柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

特殊な環境

2007-06-09 08:35:43 | Weblog
長嶋、国松、末次、柴田、土井、黒江、堀内、吉田、そして川上監督。確かに懐かしいです、どなたも現役辞めた後も巨人のスタッフに残った人達、今の感覚では考えられない九年連続日本一という偉業、ONという核を固定された名脇役達で包む、典型的な九人野球。あの頃のラインナップは多くの人が諳んじて未だに言えるんじゃないですか。一番センター柴田、二番レフト高田・・・。三、四番がでかすぎたもんだから、強い時代の巨人が最後まで埋められなかったのが五番打者でしたね。国松だったり、末次だったり、柳田だったり、古くは高倉なんてね。でも、まだ巨人は長嶋にすがりつきます。病人を引っぱり出します。もういいかげんにしなさいよ。本当にそう思います。長嶋本人の意向であるなんて言うんでしょうが、いつまで長嶋長嶋なんでしょうね。この人しか人を呼べない、金にならないという現実なんですけれどね。ううむ、僻目には違いないんでしょうが、ううむ。王さんの気持ちがわかる気がします。仕事にかこつけてああいう場に出なくてすむ安堵というか。一人でいれば下へも置かれない世界の王が、この人と二人でいるときだけは刺身のつま扱いというのもいいかげん面白くないでしょうしね。
 倉敷の4歳の我が子を唐辛子で殺した母親事件。えげつないことですが、この手の猟奇性には悲しいかな馴らされましたね。中国新聞には、この母親が幼少時に自分の母親から虐待を受けていて、我が子をどうやって可愛がったらいいのかわからなかったと出ています。負の連鎖。学者はこう括るのでしょうね。確かに「局地的」な、特殊な環境での悲劇なんでしょう、となればこの子もこの女から産まれた運命(さだめ)です、親を選べない、子も選べないは人の生き物としての業です、粛々と従容と流れるところに流れ着くしかありません。この子はこうやって死ぬ運命であったわけです。またまた児童相談所の失着なんでしょうか。いや、私達の目にはこういう失敗事例しか示されませんから、命救えた、親子関係を修復できた例も少なくとも同じ数はあるのでしょう、もっと多いかもしれないとは想像します。でも、手を突っ込むことのできないところが大きすぎる、広すぎるのです。親子の間に誰が割って入れるのか。よしんば割って入っても、その後のその子の将来を誰が見ていくのか。責任問題に一番弱いのが行政です。手を拱いているうちに、子を親元に帰した隙に、という事例ばかりですから。親の教育なんて言いますが、これはできません。染みついた性癖を拭うことはできません。この女から産まれた不幸。特殊な事情。そうなんでしょうか。そうなんでしょうね。何百何千年も局地的に綿々と続いてきた現象なのでしょう。そう捉えるばかりですか。
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