ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

これはまた大変だと思う話(ヤングケアラーほかの件)

2022-09-20 00:00:00 | 社会時評

先日次のような記事を読みました。

家族の世話をしていること、誰にも話せない 「消えたい」中学生が見つけた解決の糸口 #今つらいあなたへ

内容については記事を読んでいただければいいとして、私が「どうもなあ」と思ったくだりを。

>A君の母親は、A君が小学校高学年の頃から精神状態が不安定になりました。周囲の人に対して疑り深くなり、泣いたり怒ったりするため入院をしましたが、薬を飲むことで症状は良くなりつつあったそうです。しかし担当医が高圧的だとして治療の途中で退院し、その後はどこにも通院していないとのことでした。父親は何度か通院を勧めましたが、強く拒否されただけではなく「私が嫌だと言っているのにそんなに勧めてくるなんて何か裏があるはずだ」と母親から攻撃されたため、すっかりあきらめて腫れ物に触るような対応をするようになったそうです。

病識がない、あるいはそれが不十分で、通院治療を自分でやめてしまい、さらに精神疾患が進む、あるいは改善しないという話はよくききます。私が以前読んでおったまげた記事があります。さしさわりがあるので、当事者の方のお名前ほかは不記載ということでご了承願います。

どうもねえ(2)

つまりは非常識な行動ばかりして、かなりひどい妄想状態にある男性(たぶん統合失調症か何かの精神疾患に罹患している)が、こう堂々と書き記しているわけです。

>私自身、よくこんな状態で発狂もせずに生き続けているなと思います。

>不思議なことに自殺する気が起こらず発狂もしていきません。

「発狂」という言葉が妥当かどうかはともかく、冗談で書いているのでなければここでこの書き手の人が書いていることはどう考えても何らかの精神疾患の影響があると私は考えますが、どうもご当人そうは考えていないわけです。それにしてもご当人の書いていることも支離滅裂で、この続きには、次のようにあります。

>近畿大学教授時代にハラスがひどかったわけですが、一年間の休職期間中に近大医学部人見教授に一年間診療していただきました。先生は近大医学部の精神科の主任教授です。

つまり自分でも、自分が精神科に通院していたということを認めているわけです。だったらやっぱり精神に何らかの問題があるということではないかと思いますが、ご当人の解釈ではそういうことでもないのでしょう。で、これも理由はわかりませんが、どうもその通院も自分の考えでやめてしまったらしい。「自分には通院の必要はない」と考えたのかどうかは不明ですが、どっちにしたってこれでは治癒もしくは病状が改善なんかするわけがない。で、当時この人は娘さんと同居していました。それで

>⑤娘と私は2009年2月7日日本に向けて出発し、日本の田舎に永住することを決意。
さまざまな意味で現実との接点に執着する限りシステムはそこにリンチを浴びせてくる。自殺はできないが奥地でくらすことにより接点を極小化し打撃を最小化する。この際、一番辛い決断として娘が日本の小学校で再びリンチを受けた場合、その後の通学や進学を断念する決断をほぼ固めた。異常かつ最も辛い決断であるが、これを乗り越えない限り娘へのリンチという形でシステムの攻撃が継続することを予測するからである。娘の進学断念の覚悟こそ現時点での最も高度な決断と考えた。親子ともども外に出る度に携帯攻撃ほか、敵に囲まれ、気分転換の余興のようにリンチを浴びせられる。コンプレックスの裏返しとして私たちへのリンチを楽しむ人々がいる。こういう状態を親子が忍耐し続けることはひたすらマイナスであり、娘はもう耐え切れない状況だと痛恨の思いで決断した。

とまで書いていましたので、非常に私は心配しました。幸いお子さんが学校に行かないという事態は避けられたようですが、どう見てもこの時点ではこの人に養育能力があるとは思えません。

それで、その関係ですが、上の紹介記事でのこちらのくだりはどうか。

>そうこうしているうちに、母親の具合は段々悪くなっていきました。仕事に行った父親の携帯に何度も電話をして、電話が繋がらないと「会社に行っていないのではないか」と直接職場に確かめに行くようになりました。父親は「仕事が手につかない。会社をクビになるかもしれないな」とA君に漏らしたそうです。A君は父親が仕事をクビにならないように何とかして母親を落ち着かせなければと考えるようになりました。

A君は「母親の病気のことは一切外で話さないように」と父親から言われていたため、誰かに相談するという考えはまったく頭に浮かびませんでした。父親は母親が病気になってからは親戚付き合いもやめてしまったため、身近に頼れる人もいませんでした。

「最初は親のために学校を休んでいたけれど、だんだん学校に行きたくなくなってきた」

A君は父親が仕事に行っている間、母親の相手をするために遅刻や早退を繰り返すようになりました。そして母親の代わりに食事作りや洗濯などの家事を行っていましたが、次第に学校を欠席することが多くなっていきました。

「最初は親のために学校を休んでいたけれど、だんだん学校に行きたくなくなってきた。誰にも母親のことは話せないから取り繕っていないとならない。友達とは生きている世界が違うから、学校に行くとかえって辛くなってしまって……」とA君は語りました。

父親は初めのうちは「学校はどうした?」とA君に尋ねていましたが、「学校はつまらないし勉強は家でできるから」とA君が答えているうちに、「Aがそう言うなら」と学校の話をしなくなり、家事や母親の相手を全面的にA君に任せるようになったそうです。

母親はA君が家に居て自分の相手をしていることで精神的に落ち着きを取り戻していったように見えたそうです。父親は嬉しそうな様子で「Aのおかげで仕事を辞めなくて済むよ」とA君に伝えました。

その後医者から子どもの思いを聞かされた父親は、

>私は父親に、A君の今の「消えたい」という訴えの背景には、病気の母親の世話をはじめとした家庭内の問題が関係しているであろうことを伝えました。

父親は「Aが家に居て母親の世話をしてくれると私は仕事に行けるし、母親もそれなりに落ち着いていたので……もともと強い子だから、Aなら大丈夫だろうと思ってあまり深く考えていなかった。そこまで追い詰められているとは気づかなかった」と涙を浮かべました。

ということになったそうです。

しかしこれ読んで私正直この父親を「ひどい親だ」と思いました。これ完全な子どもへのネグレクト、虐待でしょ。いくらなんだって、

>父親は初めのうちは「学校はどうした?」とA君に尋ねていましたが、「学校はつまらないし勉強は家でできるから」とA君が答えているうちに、「Aがそう言うなら」と学校の話をしなくなり、家事や母親の相手を全面的にA君に任せるようになったそうです。

母親はA君が家に居て自分の相手をしていることで精神的に落ち着きを取り戻していったように見えたそうです。父親は嬉しそうな様子で「Aのおかげで仕事を辞めなくて済むよ」とA君に伝えました。

>Aが家に居て母親の世話をしてくれると私は仕事に行けるし、母親もそれなりに落ち着いていたので……もともと強い子だから、Aなら大丈夫だろうと思ってあまり深く考えていなかった。

