舞鶴平和ツアー NO.2
引揚記念館
終戦と同時に旧ソ連、特にシベリアからの「引揚船」(こんな言葉がよいのだろうか?)が到着した桟橋が、関電火力発電所が建設された時につくられた「舞鶴クレインブリッジ」の北東にあり、その丘の上に「引揚記念館」が立てられている.
「岸壁の母」の桟橋である。
ご一緒だった野村みのる元京都府議も、シベリアからここについたと言っておられた。また、元京都市議・他谷岩佐(タヤイワスケ)さんの額に入った賞状がかざられていた。
当時の世界情勢の中で、ソ連や中国で捕虜になった日本軍人の中に、帝国主義・日・独・伊軍事同盟と戦う国ぐにの民主主義的な影響を受けた人々が、終戦によって日本に帰ってきて、日本の民主化運動の組織者となって頑張った方が大勢おられる。
中国の延安では、日本軍捕虜に民主主義を教える学校まで作られていた.
「引揚記念館」は、大陸から帰ってこられた苦労が良くわかるように、資料をそろえて展示されている。当時の写真も多くそろえられている。百聞は一見にしかず、機会を見つけて是非見に言ってほしい。
引揚記念館
終戦と同時に旧ソ連、特にシベリアからの「引揚船」(こんな言葉がよいのだろうか?)が到着した桟橋が、関電火力発電所が建設された時につくられた「舞鶴クレインブリッジ」の北東にあり、その丘の上に「引揚記念館」が立てられている.
「岸壁の母」の桟橋である。
ご一緒だった野村みのる元京都府議も、シベリアからここについたと言っておられた。また、元京都市議・他谷岩佐(タヤイワスケ)さんの額に入った賞状がかざられていた。
当時の世界情勢の中で、ソ連や中国で捕虜になった日本軍人の中に、帝国主義・日・独・伊軍事同盟と戦う国ぐにの民主主義的な影響を受けた人々が、終戦によって日本に帰ってきて、日本の民主化運動の組織者となって頑張った方が大勢おられる。
中国の延安では、日本軍捕虜に民主主義を教える学校まで作られていた.
「引揚記念館」は、大陸から帰ってこられた苦労が良くわかるように、資料をそろえて展示されている。当時の写真も多くそろえられている。百聞は一見にしかず、機会を見つけて是非見に言ってほしい。