柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

特待

2007-07-21 08:39:48 | Weblog
オールスター戦、森野がホームラン打つ場面から見ました。藤川が投げて大団円でした。落合監督、投手に一回ずつ投げさせて、これは史上初のことらしいです。やりそうなことですが、様変わりですねぇ。オールスター戦見なくなって何年になるんでしょうか、昔はあれほど楽しみに見ていたのに。昔話は脚色されますから割り引かねばなりませんが、「様変わり」の比較対象は江川の時代じゃなくて江夏の時代です。あの時代はパリーグの試合なんてTV放映されません、年に何度かNHKでやるばかり、パリーグの選手を直に見るのはオールスターしかなかったのです。だからパリーグの選手の気合いの入れ方が違ったわけです、人気のセ、実力のパなんて言われて、通算成績はパリーグの方が優っているはずです、阪急華やかかりし頃です、長池の森本の加藤英のの時代。何と言ってもパリーグはピッチャーが凄いわけです、近鉄鈴木、阪急山田、ライオンズ東尾。第一戦は必ずこの三人、この順番じゃなかったですかね、三回ずつ投げます、先発完投型の三人ですから三回なんてびゅんびゅん行くわけです、セリーグの打者は打てません、王も長島も手玉に取られるという図です、これを楽しみにしていたわけですTV見る観衆は。チームを背負って、リーグを背負って、俺がリーグ一番だと三人とも思ってますからね、見ている方に伝わるんです、面白かったですね、子供が見ても分かりました。そういう意地やら迫力やらが失せていく、顔見せ興業に堕ちていく感じですか。顔見せったって、昔ほどの役者が揃っているわけでもなく、あんた誰?が多すぎますわね、もっともこっちも普段見ませんから選手知らないのはこちらの責任でしょうが。様変わり。変わらねばなりませんがね。知らずにそういう年代層に移行してきたというわけです、昔はこうだったぞ、凄かったんぞって。
 大阪の私立高校、一人で関関同立の73学部を受験して、全部合格していたんだそうです。それは学校の差し金で、受験料140万円学校が出し、この生徒には5万円の報奨金が出ていたそうです。一つ一つ受験する必要のない、センター試験利用の盲点をついた悪事ですが、こんな馬鹿なこと子供が考えませんし第一くだらぬ無駄金こんなに使いませんわね、資格コレクターでもここまでせんでしょう。関関同立公表された144人は実は33人だったという顛末。こんなレベルまで来ているんですね、生徒を集めるためのあの手この手。野球部だけの特待生制度を糾弾するのはいかがなものか、学業優秀者の奨学やら他のスポーツでは許されているのにという論がありましたが、許されているというレベルがこんなことです。底が抜けている感です。五十歩百歩とはこのことですか。
 中国段ボール事件、昨日あれこれ書きましたが、週刊文春今週号にこれには国家の意思が働いているという記事です。この記事の書かれた時はまだ「やらせ」の発表がない時点です。ううむ、この記事の出るのを知って、やらせということにしようと手が回ったか。あれは嘘でしたということにしようと。昨日はやらせ自体を、日本も同じことだという論旨で書きましたが、いや中国の情報管理という特殊性に鑑み、国が出てくるのは十分にあり得ること。この時系列上の並びを眺めるに、当局による情報操作の臭いが確かにしますわね。ううむ、深いこと、というか怖ろしいことです。国の恥として国がもみ消す。あるいはもっと深謀遠慮があってのことか?中国四千年の巨大な雑駁は我々には想像の追いつかぬことなのでしょう。
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箴言風

2007-07-20 08:38:36 | Weblog
中国、例の段ボール肉まん事件、やらせだったそうです。やられましたね。まことしやかなウソとはこのことです。彼の国は白髪三千丈のスケールですから、嘘もとてつもなく大きいわけで、よく言うように嘘は大きいほうがばれないのです、その類の国家的嘘と並んで、「らしさ」が過ぎて皆引っかかるというこんなちんけな騙しも横行するわけです。ま、この事件はこちらには実害のないことで、レベルの低さを嘲うだけの代物でしたから、やらせと聞いてやられた~の思いが湧くだけのことです。文化と文明とが歩を一にして進歩向上していくなんてことはできない相談です。民度(庶民の生活の質)と生活の利便さ(生活上の量の問題)と言い換えられましょうか。