って、つまりは嫌なことを全部子どもに押し付けているだけじゃないですか(呆れ)。で、世の中のヤングケアラーの問題というのも、よろしくない事態になったケースを観ていると、やはり特定の人物に過度にさまざまなことを押し付けたという側面があります。これはかなり話題になった事件ですが、2020年に起きた神戸での介護殺人事件はどうか。

仕事と介護で睡眠2時間 相次ぐ暴言、徘徊を我慢 祖母殺害へ至る過酷な日々

> 短大を卒業後、2019年春からは夢だった幼稚園教諭として働き始める。同時期、1人暮らしだった祖母の認知症が悪化した。

 「叔母さんは子どもがいる。家庭がある。父は病気。伯父さんは忙しい。昔からお世話になっていたし、私しかいない」。当時の被告はそう考えた。

 19年5月に同居を始めた。祖母は平日昼間はデイサービスに通い、平日の夕食の用意や通院の付き添いは叔母が担っていたという。平日夜と週末の介護は被告が1人でこなした。

 帰宅後、慣れない仕事で持ち帰った作業をしながら介護に追われる。祖母は認知症の影響で「お金を取ったやろ」「泥棒」と暴れることも。トイレの介助は約1時間おき。徘徊(はいかい)に付いて、1時間ほど歩いたこともあった。

 「想像以上に大変だった。睡眠は1日に2時間程度。寝ているのか、起きているのか、分からない状態だった」と被告。叔母に相談したが「認知症やから」などと返された。叔母は高齢者施設の入所に否定的だったといい、被告は「我慢するしかないのかなと思った」と振り返った。

執行猶予付き有罪判決を下した裁判長は、

>当時21歳で社会経験に乏しかったことなどに照らせば、被告人が介護負担軽減策をとることは実際上困難だったと考えられる

と指摘しています。これは、私が先日書いた記事同様、この女性が逃げちゃえばそれまで程度の事件でしたが、これもやっぱり「昔世話になったろ」とかいう殺し文句で、めちゃくちゃな介護を押し付けられたとしか言いようがないですね。こんなのとても仕事と両立できるような状況じゃないでしょう。

家を出れば解決する程度のことで家族3人殺害にいたったのは、本人のみならず肉親ほかにとっても痛恨の極みだ(宮崎家族3人殺害事件)

そして一応は社会人であるこの女性より、中学生であるこの子どもはさらに立場が悪いですからね。けっきょく嫌なことを全部押し付けられて、それを拒否する術すらないということになります。だいたい中学生に関しては、学校に行かなくなったという時点で、あまりに事態が重大であるということになりますが、この時点では父親としては、もはや完全に子どもに依存していたということになりそうです。学校側も、さすがに事態を重視しなかったのかとかいろいろ不審に感じる部分もありますが、子どもへの人権侵害があまりにひどすぎる。

正直介護なんて、児童・学生、あるいはフルタイムで働いている人間の手におえる代物ではないので、するのであれば、いろいろな人間の協力、行政ほかの支援が必要ですが、そういったことすらろくにされない。神戸の事件では、殺害した女性が

>事件が起きたのは19年10月8日。前夜、被告は自殺未遂を起こしている。

 「明日からまた介護と仕事なのか、と思って」

という状況にまでなっているわけで、逃げることすらできずに、自殺未遂、殺人という最悪の結末になってしまったわけです。自殺が既遂になったらこれまたひどい話で、ほんと救いがありません。なおこの件については、過去にもこのブログで記事を書いています。

けっきょく断れない立場の人間(主に女性)が介護を押し付けられる

上の親もねえ、もしこの通りなら、子どもが学校に行かなくなった時点で、これは最高レベルにまずいと考えてそれを何とかしなければいけませんが、おそらくこの父親にとっては、子どもが学校に行かなくなったのは、「渡りに船」だったんじゃなかったんですかね。ほんと無責任な親です(呆れ)。そう評したら厳しすぎるでしょうか。そうは私は思いませんね。

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ミスFLASH2023ファイナリストを何人かご紹介(追記あり)

2022-09-19 00:00:00 | 美女探求

過日光文社が出している雑誌『FLASH』が主催するミス・コンテストである「ミスFLASH」のファイナリスト15名が発表されました。記事を。

 

>「ミスFLASH2023」ファイナリスト14人お披露目 33歳の雪野まどかは貝殻水着で登場
[2022年9月17日16時27分]

「ミスFLASH2023」選考オーディションのファイナリストが17日、都内でお披露目された。

15人のうち14人が水着姿で登場。年齢は17歳から33歳まで幅広く、33歳の雪野まどかは貝殻水着を着けて登場。「青森のホタテの貝殻です。興味のある人は買ってください」と水着をPRした。セミファイナル総合ランキングで1位を獲得した阿部美月(21)は「保育士の資格を持っていて、エプロンシアターを作っています。笑顔でほんわか、一生懸命に頑張っていきます」とアピールした。

光文社が主催するミスコンテストで今年で17年目。今後は15人の中から「ミスFLASH2023」を数人選出。来年1月にグランプリを発表する予定。

このコンテストは、3名が選出されます。また記事にもあるように33歳の人もエントリーしているくらいだし、十代の優勝者はあまり出ず、30過ぎのグランプリの人(沙倉しずか)もいるくらいです。たぶん他雑誌主催のミスコンと比べて変化をつけるため、ややアダルトな年齢の人たちを重視しているのでしょう。

なお上の人たちについてご紹介しますと、前列左から宮地蘭来、青山泰葉、都丸亜華梨、阿部美月、心愛、石川舞華、弓川いち華、後列左から福村萌衣、橘舞、鈴川侑奈、井上晴菜、雪野まどか、山本唯奈、日永はるか(以上敬称略)とのことです。みなインスタやツイッターのアカウントを持っていると思いますので、興味のある方は検索してみてください。上の写真の出典はこちら

ついでにもう1枚。これは、最初に選抜された10名の写真です。こちらより。上の10名についての情報はこちら

では、私が目についたファイナリスト(コンテスタント)を何人かご紹介。まずは、最年少の宮地蘭来ちゃんを。なおリンク先は、ミスFLASHのエントリーサイトより。写真も同じ。以下同じ。

「ミスFLASH2023」候補者/宮地 蘭来

ご当人の弁によると高校2年生とのことです。で、彼女によると、このコンテストに応募したのは、いつも読んでいる雑誌だからとのこと。高校2年生の女の子も、『FLASH』を読むんですかね? ここでははりつけませんが、彼女Tバックも辞さないなかなか根性もある女の子です。また上の写真の出典はこちら

9月30日追記:蘭来ちゃんの動画を。

現役女子高生の宮地蘭来、過激さで3回凍結も「17歳でグランプリ勝ち取りたい!」

さて上の写真を観ていて思ったのですが、蘭来ちゃんて原田美枝子のデビューしたての頃に似ていませんかね? これは、原田が蘭来ちゃんと同じ年に撮影した『青春の殺人者』より。

次は、茨城県出身の鈴木優愛ちゃんです。若干茨城なまりがありますかね。彼女は、上で紹介したイベントに唯一出席しなかった人です。さすがに出たほうが有利だと思いますが、彼女はすでに芸能人として活動しているので、どうしても都合がつかなかったんですかね。そのあたりは定かでありません。

