柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

独善

2012-04-30 09:10:18 | Weblog
嫌いな言葉は?と問われて「自分探し」と答えていたタレントだか俳優だかがいました。膝を打ったことでした、よくぞ言ったり、この幼稚な風潮の中で。絆の、元気をもらうの、勇気を与えるの、そこらのガキどもまでが平気で僕はエライでしょう?のドヤ顔で話している、それを真ん中で許しているこの社会の空気。あれです。高校野球の選手宣誓にはまったく反吐が出ます。あれでいいと思ってる頭ん中が、ああいう風に言わせてる大人達の偽善と事勿れ主義が。綺麗ごと言ってれば皆黙るだろうという安直さは情けないばかり。自分探し、なんてのは自分の無能さを棚に上げて、今やらねばならぬことから逃げるを正当化しようとするクソのような言い訳です。実際にこういうことを口にして連中何やってるかと見れば、フラダンス踊ったり、山登ったり、オッサン達の定番はそば打ちです。ったく。他にやることあんだろうよ!そんなに毎日が面白くないかい?元々何の能もない奴が今更体中探したって何も出てこないっつうの。自分って何?いい歳して何言ってる?全くどうしようもなく幼稚な社会になったもんです。
 内田樹(たつる)という学者、物書きがいます、あちこちによく書いてます、よく読む機会があります。物事をクリアカットに見て、わかり易いモノが多いとの印象を私は持っていますが、一方で左翼学者と仕分けられてもいる人です(そこのところ私にはわからないのですが)。でその人の文章が朝日に載ってました、結婚も就職も入れ歯と同じ論という見出しです。入れ歯は何度つくりかえても合わない人がいる。一発で合って長く使う人もいる。もちろん義歯そのものの出来不出来は大事な要素だけれども、本人の適応力が大きな要因なのだという論です。歯を失って入れ歯を装着しなければならぬという状況にいち早く順応適応できる人は入れ歯に体(口)を合わせる。そうでない人は体(口)に入れ歯が合わねば辛抱できない。なるほど。私は長くパーシャルデントの使用者で早晩総入れ歯になって行く身ですので、この辺りの感覚はよくわかります、比喩ではなくて体感できます。そしてそれを敷衍して言います、就職も結婚も同じことだ、自分自身は少しも変わらずに自分のままにいて、それにぴったり合う理想の配偶者や理想の職業との出会いを待ち望んでいる人は、たぶん永遠に「ぴったりくるもの」に出会うことはできないでしょう、と。その通り!どんな職業に就いてもそこそこの能力を発揮できて、そこそこ楽しそうな人こそが成熟した働き手なのだと。いいじゃないですか。自分探しなんかしなくてもあなたはもう既にあなた以外の何物でもないのだ。こういう考え方のどこが左翼なんでしょうねぇ。左翼さんなら、人には自分をより高める自由がある!とか自らの能力を求める権利がある!なんて言いそうです。この人は別の本ではこうも言ってます、新潮45の5月号です。物事をクリアカットに二元論(正邪、理非、善悪)で分けてしまうは危険だ。現代はあらゆる領域で「問題は非常に簡単である」と決めつけて、悪者を作りあげて、そこへの攻撃や排除によって解決するという手法がまかり通っている(フラット化志向と命名していますが)。他者に対する寛容と想像力を失ったら社会は危機に瀕するのだと。これもグレーゾーンを排除してはならぬという論です、人は右か左かで生きているのではないという考え方です、唯物論の対極です。いえ、この人の思想を嗅ぐのが目的じゃありません、内容に賛同しての引用なのでしたが、もう一つここで感じたのは明らかな橋下さんへの抗議反論でした。橋下さんは、何も知らない学者が机上論振り回すだけだ、学者は言いっ放しておけばいいんだから気楽なもんだとか、学者を敵にして叩くのが手なんですが、この人も名指しで非難されてましたから。もっとも橋下さんにかかれば自分を批判する相手は全部敵ですけれど。だからこの文章も明らかに橋下さんを想定してます。危ない奴は橋下だって。TVで反論できないとなればこういう手段ですわね。是非ご一読を。
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