経済復興、発展はそこかしこに無理を強いて、皺を寄せて、体全体ギシギシ言わせながら、蒸気機関車が黒煙を撒き散らしながら爆走するイメージです、幼少時(昭和30、40年代)の日本を思い浮かべればいいです、金持ちと貧乏人とがはっきり分かれて、町のあちこちには薄汚いエリアが放置されて、一般庶民の暮らしぶりが上向くには、さらには生活環境が改善されて行くには何年何十年のタイムラグがあったでしょう。まずフレームが出来上がる、一旦勢いがつくと人の性癖です、欲と技術的金銭的可能性とが一致したときにはひたすらに向かいます。これを向上心と言うのでしょうが、要は金儲けですわね、働けば金が入るようになったんです。働いた分給料が上がってきたんです。すると働きます。最大最高の就労意欲のインセンティブですから。これほどに強い動機付けはありますまい。で、あの高度経済成長が成し遂げられたというわけです。かたやでその廃棄物の害が何十年の年月を経て(もちろん経済成長の勢いが止まったからそちらに目が行くようになっているのです、今もどんどん国が儲かっているなら、昔のあの公害騒ぎがそうだったように、無視です。あくまで相対的な事柄です)問題になっている。日本が経済大国にのし上がったメソッド、私は明治時代の富国強兵政策と何ら変わらないと思っていますが、どこか突破口を見つけてそこに技術と労働力を惜しみなく注ぎ込む、副次的にあれもこれもと応用が利いてくる、まさに一点集中、環境なり文化度民度なんぞは二の次三の次。基礎値の違いはあるにせよ、日本も中国も同じ道を同じように歩いているんだと思います。決して人を嘲えないこと。そう思います。中国四千年の巨大な混淆、一方小さな島国の高められた(こちらを高めるしかなかったとも言えるのでしょうが)精神性。違いはこれだけです。富と欲に向かう人の性は、人種による差などないのでしょう。そう思います。段ボール事例、向こうさんの方が荒唐無稽さに長け、幼稚さに長け、不均一さに長けていたということでした。大笑いして、やがて自分に返ってくる。なんだか箴言風の趣でありました。
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偽善

2007-07-19 08:40:30 | Weblog
昨日当地の参院選女候補さんのことをぼろくそに書きました。あれは朝に書いたのですが、昨夕、今度はNHKの地方版でインタビューが放映されていました。こちらは何日か前に現職のものを先に見ました。趣味は?の問いにバンドやってる、なんて答えてました。で、女候補さんです、昨夕はきれいに映ってました、化粧の有無はわかりません(昨日はスッピンなんて決めつけてましたが、あれは単に私の印象ですので事の真偽とは違います、あしからず)。なれば、ライティングやらアングルやらの違いだったのかしらということ、政見放送とインタビューとの当人の緊張度の違いが大きかったのかしらと思うことです。そして中国新聞の今日の朝刊、写真入りの記事です、ああ、これはポスターのそれに近いわ。と、段々よくなる法華の太鼓、でした。昨日あれだけ言いましたので、その後の印象もそのまま正直に書きました。ただ、言っていることはやはり総花的で、掴み所のないことでした。この印象は変わりません。
 宮本顕治死去の記事です。共産党の巨魁です。この人に私は詳しくないのでなぞるばかりですが、光の出身だそうです、初耳でした。頼りにした人も多くいたでしょうが、あの時代です、声を潜めてた親族も多かったでしょうね。共産党のいい時代(そんなのがあったのでしょうか、左翼華やかかりし時代、進歩人、進歩的文化人なんて左翼思想をもてはやした時代、そういうときは確かにあったんでしょうけれど)悪い時代、そのどちらもトップとして経験した人だと、立花隆が新聞に寄稿しています。寡聞にしてピンときません。思想の違い。私は左翼思想を嫌う者ですので、対極に位置する、霧に隠れた巨人というイメージだけです。面白いと思ったこと、コラムで取り上げたのが中国、日経と読売、知らん顔が朝日と毎日でした。こういうことを面白いと思うこと自体、彼を語る資格がないということですかね。合掌(これを偽善と思われる向きには敢えて反論しません)。
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歴史

2007-07-18 08:43:31 | Weblog