「ミスFLASH2023」候補者/鈴木 優愛

フルートを持つパフォーマンスをしてくれたのが、鈴川侑奈ちゃんです。下の写真の出典はこちら

「ミスFLASH2023」候補者/鈴川 侑奈

趣味の欄にフルートがありますね。音大生とのこと。お嬢さんなのかな? 彼女もすでに事務所に所属しているアイドルですので、いろいろ多方面に活躍する方針なのでしょうね。

個人的には、最年少の蘭来(らら)ちゃんを(原田美枝子に似ているから?)応援したいのですが、ただ上にも書いたように、このコンテスト若さより、成熟さというかアダルトな雰囲気を重視しているからなあ。ちょっと厳しいかもですね。何とも言えませんが。

では、この日の動画をはりつけておきます。

「ミスFLASH2023」ファイナリストが水着姿で集結!グランプリ目指し意気込み

最後に、ファイナリスト以外の人たちが出ているイベントの動画もはっておきます。

【ミスFLASH2023】未来のトップアイドルを発掘!44人が水着でアピール

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JR西日本を中心とするローカル線乗車を主とする旅(あと福岡)(2021年12月~2022年1月)(Day6-2)(26)

2022-09-18 00:00:00 | 旅(国内)

天神の街をすこしぶらつきます。

博多駅に戻ります。

デパートほかをすこし散策します。

昼食を食べたいと思いましたが、どこへ行こうか思案します。

駅に近接する店で食べます。

おいしくいただきます。

〆のちゃんぽん麺をいただきます。

店を出ます。

いよいよ博多ともお別れです。

福岡空港へ行きます。いきなり帰京はせず、まずは大阪に行く所存です。

搭乗エリアに早めに足を運びます。

いよいよ搭乗です。

エンブラエル190という飛行機です。ブラジルのメーカーで、日本ではJALのグループ会社であるジェイエアほかが導入しています。というわけで、今回は、関連会社が運航している便ということになります。

昨今LCCばかり乗っているので、機内サービスが新鮮です(完全なLCCではありませんが、スカイマークは、チョコレートやコーヒーのサービスあり)。

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JR西日本を中心とするローカル線乗車を主とする旅(あと福岡)(2021年12月~2022年1月)(Day6-1)(25)

2022-09-17 00:00:00 | 旅(国内)

今日で九州を離れます。朝食をホテルでいただきます。

勝手に盛った図です。

ホテルをとりあえずチェックアウトします。荷物は預けます。

1月2日ですから、太陽も弱弱しい。

正面のホテルには、今月(2022年9月)にも泊まりました。

バスに乗ります。

どこで降りたかというと、

福岡市美術館に向かうためです。

てくてく歩きます。

何の展覧会があるかというと、

ゴッホ展があるわけです。これは外せません。2022年に最初に行った展覧会です。

すでに期日・時間指定のチケットは購入しています。並びます。

展示は写真に撮れないので、省略します。見終わった後ショップなどで時間をつぶす人もいます。

さすがゴッホ、鮮やかな色です。考えてみれば、ずいぶんいろいろなところでゴッホの展覧会を観たな。

美術館を後にします。

天神方面に歩きます。

護国神社もありました。

天神方面に歩きます。

てくてく歩きます。

なかなかかわいい女の子です。

こういうのもいいですね。

紀元2558年だってさ。1898年?

ネットカフェで休息兼日記執筆です。

行列ができているラーメン屋ですかね。

(つづく)

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JR西日本を中心とするローカル線乗車を主とする旅(あと福岡)(2021年12月~2022年1月)(Day5-6)(24)

2022-09-16 00:00:00 | 旅(国内)

無事(でないと困ります)博多駅に到着します。

駅に隣接する店で、とんこつラーメンをいただきます。

チャーシューメンです。

ご飯もいただきます。

つまみのチャーシューもいただきます。

替え玉です。

こちらの店です。うまい。

駅の電飾の写真を撮ります。

今日は1月1日ですので、映画の安い日です。よって、映画の鑑賞初めをします。TOHOシネマズ 天神・ソラリア館です。

観たのは、『あなたの番です 劇場版』です。別に原田知世を好きなわけじゃありませんが、なぜか観てしまいました。

宿に戻ります。さすがに人が少なく、少々不気味でした。

天神の地下道がこんなに人がいないのも、元旦ならではですかね。

ホテルに戻ります。明日は、九州を出ます。

(つづく)

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家を出れば解決する程度のことで家族3人殺害にいたったのは、本人のみならず肉親ほかにとっても痛恨の極みだ(宮崎家族3人殺害事件)

2022-09-15 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

せんだって次のような本を読みました。

「死刑になりたくて、他人を殺しました」 無差別殺傷犯の論理

著者は、写真家兼文筆家のインベカヲリ★という女性で、Amazonの内容紹介では、

>死刑という「安息」――
なぜ人を殺すことでしか、彼らの思いは遂げられなかったのか。

「死刑になるため」、「無期懲役になるため」と、
通り魔を行い、放火をし、見ず知らずの人を傷つける凶悪犯が後を絶えない。
彼らはなぜ、計画を実行し犯罪をおかすことができたのか。
我々と、あるいは彼らと同じ境遇にいる人々と、何か違うのか。
本各界の研究者、彼らを救済する人びとに上記の問いを投げかけ、
そのインタビューの中から「彼ら」の真の姿、そして求めているものを探る、ルポルタージュ。

【取材者】
秋葉原無差別殺傷事件犯人 加藤智大の友人 大友秀逸氏
宅間守・宮崎勤らの精神鑑定士 長谷川博一氏
東京拘置所・死刑囚の教誨師 ハビエル・ガラルダ氏
永山則夫の元身柄引受人候補 市原みちえ氏
10代少女毒物殺人事件 支援者 阿部恭子氏
元刑務官 坂本敏夫氏 など

とあります。全9章で、どれも面白かったのですが、本日ご紹介したいのは、上にある

>阿部恭子氏

に取材した章です。彼女は、

>第1章 加害者家族を救う人
阿部恭子
NPO法人WorldOpenHeart理事長

として冒頭に登場します。彼女を冒頭にしたのは、やはりこの本のために取材した人たちの中でも、彼女の話が特に貴重であるということでもあるのでしょう。彼女については、拙ブログでは2記事でそのお名前を取り上げています。

想像を絶する最悪の事態だと思う(加害者家族の死)

女性から男性へのDVというのも、いろいろ問題があるし、それがまた最悪の事態になることもある(宮崎家族3人殺害事件と岩手県の妻殺害事件)(追記あり)

この記事では、私が「なるほどねえ」と思ったくだりを1つだけご紹介しますので、該当部分を引用します。上の拙記事でも紹介されている宮崎家族3人殺害事件と岩手県での殺人です。岩手の事件については、下にリンクした記事をご参照ください。

「お嬢様と召使」妻を殺害した“優しい夫”、本人が語った遺体を必死に隠し続けた悲しい理由

>阿部氏は、この二つの加害者家族を支援し、ある共通点に気づいたという。

「加害者家族は、本当に純朴な良い家族なんですよ。地域の人もすごく良い人たちだし。だから悪意を知らないんだよね、そこで育った彼らは。逆に言うと良い人すぎる。お嫁さんからの暴言とか、義母とかの暴言に歯向かえない。だから、暴言を吐くような義母が出てきたら、悪魔のように思うんだろうな。加害者も正義感が強くて、自業自得だろうという発想がどこかにあったのではないかと」

