、抗日通りの看板には歴史的意味がないと判断したのだ。

2019-12-20 | 韓国あれこれ・・・

釜山東区、「抗日通り」看板の撤去を来月へ先送り

登録:2019-12-20 06:49 修正:2019-12-20 07:16
 
東区、市民団体が建てた抗日通りの看板 
不法造形物と判断し、撤去予定の中 
解決策を見出すために行政代執行を猶予
 
 
釜山東区草梁洞の鄭撥将軍銅像前に建てられた「抗日通り」の看板の前で、ビョン・ジョンヒ釜山女性団体連合常任代表が撤去に反対する1人デモを行っている=キム・ヨンドン記者//ハンギョレ新聞社

 釜山東区(トング)が日本総領事館の近くに建てられた「抗日通り」看板の強制撤去を来月まで延期することを決めた。

 東区は19日、「安倍を糾弾する釜山(プサン)市民行動」(市民行動)が建てた看板に対する行政代執行期限を13日から来月13日まで猶予することにした」と発表した。これに先立ち、東区は市民行動に看板に対する強制撤去戒告状を三回も送った。

 東区は「物理力を前面に掲げた行政代執行を強行し、衝突が発生した場合、双方の傷だけが残る。強制撤去よりは市民行動とともに解決策を探りたい」と説明した。東区と市民行動は27日の協議を進める予定という。市民行動の関係者は、「対話の必要性については双方が共感している。内部会議を経て具体的な事項を決めた後、東区と協議を進める」と述べた。

 市民行動は今年8月、強制徴用労働者像がある鄭撥将軍銅像から直線に100メートルほど離れた日本総領事館前の平和の少女像までの道を抗日通りと宣言した。日本政府に戦争犯罪の謝罪を促す意味であり、市民が直接この通りを抗日文化の街に作り上げていくという意思表明だった。強制徴用被害者のへ賠償を命じた最高裁(大法院)の判決の1周年を迎えた今年10月30日、鄭撥将軍銅像の前に抗日通りの看板を建てた。少女像と労働者像の建設意味と抗日通り作りの理由が変わらないという理由からだった。

 東区は抗日通りの看板を不法造形物と見なしている。歴史的事件に関連した造形物などは道路を占用できるが、抗日通りの看板には歴史的意味がないと判断したのだ。また、公共施設である道路の名前を任意でつけた場合、混乱が生じる恐れがあり、抗日通りの看板を撤去すべきというのが、東区の立場だ。同区の関係者は、「十分な対話を通じて、看板問題を解決できるよう努力する」と述べた。

キム・ヨンドン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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