朝NHKで政見放送やってました。女候補のものしか見られませんでした。この人初めて見ました。まず第一印象、あららポスターの顔と違うこと。おお、よく見ればスッピンなりや。笑顔が全くなく、ひきつって、原稿読むのに精一杯、しかもその原稿がトホホもので・・。ああ、これじゃぁねぇ。女だからというわけにもいかないですよこんなんじゃぁ、民主党さん。化粧っ気のない顔でTVに出たのはきっと戦略だったんでしょうし、こういう時はこうするもんだなんてマニュアルがあるんでしょうが(いわく化粧濃くすると女からの印象が悪くなるとか、ケバい印象は逆効果だとか)、いやいやそれは間違いです。きれいでこそ女ですわ。化粧くらいしなさいな。いえ、諸姉を敢えて挑発するのではありませんが(しかしこういうところで引っかかるフェミニストさん達がいらっしゃればどうぞかかってらっしゃい)、きれいしにして女なんでしょう?汚いのが男で。TVに映るにスッピンはないでしょうにね。痛々しいです。それとも、地で、生身で勝負せねばならぬのだ!と仰言いますか。着飾ってならぬ、人間性で男とサシで勝負だ、と。馬鹿馬鹿しい。つまんない理屈ですわ。可愛い、綺麗な、頭の涼しい女候補であればこっちですよ。選挙のプロ達はそうは考えないのでしょうか。考えないんでしょうね。もっと見た目にうるさい、口喧しいおばさん、オッさん連中こそが多数と踏んでいるんでしょうね。化粧濃いいねぇ、あの女!ちゃらちゃらしてねぇ。こういう評価の方を怖れるんでしょうね。面白いですねぇ。私みたいに感じる者もきっと同じ数だけいましょうにね。というか、彼らは私のような考えの集団より、そうじゃない人達を大切にターゲットにしているというわけです。うむ、それだけのことです。そして内容。これは貧弱。総花。ちらちら原稿に目を落としながら読むんですが、どうにも薄いこと、こっちに何も伝わりません。短い時間にどう訴えるか。それこそ「プロ」が寄ってたかって組んだプログラムでしょうに、できの悪さは本人に帰すってわけですかね。なんだか、当人さんが気の毒になってきました。そんな放映でした。
 中国新聞に、イギリスの中学校の指導要綱からチャーチルとヒットラーとが必修事項から外れたという記事です。見出しは「チャーチル、ヒットラー 教えません」です。必修から外れただけで、教えてはいけないではないのですが、こういう報道です。オーバーですが、どこにも反体制教員(日本のように沢山)はおりましょうから、教えない奴がどんどん出ます。そして歴史は隠されていくというわけです、これは他ならぬ我が国で十分に実験証明されてきたことです。私達は明治以降の歴史を殆ど学校で聞きませんでしたね、時間がないというつまらない理由でしたか。石原慎太郎が言ってましたが、歴史を逆に辿っていけばもっと面白いのにと思います。縄文弥生の、大化改新のというところからいつも始まるから、歴史教育が年代覚えに落ちてしまっているのでしょう。明治維新の意義意味、日清日露戦争の本当の意味、大正デモクラシー、五一五・二二六事件の意味・・みんな隠されてましたね。教えないんですから。ああ、日本だけじゃないんだ、と思いました。その国に都合の悪いことだけでなく、ある勢力にとって都合の悪い歴史は消されていくわけです。心せねばなりませぬぞ、諸姉諸兄。
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切り口

2007-07-17 08:37:39 | Weblog
昨日のサッカー、フリーキックで得点した場面から見ました。蹴ったのは中村俊輔じゃなかったです。へぇ、こんな得点できるんだと感心しました、2-1。三点目はその中村でしたが、連中好きそうなパスパスとつないでドカン!という形ではあったんですが、見ていておうおうとは思いましたが、アナウンサーやら解説の松木某が言うほどに美しくも速くもなく、おまけに最後のシュートもとてもズドン!という形容ではなかったです。いわば敵さんの未熟に助けられたパスの練習みたいな形。ワンツーでひとり抜きましたが素人目にもゆっくりしたもの。その他のパスはどれも自分の前で考える間があるんです、遅っ!だからゆっくりとセンターで待っている俊輔に回ってきて、ああ回ってきたのね、なんて感じでシュートする、たまたま左隅に刺さった、ま、ここは彼の技術の為せるところでしょうが、そういう見栄えでした。ワールドカップで見るようなパンパンパン、ズドン!というリズムじゃなかったです。でも、業界人達はああいうのが好きなんです。縦パス一本で受けて、一人ドリブルで抜いていって弾丸シュートというのより、こっちが好きなんでしょうね。ああ、これじゃぁ世界じゃ勝てんわなぁと素人が思ったことでした。弱い相手には勝てるが道理です。強い相手には勝てぬも道理。皆分かっているんですけれどね。