引用文中、「お嫁さん」とは岩手の事件、「義母」とは宮崎の事件のことを指しています。

で、これを読んで「なるほどねえ」と私は思いました。岩手の事件については、阿部さんの書いた文章以外私は情報を知らないので何とも言えないのですが、宮崎の事件については「そうかもな」と思える部分がありました。私は、以前、宮崎の事件の犯人で死刑が確定して現在福岡拘置所に在監している奥本章寛死刑囚の親については、報道されている姿を見たことがあるからです。このご両親は、態度といい、表情といい、人の良さを感じさせるのに十分でした。また、義母が罵倒したとされる故郷の周囲の住民も、いろいろこの夫婦を支援してくれるそうです。死刑囚の親となると、周囲から嫌がられて転居を余儀なくされることも多いかと思いますが、この事件についてはそのようなことはないようです。テレビ出演時の画像(スクリーンショット)がありますのでご紹介します。テレビに出たものですから、ここで私が紹介しても問題はないでしょう。出典は、こちらの動画から。2015年の報道です。死刑の確定は、2014年。

死刑が確定した後福岡拘置所に面会に行った奥本死刑囚の父親です。

地域の人たちからも、このような温かい言葉をもらえたわけです。

奥本死刑囚の地元では、彼や彼の家族をサポートする集会も開かれています。

先ほどの引用の続きで、著者(インベさん)の書いたくだりを引用します。

>傍から見れば、離婚して距離を取ればいいだけの話に思えるが、そこが「家族へのこだわり」の強さなのだろう。これ以上周りに迷惑をかけないために、最善の選択として、殺人に手を染めてしまうということだ。

前にも私も書いたように、岩手の事件も同じでしょうが、奥本死刑囚の話も、そういう暴言をぶつけられたら、もう同居は無理だと思います。奥本死刑囚が家を出るか、義母を追い出すかのどちらかでしょう。離婚するかどうかはその後としても、ともかく義母と奥本死刑囚の同居は継続できないでしょう。しかし奥本死刑囚は、家を出ることすらできず、まさに殺人という最悪の手段でそれを清算してしまったわけです。さらに引用しますと、

>しかし、悪者を成敗した結果、『宮崎家族三人殺害事件』の奥本は死刑判決を受けている。

「そんなに女性がみんな優しいわけないじゃないですか。ちょっと悪い女性に何回か騙されていたら多少は違うけどね。慣れてないんだよね、悪意に。だから最後に殺っちゃう。逃げるとか別れるとか浮気するとかさ、みんな適当にそうやってやり過ごして、殺しまではやらないと思うんだけどね」

なお、岩手の事件はそういうことはないのかもですが、奥本死刑囚は、出会い系サイトを利用していて、これが義母の𠮟責につながったようです。だから浮気はしていたといえばしていたわけですが、むしろそれが最終的に彼を追い込む1つの要因になったわけです。つい先日次のような記事を書きました。

詐欺というのは、現在から過去へ逆算していけば、だれも引っかからない(が、その場での判断を余儀なくされるのが厳しい)

これはなんでもそうですが、この事件についても、義母にもいろいろ言い分はあるのでしょうし、それは考えないとしても、「こんな人間(義母)殺す価値もない」「さっさと逃げればいいじゃん」「こんなやつ追い出せ」「奥さんと子どもまで殺すことはない」など、現在から過去へ逆算して物事を考えれば、こんなことすることないという結論以外はありませんが、まさに彼はそういうことをしてしまったわけです。以前の拙記事でもご紹介したように、阿部さんは、地方に暮らしていることによって視野が狭くなりすぎていたのではないかという趣旨の指摘をしています。たぶん奥本死刑囚が東京などで世帯を持っていれば、義母との同居はなかったでしょうし、もっと気楽に離婚ほかの解決策もあったはず。しかしそういったところまで犯行時の彼は頭が回りませんでした。ほんと、加害者・被害者双方の家族(双方の家族も他人ではありません。家族間殺人は、残された遺族は、加害者遺族と被害者遺族同時になることになります)、その周囲にいたるまで、悲惨極まりない事件だったと思います。

なお上の本はおすすめですので、興味のある方はぜひお読みになってください。

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この日がそんなに遠いとは思っていなかったが、ついに来てしまった(ジャン=リュック・ゴダールの死)(追記あり)

2022-09-14 00:00:00 | 映画

タイトルにもしたように、この日が来ることがそんなに遠くでないことは覚悟していましたが、ついに来てしまいましたね。記事を。

>仏映画の巨匠 ゴダール監督死去 91歳
2022年9月13日 20時14分 

フランスの主要メディアは、13日、フランス映画界の巨匠、ジャンリュック・ゴダール監督が死去したと一斉に伝えました。91歳でした。

ゴダール監督は、1950年代から60年代にかけてフランスの映画界に新風を吹き込んだ「ヌーベルバーグ」の旗手として知られています。

1960年に公開した、映画「勝手にしやがれ」のほか、「気狂いピエロ」など数々の作品を手がけ、その作風は世界の映画人に大きな影響を与えました。

そして、1965年のベルリン国際映画祭では「アルファヴィル」が最高賞の金熊賞を受賞したほか、1983年にはベネチア国際映画祭で「カルメンという名の女」が最優秀賞の金獅子賞を受賞するなど国際的にも高い評価を受けてきました。

一方で、1960年代後半から一時期、商業的な映画からの決別を宣言し、政治的な映画の製作に取り組んだこともあります。

ゴダール監督は近年も映画製作に携わり、2014年には「さらば、愛の言葉よ」でカンヌ映画際の審査員賞を受賞しました。

フランスの大手紙ルモンドは、「ゴダール監督はフランス映画界に長く影響を与え続けた。その作品と人生は革命以外の何ものでもなかった」と功績をたたえています。

フランスの主要メディアによりますと、ゴダール監督は13日に亡くなったということです。

91歳でした。

うーん、残念ですね。繰り返しますが、ジャン=リュック・ゴダールもさすがに90歳を超えたご年齢ですので、いつお亡くなりになっても不思議ではないと思っていましたが、やはりその日が来るといろいろな想いが私の頭の中を交錯します。

ところで自殺ほう助で亡くなったという報道もありますね。記事を。

>ゴダール監督は「自殺ほう助」で死去と仏紙 
 【パリ共同】フランス紙リベラシオンは13日、映画監督ジャンリュック・ゴダールさんは、スイスで認められている「自殺ほう助」により亡くなったと報じた。

たしかにスイスでは、自殺ほう助は認められてはいます。それが事実なら、相当具合が悪かったのか、それともそうでもないのか。この辺りは、今後より詳しい報道があるかもです。微妙な問題ですので、第3者が踏み込むのはまずい部分もあるでしょうから、あるいはあまり突っ込むべきではないかもしれません。ただこの報道が事実なら、正直残念な気はします。

記事発表日(午前5時45分ごろ)の追記:やはりどうも、自殺ほう助による死だったようですね。記事を。

>【9月13日 AFP】13日に91歳で死去したフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)氏が、自殺ほう助により亡くなったことが分かった。同氏の法律顧問がAFPに明らかにした。

 顧問は仏紙リベラシオン(Liberation)の報道を認め、ゴダール氏が日常生活に支障を来す複数の疾患を抱えていたことから、スイスで自殺ほう助により自らの命を絶つことを決めたと説明した。スイスでは、判断能力があり利己的な動機を持たない人に対する自殺ほう助が認められている。ゴダール氏は数十年にわたり、スイスの村ロール(Rolle)で隠居生活を送っていた。(c)AFP

私は、自殺を積極的に良いとはもちろん思いませんが、最終的には自殺する権利を人間は持つとは思っています。ただ上にも書いたように、個人的には、ゴダールの自殺ほう助による死はとても残念です。

では本題に。私は小学生のころから、やれゴダールだ、トリュフォーだ、ジェーン(バーキン)だ、カトリーヌ・ドヌーヴだとわめきちらしていたようなおませな少年でした。そういう私からすると、わが映画人生のごく初期から本当に大きな影響を受けた監督さんということになり、ほんと心に一つ穴が開いたような気分です。

さてさて、前にも指摘したことがありますが、私にとってゴダールという人は、女性の好みの一貫性に頭が下がる方です。まず最初の奥さんであるアンナ・カリーナです。彼女も2019年に亡くなっています。

2番目の奥さんのアンヌ・ヴィアゼムスキーです。母方の祖父がフランソワ・モーリアックであり、ロシア貴族の系統の名家の生まれです。

結婚したわけではありませんが、80年代のゴダール映画のミューズであるミリアム・ルーセルです。露骨に上の2人と顔が似ています。ゴダールは、彼女を容赦なくヌードにし、その美しい裸身を世界中の人たちに見せつけました。

が、彼の最高のパートナーは、彼の死までよりそったアンヌ=マリー・ミエヴィルです。

正面からの写真をもう1枚。

彼女だけ、ぜんぜん顔が違いますね。素人さんだから、もちろん上の3人ほどの美貌はありませんが、でも彼女を上回るパートナーは、ゴダールにはいませんでした。まさに運命的な出会いだったということでしょう。なおこの件は、かつてこちらで取り上げていることをお断りしておきます。

好みの一貫性に頭が下がる

それはともかくとしても、この数年で、ゴダールの代表作である『気狂いピエロ』の主演俳優であるジャン=ポール・ベルモンドが2021年に、前出のカリーナが2019年(なお、この映画とは関係ないですが、前出のヴィアゼムスキーも2017年に亡くなっています)にそれぞれ亡くなっています。そしてゴダールが亡くなりました。実は私、この3人で、ゴダールが最後に亡くなるなんて想像もしていませんでした。彼は、自分よりずっと若い2人の元配偶者の女性を先に亡くしたことになります。ゴダール、ベルモンド、カリーナは、60年代半ば過ぎで仕事の面では袂を分かちましたが、しかし3人とも、残り2人がいなければ、これだけの実績を残すことはできなかったはずです。

それで、ここでちょっと私の極論を申し上げてしまいますと、私は、ノーベル文学賞というのを、狭義の文学、つまりはテキストによる表現活動に限る必然性は全くないと考えています。できた時代は映像がなかったのだからそれは仕方ありませんが、今日はそうではない。いや、当時からすでにある音楽や絵画彫刻などをもふくめてもよいのではないかと考えます。むろん写真でもよい。そしてそうであるなら、当然映画監督というのも、対象になります。そして映画界でその対象とすべき最もふさわしい人物は、私はゴダール監督だと思います。イングマール・ベルイマンとかが存命だったら、彼でもありでしょうが、現状ゴダールほど映画界に強い足跡を残した映画監督は、存命人物ではいなかったでしょう。そして彼は、残念ながら存命ではなくなりました。

ジャン=リュック・ゴダール氏のご冥福を祈って、この記事を終えます。

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古谷一行氏の死を知り、『87分署シリーズ・裸の街』と映画『凶弾』の関連を思い出した

2022-09-13 00:00:00 | 映画

何をいまさらですが、俳優の古谷一行氏がお亡くなりになりましたね。記事を。

>俳優の古谷一行さん死去 多くのテレビドラマや舞台で活躍 78歳
2022年9月2日 23時33分 

人間味あふれる演技で多くのテレビドラマや舞台で活躍した俳優の古谷一行さんが先月23日、東京都内の病院で亡くなったと所属事務所が発表しました。78歳でした。

古谷さんは東京都出身で、大学在学中に俳優座の養成所に入り、俳優の道を志しました。

1977年から始まった民放のドラマ「横溝正史シリーズ」で、名探偵の金田一耕助役を務め、愛きょうあふれる演技で幅広い人気を得ました。

また、1983年から放送された民放のドラマ「金曜日の妻たちへ」で女性を惑わす二枚目の役を演じて話題を集めたほか、1996年のNHKの大河ドラマ「秀吉」では竹中半兵衛を、また、2002年の「利家とまつ」にも出演するなど渋みを増した演技で存在感を見せていました。

2011年に肺がんが見つかりましたが、手術をして復帰し、その後も2017年のNHK連続テレビ小説「ひよっこ」など数多くのテレビドラマや映画、それに舞台に出演し、活躍してきました。

所属事務所によりますと、古谷さんは、トレーニング中に突然、体調を崩し、先月23日、東京都内の病院で亡くなったということです。

以下、複数の方々による追悼の言葉がありますが、それは省略します。

ある時期くらいまでは、古谷氏は、日本でテレビドラマを観ていれば、実にしょっちゅう見かける俳優さんであり、特にファンでなくても、かなり印象に残る方であったと思います。ご冥福をお祈りいたします。

さて古谷氏は、もともと俳優座の研修生であり、舞台からテレビに進出した人であって、あまり映画には出演していないのですが、彼が1982年に出演した映画に、『凶弾』があります。主演は、石原良純です。

この映画は、Wikipediaに

>客の不入りにより興行収入が振るわず、公開からわずか二週間で上映が打ち切られたことが当時マスコミで話題となった。

と書かれるくらいメタメタの興行成績で、「こりゃひどい」と世間でも呆れられたというくらいでしたが、ある時なんてことなくこの映画のWikipediaの配役を観ていて、「?」と思ったのです。

あれ、これなんかとキャストがやたら重複しているな・・・。

まもなく、これが1980年に放送されたテレビドラマである『87分署シリーズ・裸の街』とのキャスト一致であることに気づきました。以下参照を。『裸の街』―『凶弾』という順で。双方とも、松竹が製作しています。『裸の街』は松竹とフジテレビとの共同制作、『凶弾』は、松竹と富士映画の製作です。

  • 古谷一行 - 友成寿美雄刑事(スティーブ・キャレラ二級刑事)―福本刑事部長(特別出演)
  • 田中邦衛 - 竜間達磨刑事(マイヤー・マイヤー二級刑事)―岩井部長刑事
  • 高橋悦史 - 林能三警部(ピーター・バーンズ警部)―井口県警本部長
  • 岡本富士太 - 栗本信次刑事(バート・クリング三級刑事)―飯島刑事
  • 阿藤海 - 牛島豪刑事(ロジャー・ハヴィランド三級刑事)―中川警部補