 新潟地震。小千谷や山古志なんて名前がまた新聞に載っています。まことに気の毒に思います。前回の中越地震は夜でした、見える映像は闇夜のそればかり、電気が止まれば灯りもつかぬはず、ヘリコプターからの絶叫は「火の手は見えません!」「何も見えません!」いかにも残念!という気持ちが伝わりました。神戸淡路地震のあの画像的にも「おいしい」惨劇惨状を期待しているのがありありでした。もっとも、見ている方もそうでしたが。今回もヘリコプターは探し回ります、被害を悲劇を捜します。昼前でしたからよく見えます。報道とはそういうもんですが、この意図が何だか嫌な気がします。言葉にも表れます、怪我人なし、怪我を負った人はいませんという報告、テロップ。どうして全員無事と言わんかなぁ、と女房言いました。なるほど。怪我人がいるはずだ、いて欲しいという前提だからでしょう、と答えてました。家の壊れた人に「お気持ちは?」なんて聞いている。「今後いかがですか?」なんてぶしつけな失礼な無茶な質問で普通のおばちゃんにマイク向けている。どこかの局がこう言う報道を一切やめてみれば良いんですがね、勇気があればの話ですが。他局と違うことをするということは、やるべきをやらないという誹り、後塵を拝するという誹りを越えねばなりませぬ、この勇気をどこが最初に持つか。どの局見ても変わり映えのない映像、喋り、内容です。もっと違う切り口があるはずですわね。そういう才能が集まっている所じゃないんでしょうか、マスコミ業界は。今は、如何に速く、いかに他の局より速く第一報を出せるか、スクープ映像を出せるかの勝負なんでしょうね。数分の違いですよきっと。後の何時間は延々同じ情報の垂れ流し。報道形態の一新も図ってもらいたいと思うことです。
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台風一過

2007-07-16 09:18:32 | Weblog
台風一過で、昨日は当地よく晴れました。夕方にはまるで秋の陽のような、白くない(強くない)、木々や遠くの山の姿をくっきり見せる、黄金がかった柔らかい澄んだ陽射しが包み、ひんやりとこれまた秋を思わせるような風が吹きました。台風の次の日の清々しさはよく経験するところですが、8月、9月の台風ならいざ知らずです、7月中旬です。おまけに夜中には雨が降り始め、なんと冷たい風が吹き込んで。おいおい。今朝の気象情報番組では、寒気が流れ込んで天気が不安定だ、なんて言ってました。寒気に過ぎるんじゃないの?7月よ、今。とまれ、また暑い夏がやってきますね。ここ数年、年々暑くなっていくように思います。どうぞご自愛下さい。暑中(に向けて)お見舞い申し上げます。
 参院選、未だ序盤ですが、山口県内でも鄙(人口の少ない)の地である当地では、申し訳程度に宣伝車が回ってくるだけです。関係者(県議市議町議など議員さん達)はここが仕事場なんでしょうが、未だ静かなもんです。ま、市長や市議選とは熱心さが違いますわね、票の多いところを優先するは戦略の基本でしょうし、全県一区と広い範囲だから選挙期間も長いわけですが、やはり勝負と踏む地域に多くを投入するものでしょうから。でも、全県一区というのも大雑把であり散漫なものです。こっちのスイッチが入らないと言うべきか。人じゃなくて政党、普段の好みで選ぶというわけです。当地は首相の膝元でもあり、また当地では名の売れている自民党の二世現職が強いのでしょうが、対する民主党も共産党も工夫のないことで、今回もまた「あんた誰なのよ?」のレベルから出られません。一回一回候補者が変わるからでしょうね、地道に知名度を上げていこう、次の次の選挙を狙おうなんてビジョンじゃないですから。その場その時で場当たり的に候補者を決めるからでしょう。当ててやろうではなくて誰か当たらんか、のレベルです。だから現職に勝てないのでしょう。現職に才能や力で負けるのではなくて、現職の知名度に勝てないのです。有権者の選択肢として同じ土俵に上がってないのです。その人同士を比べられないから(比べられませんわね、知らないんですから)、政党とか見た目とかで選ぶしかないわけです。もっとも、知っていたところで、最後は見た目が大きな要素を占める好き嫌いで人は選ぶんですが。政権交代の、政治生命を賭けてだの小沢さんは脅迫口調、相変わらず社民党女党首は前の婆様と寸分変わらず「安倍さんはダメです!」しか言わないし、安倍さんが良いの悪いのの前に野党が勝手に転けてる図です。自民党が何度も懲りずに蹴躓いているというのに、それを誹りながらこっちも転けている、そうあの吉本のギャグのノリです。「ごめんくさい」ステーン。「おじゃましまんにやわ」ステーン。評論家が言うように(本当に大勢いますねぇ、くそみそ政治評論家達。勝手に予想すればいいこと、楽な商売と思うけれど、この業界も裾野がだだっ広いのでしょうからTVで喋るなんてのは大成功者達なんでしょうね、その割にはつまんないことばっかり言っているけれど)自民党大負けするんでしょうか。諸姉諸兄、そう思われますか。