さすがにこれは一致のしすぎでしょう。『凶弾』の脚本家の1人の押川國秋は、『裸の街』で競作をふくめ26本中4本脚本を担当しているし、そしてこれが決定的と思ったのが、製作を、『裸の街』と『凶弾』で、松竹の升本喜年が担当していることです。たぶん『凶弾』の刑事たちのキャスティングは、升本の考えで、『裸の街』のメンバーが起用ということになったのではないか。なお升本氏は、こちらによると、2017年暮れにお亡くなりになったそうです。その記事にも出てくる氏のご子息の弁護士である升本喜郎氏は、2021年9月12日にお亡くなりになっています。ちょうど1年前ですね。

おそらく升本氏が主導したのでしょうが、どういう事情で『裸の街』と『凶弾』のキャストが大幅に重複しているのか定かでありませんが、たぶんですが、升本氏にとっても『裸の街』というのは、それなりに思い入れのある作品だからではないか。前にもそのような記事を書きましたが(私がこのキャスト一致に気づいたのも、この記事を書いたが故です。正確な期日は記録していませんが、2019年3月発表の記事で、たしか同じ年の5月ごろに気づいたのかと記憶します)、その『87分署シリーズ・裸の街』は、現在封印状態で観ることができません。つまりは、エド・マクベインの原作のドラマ化で、ソフト化や再放送の権利料がべらぼうなので、二次コンテンツとして利用できないようなのです。90年代にドラマ化された火曜サスペンス劇場わが町』は、ソフト化もされていますが、つまりは『裸の街』の時は、それが契約書に書き込まれていなかったのでしょう。ただし『わが町』も、VHSにはなっていますが、DVDにはなっていない模様。再放送も、まったくではないかもですが、あまりされていない? たぶん再放送困難という事情が、升本氏に、あらためてキャストを再結集させた理由の1つであるというのも、そんなに突飛な想像でもないと思います。そうだとすれば、再結集させた映画が作品的にも興行的にも惨敗したというのは、氏にとってもやはり相当に不本意だったのではないかと感じます。なお『太陽にほえろ!』も、571話が『キングの身代金』を原作としているのでDVD不可のようですね(正式に事情が説明されているわけではない)。CS他での再放送はOKのようですが。『キングの身代金』は、『裸の街』『わが町』でもエピソードがつかわれていますし、そのほか、黒澤明監督『天国と地獄』の原作です。

「封印作品」というのは、思った以上に多い(理由も、差別表現ばかりでなく著作権や出演者の不祥事などいろいろ)

ところで『裸の街』の翌年(1981年)に公開された市川崑監督作品に『幸福』という映画がありまして、これもマクベインの『87分署シリーズ』「クレアが死んでいる」を原作としており、やはり映画公開後、1度テレビ放送があったのち完全お蔵入りになったのですが(権利問題)、ようやく2009年にソフト化が実現したという経緯があります。2009年にソフト化された事情はいろいろありますが、たぶん2005年に原作者が亡くなったということも、ソフト化実現の1つの理由であろうかと推察します。そう考えれば、『裸の街』も、ぜひソフト化あるいはCSでの放送、もしくは配信による鑑賞を可能にしてもらいたいのですがねえ。マクベインの権利がなくなるときまで難しいんですかね? まったく見込みがないわけでもないとは思いますが、やっぱりないのかな。

古谷氏をはじめ、田中氏、高橋氏、阿藤氏、あるいは上には出てきませんが、ろうあ者であるテディ・キャレラ(ドラマでの役名は、「寺西房子」)を演じた坂口良子さんもすでに亡くなっている。42年前に製作・放送されたドラマですからそれも当然でしょう。やっぱりこれは、ぜひ見てみたいですよね。なかなか難しでしょうが、そんなことを書いて、あらためて古谷氏の死を追悼してこの記事を終えます。

あ、忘れていました。『裸の街』は、私が何回も紹介している町田義人氏(現在メルボルン在住)の歌が主題歌です。いい歌ですので、あらためてはりつけさせていただきます。町田氏の近影については、下の記事を参照してください。

元歌手の町田義人氏の近影と近況を知る(メルボルンで頑張っておられる模様です)

愛 - 町田義人

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田中均元外務省アジア大洋州局長が、日朝首脳会談直前に米国高官に会談についての事前通告をしたことを認めた(高世仁とか家族会ほかの面々は、どんだけ馬鹿なのかと思う)

2022-09-12 00:00:00 | 北朝鮮・拉致問題

bogus-simotukareさんの記事を読んで、興味深いNHKの記事を知りました。

日朝首脳会談20年 田中均氏が語る 拉致被害者帰国 交渉決裂寸前で回避 | NHK政治マガジン

いろいろ興味深いところの多い記事ですが、今回注目したいのがこちら。

>対米極秘ブリーフィング

交渉は再開された。その後は、小泉訪朝を前提にして、どういう外交シナリオを組んでいくかという交渉が進んでいくことになる。

そして、小泉訪朝が事実上固まり、交渉が最終盤を迎えていた2002年8月下旬。田中は、来日していた当時のアメリカ・ブッシュ政権の幹部に対し、東京・虎ノ門のホテルオークラで、北朝鮮との交渉と小泉訪朝の計画について、極秘のブリーフィングを行った。

出席者は、アーミテージ国務副長官、ケリー国務次官補、国家安全保障会議のマイケル・グリーン日本担当部長、ベーカー駐日大使という面々だった。
「日朝平壌宣言のドラフト(草案)も含めて、自分の見通しも含めて、全て話をした。彼らはじっと聞いていました。みんな。物音ひとつせず、じーっと聞いていた。日本がアメリカのブリーフを受けることって、よくあることですよね。それも驚くようなことをブリーフを受けることはある。だけど、その逆っていうのはあんまりないですよ」

「アーミテージがすくっと立ち上がって、『俺に任せろ』と。『自分は今からこの近くのアメリカ大使館に戻って暗号電話でパウエル(国務長官)に直接、話をする』と。『ついては、その次の日、小泉総理大臣からブッシュ大統領に電話をしろ』と言ってくれた」

その翌日、日米電話首脳会談が行われた。田中は、総理大臣官邸の執務室で電話をかける小泉の隣にいた。

「ブッシュが言ったのはね、『小泉、お前が言うことについて、俺が反対するわけがない』って、こう言ったんですよ。総理には、『自分はアメリカの利益を絶対に害さない』ということを言ってもらった」
「同盟国といっても、それぞれ違う利益はあるわけですよ。日本は日本のアジェンダがある。で、拉致っていうのは、日本のアジェンダなんですよね。これは、日本自身が解決しなければいけない問題だ」

なるほどね、と思います。bogus-simotukareさんは、

> 「米国の了承もなしに訪朝しないだろう。了承がなかったら米国は小泉訪朝にもっと反発してるはずだ」とは当時から思われていましたが、ついに田中氏が「事前に米国の了承を得ていたこと」を認めました。