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2007-07-15 10:12:00 | Weblog
イチロー5年110億円です。ベッカム様には届きませんが、こんな夢みたいな、現実離れした額の話は単に数字の比較だけです。ピンともポンとも来ません(くやしい!)。新聞にはイチローらしいインタビューの受け答えが載っています。高給を求めて移籍するのが当然の世界で、一球団でプレーし続けることの思いを聞かれた答えです、カールリプケンを格好いいと思っている、茶髪が流行しているときに黒髪の美しさが映えるように、と。こんな言葉は急に口をつくものではありません、普段からの用意があってのことです。そういう場面が来たらこう言う。その用意。いい手本です。彼と同じことは誰にもできません、そこに追いつこうというのではなくて、日頃の準備ですわ。プレーに対する、体の手入れに関する彼の人並み外れた用意周到さはよく伝えられているところ(運動能力が優れているだけではない、天才は人の何倍も努力を重ねているのだという教訓調で)ですが、この男の才能は言葉の方にも伸びています。インタビュー馴れだけではこれだけのことは言えないでしょう。実際、この人の素(す)の言動やら態度やらが放映されると、普通のあほです。こっちが勝手に高見に祀り上げていると転けます。つまり彼はきちんとプロであって、カメラやマイクに向かってはきちんと演じられる才能にも長けている訳です。これは凄いことと思います。メジャーで一流張れるタマなんです。
 天声人語に岩波文庫の話です。丸谷才一の言を引いてます、書店の分け方には岩波文庫を置いている店と置いてない店というのがあると。これには実感があります。今でこそインターネットでの代引き購入という田舎に住んでいる者にとって有り難いシステムができましたので、近所の本屋にとんと行かなくなりましたが、もともと本好きです、本屋に行くのは好きでした。でも井の中の蛙ですから、この本屋に並んでいる本が全てであるわけです、ないものはない。注文して取り寄せるなんて事はしたこともありませんでした。岩波文庫、あの茶色のカバーのついた、他の小説などの文庫本とは明らかに雰囲気の違う、古典やら翻訳物やら若い者にも教養モノのシリーズであることはわかる本でしたが、これは当地ではめったに目に触れるものではありませんでした。つまり、鄙の当地では岩波文庫を置いてない本屋ばかりでした。そうでない本屋を初めて見たのは広島の大型書店でした。駅前のビルに入っている大型「量販」書店でした。小さな本屋しか知らない身にはびっくりしてうれしいことでした、広いワンフロア全て本、本、本。そこのワンコーナーにずらりと岩波文庫並んでいるんです。おお!デカルト、ソクラテスに始まって、ヘーゲル、マルクスの資本論、徒然草、枕草子、小泉八雲、宮本常一・・おお!あるところにはある!この驚きというか、当地になかっただけのことなんだということに改めて気づいたことでした。あの本棚一面に並んだ薄茶色の文庫本のシリーズを見たときの感動は忘れません。国民の教養面ばかりでなく、思想面も引っ張ってきた歴史は厳たるものであります。十分に左に寄った立ち位置は、朝日と並び称される牙城と象徴化されていますが。そのうち、当地にも「やや大型」書店がやってきて、一時小さな町に三店も乱立模様、こっちは色々あった方が嬉しいんですが、どこかが手を引くんだろうなと素人でも思っていたところ、そのうちの一店に当地で初めて岩波文庫の本棚がお目見えしました、これも嬉しかったですねぇ。でも、残念ながら撤退したのはこの店でした。その後は、一つの店でほとんど入れ替えのない約20冊程度の岩波コーナーがあるばかりとなりました(これももう何年か前の記憶です、今はどうか知りません)。岩波文庫の置いてない書店で育った身には、今日のこのコラムは実感にあふれた、実体験に裏付けられた思いでもって読めました。こんな経験はなかったですか?
 
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勘違い

2007-07-14 08:41:30 | Weblog
台風どうか被害少なくと祈ります。南九州には毎年毎年毎年毎年同じことが繰り返され、この科学の時代に一方的に好きなだけ殴られるばかり、それでも人々はその地を離れず、修復しては壊されの中で生きている。でも南九州なんて大きく括るからそういう言い方になるだけで、当地で何年か前に大水が出て大変な目に遭った如く、被害を受ける場所は毎年違っているんでしょう、「あん時はすごかったのう」で済んでいるから同じようにそこで生きられるのではあるのでしょうが。
 読売にこんな記事です、酔うより怖い薬物混入という見出し、酔わされて前後不覚でなく薬飲まされて記憶まで飛んでしまう被害が増えてきているという注意勧告ものです。へぇ、こんなとこまで来たのかという感心です。睡眠剤がこんなに簡単に手にはいるということでもあります。酒に酔わせて送り狼なんてのが、つまらん男の昔からの卑劣な手でしたが、今時薬ですわ。その性的趣味の悪さというか気味の悪さは唾棄軽蔑すべきものですが、だいたいからそんな手を使わなければ女落とせない(この表現に反応される方々、どうぞここはさらりと進んでください)ということ自体論外ですわね。でも世の中にはそんな輩がウヨウヨおるわけです。女の方々どうぞご注意あそばせ。この記事にはご丁寧にも注意事項が絵付きで載っていますご紹介しましょう、席を立った後は飲み物を注文し直す、グラスの中の異物や沈殿物に注意する、濃い色の飲み物は注文しない。何だか寒々しいこと、気分のささくれだつことですね。こんな時代なんです。
 ベッカム様、5年で300億円契約ですって。新興地アメリカならではのでかい話ですが、しかし金になるんですねぇ。羨ましいことです。元手がかかりませんもの、体一つですから。
 中国新聞にはセクハラに関する講演会の記事です。この話題についても多く書いてきましたが、やはり程(ほど)というものがあるべきで、福島女党首が言いそうな「女がいやと思ったことは全てセクハラ!」なんて猛々しい言い散らかしはいただけませんし、「まぁそう言うな、これもコミュニケーションじゃ」なんてこういう時にだけ横文字でごまかそうとする脂ぎらせた禿げ親父も排除されるべきなんですが、この記事はその極端おばさんのことのようです。昭和31年生まれ、女文芸評論家という肩書きです。写真も載ってます。ああ、こういう人ね。セクハラに文句言いそうな顔ですわ。決して自分に向けられたものではないことなのに、まるで女全体に向けられた卑語のように捉えて、女を代表して抗議します!と来る。あなたには絶対誰も何も言わないっちゅうの!というお顔です、得てしてよくあるパターンですが。記事にはこうあります、かの藤原紀香の結婚式でウェディングケーキを互いに食べさせる場面を司会者が解説したんだそうです、男は「一生食べさせてあげるよ」女は「一生あなたのためにおいしい料理を作るわ」という意味が込められているって。それに彼女呆れて噛みついています。テレビ局はチェックが働かないのでしょうか、なんて。おうおう、藤原紀香はセクハラのセの字も思い浮かべていないっての。余計なお世話ですわね。言われ慣れているか、言われたこともないか。この違いはとっても大きいはずです。言われたことのない者がしゃしゃり出ずともいいことです。本来のところに戻らねばならぬのでしょうね、こんなに拡大解釈が続けば際限がなくなります。特にこの手の勘違いおばさんが出てくるとどんどんセクハラ範囲が拡大します。本来のセクハラは、パワーハラスメントと呼ばれる上司部下の関係で女部下がいやな目に遭うことを指していたでしょう?そう言う関係でないところであるなら、単純に公然猥褻罪です。セクハラじゃありません。でも、こういう調子乗りにかかると、単に言葉狩りになっていくわけです。ハラスメントの拡大解釈です。自分に向いてもないのに自分は女の代表だなんて顔で鼻の穴膨らませて怒ってる。あなたがオーバーなだけじゃないんですか?それじゃぁ左翼さん達と寸分違いませんよ。え?左翼さん、でしたか。それはそれは。
 
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噛みつき