とお書きになっています。当然の話ですよね。これだけのことをするのなら、日本政府が米国に通告・了承を得ないというのは現実性がない。画竜点睛を欠くとはこのことでしょう。そうでなければ、日本側だって怖くてとてもこんなことはできないでしょう。

さてさてそうなると、このブログでしょっちゅう登場する高世仁著書についてはどうか。

北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話

高世は、上の記事で引用した彼のブログ記事に

>私の『金正日「闇ドル帝国」の壊死』という本もT君の手で光文社から出してもらった。これは金融制裁が北朝鮮を体制崩壊寸前まで追いつめていることを書いた本なのだが、出版直後に当時のブッシュ政権が制裁を緩和してしまい肩透かしをくって全然売れなかった。申し訳なかった。

と書いています。さらにその本の中では、

>急がなくてはならない理由がもう一つある。アメリカが、北朝鮮に対して軍事的オプションを使う可能性が出てきたからだ。もし北朝鮮が「暴走」を続け、核などの大量破壊兵器を拡散するなどの事実が明らかになった場合、アメリカの軍事攻撃を止められるものは誰もいない。

体制打倒とはあまりに過激だと言うあなたに、私はこうアピールしよう。

「早く倒さないと、アメリカが戦争しに来るよ!」

とまで書いています(苦笑)。2002年の段階で、日米間において上のようなやり取りがあったわけで、そうであれば米国ブッシュ政権が、そうそう容易に戦争なんか起こすわけがないでしょう(笑)。いくらブッシュが、2002年の一般教書演説で北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだとしたってです。ていうか、別にイランもイラクも北朝鮮も、そんな緊密な関係にあるわけではありませんが。2003年3月にイラク戦争が勃発しましたが、米国だってイラク以外でそうそうホイホイ戦争なんかできるものでもないでしょう。

で、さらに書きます。高世って、どんだけ馬鹿なんですかね(苦笑)。ていうか、ここまで書いて大外ししたんだから、正式に自分の見解を撤回するなりなんなりしなければいけないでしょうに。が、そんなことはしないわけです。ただしこの後高世は北朝鮮に関する本を出版していません。ブログなどでは書いていますが、本格的に読者に自分の考えや取材を提起するにいたっていない。これはどういうことか。つまりは、前にも記事に書きましたけど、

家族会と巣食う会の見解と違う報道ができずに高世仁の北朝鮮報道は自滅した(関川夏央もたぶん同じ)

ってことなんでしょうねえ。私が上の記事で指摘したように、

>高世が次なる北朝鮮本を出版するとなると、もう北朝鮮が滅亡するというネタを繰り返すわけにはいきませんよね(苦笑)。滅亡ネタをまた書いて、やっぱり北朝鮮は滅亡しなかったなんて事態になったら目も当てられない。それで、高世がもし滅亡ネタの本を再度出したらやっぱり「高世の書いていることなんてデタラメじゃん」という話になります。おそらく高世は、そういう事態になりたくないと思うので、北朝鮮本を出版しなかったのだと私は思います。

ただそうであれば、滅亡ネタでない違うまともな本を書けばいいじゃんという話になります。が、それは高世にはできない相談だったのでしょう。けっきょく高世は、家族会と巣食う会の見解からはずれた北朝鮮・拉致問題関係の記事を書くことが不能だったわけです。だからブログなどでは、高世は北朝鮮・拉致問題関係の記事を書くことが可能ですが、本を出すことはできなかったわけです。高世は独立したジャーナリストであって、そんなこと高世の知ったことじゃないのですが(苦笑)、しかしけっきょく高世は、私が何回も批判する巣食う会側が仕掛けた政治工作に乗っかっちゃったため、家族会と巣食う会に頭が上がらないわけです。それで、こんな政治工作で「自分は優秀なジャーナリストだ」とか勘違いして、会社を飛び出して独立してそれで失敗しちゃったのだから、高世もどんだけ馬鹿なんだということになります

というわけです。彼には、やっぱり田中氏のやっていることが正しかった、自分や家族会や巣食う会は間違っていたとは、正式には表明できないのでしょうね。いや、高世も、いまさら自分たちが正しいと本気で考えてはいないでしょうが、やっぱりこのあたりはあいまいな態度で逃げるということをこれからも続けるのではないか。関川夏央は、そういうことをする気にならず、完全に北朝鮮言論から撤退したのでしょう。こいつもどんだけ自分の言説に無責任なんだか(苦笑、呆れ)。

で、それは家族会の人たちも同じようなものでしょう。横田の夫と奥さんの、このような発言はどうか。下の記事で引用したものです。2006年のものとのこと。

横田さんの奥さんは、ちょっと勘違いしていない?

>早紀江 はい。大統領が政府首脳以外の民間人と面談し、メッセージを出されることなど極めて異例だということでしたので、最初、私はとても緊張して「お忙しい時間を割いていただいて、申し訳ありません」とだけ言葉を発したのですが、ブッシュ大統領は「人間の尊厳と自由について話せないほど忙しくはありません」とバシッと応えられ、自らブルーリボン・バッジを背広につけ、めぐみの写真をご自分で丸テーブルに置きながら、「この子は今ここに姿はないけれど、この子の心を一緒に撮りましょう」と言われ、熱心に私たちの証言を聞いてくださいました。大統領執務室と聞いて、さぞかし大きな机を挟んで事務的に会話するだけかと想像していたのですが、実際には膝を突き合わせるようにして親身に話を聞いてくださったので、なおさら驚きました。

 最後には「人権を尊重しない人物(金正日)に発言するのは勇気が要ることだ。お母さんのことを誇りに思う。北朝鮮への働きかけを強くしていきたい。人権を尊重し、、自由社会を実現させることを、私は強く保証する」「皆さんの思いはよく理解しています。頑張っていきましょう」と励ましていただき、本当に感謝の気持ちで一杯です。

滋 テレビでブッシュ大統領の表情を見ていても、本当に心からそう言ってくださっているという印象を受けました。それに、下院公聴会でも早紀江に証言の機会を与えていただきました。これらの実現にはシーファー駐日米大使のご尽力もあり、感謝しております。

(中略)

早紀江 もちろん、小泉首相であったからこそ、今までは微動だにしなかった拉致問題がドラスティックに変化したのだとは思いますが、二度目の訪朝後は目立った動きもないままです。

 二〇〇二年に拉致家族が小泉首相に面会した際、全国各地から年老いた方々がたくさんお見えになっているのに、たったの十分間しか時間をいただけませんでした。とりわけ蓮池ハツイさん(薫さんの母)は小泉首相の手を握り締めて離そうとせず、「日本の国って、どうしてこんなに弱いんですか!!」「何年待てばいいんですか。いつまでも待っていられない」と、思いのたけをぶつけられましたでしょう。私たちの思いは、それほど強いものだったのです。願わくば小泉首相も、せめてブッシュ大統領の半分でもいいから拉致問題への情熱を持っていただければと思っています。