2007-07-13 08:42:06 | Weblog
朝日新聞の一般人の投稿欄(「声」)を利用したマッチポンプぶりは月刊誌上では有名な話ですが、ハハーンこれかと思う記事です。投稿者の小学校の卒業式、今までは対面式(なんでも卒業生、在校生、教員、父兄が対面するんだそうです)だったのに今年の3月から教員だけがこっち向きの「通常型」に変更された。入学式もそうだった。校長が「上からの圧力で変更させられた」と言い、投稿子は「ただ子供の後ろ姿が見えるだけで、寂しさを感じた」そうで、並び方まで強制する必要はないと思う、と括っています。圧力だの、強制だのと臭いがプンプンします。もちろんこんな考えする人もそこかしこにいるんでしょうが、反左翼の言論人達に言わせるとこういう、一般人を騙って「語らせ」それを記事に受けて大きくしていくのがこの新聞の手口だとなります。そういう見方すればそうですねぇ、この文章は周りから浮いてますわ確かに。尤もこの欄に載るためにはそれなりのテクニックがいるのでしょうし、そういうものだと読まねばならぬもの、敢えて噛みつくほどのことでもないのではあります。
 もう一つ噛みついて。日経の全面広告にイチローのバッティングフォームの写真とMVPを讃える文章です。これは別にいいんですが、写真のキャプションに「ランニングホームランを打った瞬間」とあって、変な感じ。あの打席のまさに打った時の写真でしょう、それはそれでいいんですが、ランニングホームランを打つことはできないと思うのです。偶々結果としてそうなっただけで、打った瞬間にランニングホームランはないわけです。よく解説者が言います、打った瞬間にホームランと分かる当たりなんて。オーバーフェンスするものはこういう表現もピンときますし違和感ないですが、ランニングホームランはあくまで結果ですよね。じゃぁあのキャプションどうすればいい?オーバーフェンスと思われたが結果としてランニングホームランとなった大きな当たりを打った瞬間のイチロー選手、なんて。くどい?全く。やはりこれでいいんですかね。ということは、いつも言うことですがこの私の語感がおかしいって事でしょうか。ううむ。
 肉まん(関西人は豚まんと言います、この東西の言い方の違いは有名ですね)の具になんと段ボールを入れていたという中国の話。豚肉と段ボールくずとの比率が4:6ですって。段ボールの方が多い・・。いや笑えません、馬鹿にできません、例の挽肉事件があります、日本人とて同じことです。国の経済状態がグンと右肩上がりになってどんどん儲かる時期、社会全体の金回りがよくなる時期にはこういう粗製濫造や暴利の貪りはあることなんでしょう、きっと日本でもアメリカでも他のどの国も経験することなんでしょう、それが今中国で起こっているだけのことなんでしょうが、でも何だか流石に中国四千年、やることが桁が違う感じです。こういう発想がすごいですよね、段ボールですよ。同じ騙すのなら・・のノリ。あの挽肉社長もそこまではできなかったことですが、他の肉を混ぜるところ、まだまだ小物だったと言うべきか。いや、五十歩百歩ではありますがね。
 久しく話題から消えていた病気腎移植の話、厚労省が公式見解です、病気腎移植には医学的な妥当性がない、んだそうです。つまり否定です、原則禁止なんて幅もたせたような例によっての曖昧文言ですが。医学的な妥当性って何でしょうかね。どうせ学会学者達が決めたことでしょうから、異端を許さず、まつろわぬ者は許さずと言う報復に過ぎぬのではありますが、こういう文言の白々しさというか木で鼻くくったような小馬鹿にしたような蔑みにはおぞげ立ちます。腎移植需要はものすごく高いのです。それに反して供給が全く足りていないからこういう手段が工夫された。そういう経過です。そして結果も悪くない、決してとんでもない手段じゃないんです、摘出された人も移植を受けた人も大過なく生きておられるのです。積極的に勧められる方策ではないにせよ、ばっさり切り捨てるほどの悪手でもないはずです。もっと症例を増やす(もうこれができませんが)、今までの症例をちゃんと追いかける、両者にどれだけの利益不利益をもたらすのかちゃんと評価する、そういう手続きの上で判断すべき事でしょうに。そうしたというなら、データをこっちにも見せて欲しいことです。倫理上ってことであるなら(きっとそうなんでしょう、あるいは医学常識上と言うか)敢えてここは待つべきでした。当局としては認めがたいが、それでもやるというなら不利益の及ばぬよう十分に症例厳選して万全を期すべし、とかなんとか言って。ばっさり芽をつんじゃぁならぬ事と思います。正確厳密に検証していけばいいことなんです。いけない!やってはいけない!ばかりでは事は進みません。そう思われませんか。
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時間差

2007-07-12 08:43:54 | Weblog
イチローでしたか、とうとう。(ライブでなくて)録画版のオールスター戦、BSでこれまた偶々見ました、九回のソリアーノ(この人、昔広島カープにいたんですよ)の打席からでした。TVつけたらここからでした。状況呑み込むまで時間がかかりました、3点差で2アウト・ランナー一塁、マウンドには新進気鋭のクローザーという場面、もうイチローは引っ込んでいましたが実況アナウンサーやら解説する長谷川やら梨田が彼がMVP候補であることをさかんに言う、へぇ何かやらかしたか、と思っているところガツンとツーランホームランで一点差。更に四球でピッチャー交代、その後もまたまた四球四球。途中ハーフスイングでゲームセットかという場面がありましたが、そこはそれ審判も分かっている「セーフ!」解説の二人口を揃えてました、あれはシーズンなら絶対ストライクアウトだと。で、満塁まで詰め寄られて、ここで一本出ればイチローのMVPはなくなります!なんて展開、ベンチも真剣ですわ。最後はライトフライで事なきを得てゲームセット、イチローめでたくMVP。背広姿でグラウンドに現れる。これまたどういうこと?分かっていたのか?後のコメントでは、レストランの予約入れていたから早く帰ろうと支度していたそうです。ほんとかどうか。で、インタビューです。(もちろんペラペラの英語で)女アナウンサーがまくし立てる、イチローすっと英語で答えるかと思いきや、通訳を待って日本語で来ました。「インサイドパークホームランでしたから」こっちも彼女が何聞いているのか分からない、でいきなりこれまた初めて聞く単語。何々?まだ訳文のテロップが付いていないバージョンでしたから(夜の番組ではちゃんとテロップ流れてましたが)わからない。パーク?この球場の愛称かい?この球場が独特であることは知ってましたから、そのことかいなと勝手に「意訳」して聞いてましたが、全然違いました。答えが中国新聞のコラムにありました。ランニングホームランのことでした。これが和製英語であるとも初めて知りました(ナイターが和製英語であることは知ってましたが)。色々勉強になることです。このコラムは最後に広島カープの窮状を訴えて終わっています、コラム子の気持ちよくわかります、でもイチローの後ろにカープを見るのはちとレベルが違いすぎましょうね。でも、凄いことですね。イチローのレコードメイカーぶりは私が改めて言うことではありません、日本人がメジャーリーグのオールスター戦でMVPなんてのも大快挙に違いありません。でも、こういうことであればイチローならやるんじゃない?と私如き水準の素人にも思わせるところがもっと凄いと思います。淡々と涼しい顔して事を成していく。この凄みでしょう。実況アナウンサーが感心していました、オールスターのMVPのインタビューを日本人の我々が直接に一番に理解でき、放映の対象たるアメリカ国民には通訳を通して時間遅れで伝えられる、この今目の前で起こっている出来事が凄い、と。なるほど、そうじゃなぁ。私達は英語で発せられるコメントやら情報、知識を日本語に訳して理解してきました、今もそうです。英語文明が格上と知らず思わずに引いています、通訳の時間差に象徴されてきました。たかが野球の一インタビューにそんな大仰なと思われましょうが、イチローが実はあのくらいの英語は十分にその場で理解できて、英語でスラスラと返すことができたのに敢えてやらずに通訳を通したとしたら、この人なかなかですがね。そう思いながら、いつもの逆向きに時間差のあるインタビュー聞いていました。
コメント
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