櫻井よしこ島田洋一の発言の引用は省略します。

これらの発言への私の考えは、高世仁のところで書いたことと同じですので書くのは省略しますが、日朝首脳会談から20年、この横田の奥さんらの発言からも16年です。けっきょくどこをとってもどんだけ馬鹿なんだかというレベルのはなしでしょう。巣食う会(救う会)の面々といい、横田さんたちの相手をしている櫻井とか島田といい、丸っきり徹頭徹尾拉致被害者家族を利用しつくすことしか念頭にありません。拉致被害者の親世代である方々はどんどん亡くなっていますが、きょうだいである横田拓也氏も、

>拉致被害者達を帰国させず、双方の国に事件究明の為と称する連絡事務所の設置や調査委員会の立ち上げと言う「聞こえの良い隠蔽工作」には絶対反対する立場を私達は貫きます。

主張するわけです。こんなことを主張し続けていたら、事態が進展するわけがない。そしてこの人たちがやたら依存していた安倍晋三は、別件で恨みを買って暗殺される始末(苦笑)。いや、殺人に苦笑しちゃ悪いけどさあ、どんだけあてにならねえ野郎に依存しているのか。どうしようもないとはこのことじゃないですか。お話にもなりません。

それにしても私ももう少し日朝交渉について勉強しないといけないなと痛感させられます。というわけで、さっそく和田春樹氏の新著を購入しました。

日朝交渉30年史

面白ければこの本についても記事を書きます。なお、この記事は、bogus-simotukareさんの記事からヒントを得ました。また、和田氏のご著書についても、拙記事のコメント欄でご紹介をいただきました。感謝を申し上げます。

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ある程度の年齢になると、突然亡くなることもある(エリザベス女王の死から、私の祖父の死を思い出す)

2022-09-11 00:00:00 | Weblog

すみません、本日は日曜日で本来は旅行の記事の日ですが、時事ネタにもなるので、この記事を発表します。

何をいまさらながらですが、エリザベス女王(エリザベス2世)が亡くなりましたね。記事を。

>エリザベス英女王「安らかに」死去、国葬はウェストミンスター寺院で
2022/09/09 11:30

 【ロンドン=池田慶太】英国のエリザベス女王が8日、英北部スコットランドのバルモラル城で死去した。96歳だった。女王は今年2月、即位70年を迎え、存命の国家元首としては在位期間が世界で最も長く、最も長寿だった。女王の長男で王位継承順位1位のチャールズ皇太子(73)が「チャールズ3世」として新国王に即位した。

 バルモラル城で静養中だった女王は8日朝、医師団から健康状態への懸念が示され、城にとどまって医師の処置を受けていた。女王を見舞うため王室メンバーらが次々と駆けつけた。英王室は同日午後6時半(日本時間9日午前2時半)頃、「女王が本日午後、バルモラル城で安らかに死去した」と発表した。

 チャールズ国王は声明で、「最愛の母である女王陛下の死は私と私の家族全員にとって最も大きな悲しみの時だ。私たちは、大切な君主であり、愛された母の死を深く悼む」と述べた。首相官邸前で声明を発表したトラス首相は、「女王は現代の英国の礎であり、女王の下で我々の国は成長し、繁栄した」と述べた。

 新国王の即位に伴い、女王の孫でチャールズ国王の長男、ウィリアム王子(40)が王位継承順位1位の皇太子となる。

 国葬は歴代国王の葬儀が行われてきたロンドン中心部のウェストミンスター寺院で行われる見通しだ。

 女王は1926年4月、ロンドンで生まれた。父ジョージ6世が52年2月に死去し、25歳で即位した。在位期間は、2015年9月、大英帝国の繁栄を誇ったビクトリア女王(在位1837~1901年)の63年216日を超え、英国君主として最長記録を更新。在位中の首相は、ウィンストン・チャーチル氏からトラス氏まで15人に上った。

 「開かれた王室」を目指した女王は、王室費の総額抑制を提案し、バッキンガム宮殿を一般開放するなど、国民に近づく努力を重ねた。96年には、男子優位の王位継承権を男女平等に改める案をまとめ、英政府は2013年、法改正した。1997年にダイアナ元妃が交通事故で死亡した際に沈黙を保ち、「冷淡だ」と批判され、王室不要論が出たこともある。

 昨年4月、夫のエディンバラ公フィリップ殿下に先立たれて以降、女王は体力と気力の衰えが目立つようになっていた。今年6月、4日間にわたって行われた即位70年記念行事も一部のみの出席にとどまった。

 最後の公務は首相交代に伴う新首相任命で、6日にバルモラル城でトラス氏と面会したばかりだった。

 日本には75年、昭和天皇の訪英(71年)への答礼として夫妻で公式訪問したことがある。上皇さまは皇太子だった53年に女王の 戴冠たいかん 式に参列されている。

誰もが驚いたのは、たぶんですが、亡くなる2日前に彼女が、英国の新首相であるリズ・トラスのあいさつを受けていることです。上の記事では、

>昨年4月、夫のエディンバラ公フィリップ殿下に先立たれて以降、女王は体力と気力の衰えが目立つようになっていた。今年6月、4日間にわたって行われた即位70年記念行事も一部のみの出席にとどまった。

とありまして、確かに体調が悪くはなっていたのでしょうが、それでも死の直前まで次期首相に会うことも可能だったわけです。そのあと突然今までになく体調が悪化して亡くなったわけで、つまりは突然に彼女は老衰がすすんだということなんですかね。そのあたり定かでありませんが、つまりはある程度の年齢になったら、急に体力が衰えて亡くなるということもあるのでしょう。

ここで突然、私の母方の祖父を思い出します。私の祖父は、やはり女王くらいの年齢で亡くなったかと思いますが、机に突っ伏して亡くなっているところが見つかりました。当時独居でしたが、幸い近くに住んでいる娘(私の叔母)がすぐそれを知ったので、遺体が傷むというようなよろしくない事態は避けられましたが、医者が立ち会わないでの死でしたので、警察が検死をしたので大変だったようです。高齢でしたので、解剖はしなかったとのことですが。ともかく家族の指紋採取もあったりいろいろストレスが多かったと母は私に語りました。

女王は認知症ではなかったのでしょうが、私の祖父は認知症になっていたようですが(詳細は知りません)、それでも数日前には結婚式に出席することもできていました(私も出席した結婚式でしたが、正直ちょっと出席は厳しかった気はしましたが、なんとかなりました)。が、正確な死因は不明ですが、やはり老衰による心疾患かなにかなのでしょうね。おそらく女王も同じようなものである可能性があるのではないか。

私の祖父と比較すれば、女王の方がはるかに体調は良かったのでしょうが、それでも突然体調が急変し、そして亡くなることもあるわけです。過日通勤中にタクシー乗車中に体調を崩して亡くなった近藤誠氏のように73歳で亡くなったりしたらやはり早いですが、やはり一定の年齢になったら、自分に何らかの意思(意志、遺志)があるのなら、きっちりした遺書のたぐいが必要かと思います。女王は、つまりは遺書を必要とする立場ですらありませんが、一般にはやはり自分の意志は表明したほうがいいと思います。

やはり人間死は避けられないのですから、特にある程度の年齢になったら、さまざまな点で死後のこともいろいろ考えていった方がいいと思います。エリザベス女王の死を追悼してこの記事を終えます。

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