ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

高額な本だが、大島渚研究家(を自称しているの)なら、やはり購入しなければね

2021-03-31 00:00:00 | 映画

ここ最近また大島渚監督関係の記事をいろいろ書いていますが、つまりこれは、下の引用にもありますように、大島監督の作品が2023年に国立機関へ収蔵される予定であるということにより、主要作品の最後の大規模公開が行われるということに付随するものであり、この本もその一環ということになろうかと思います。記事を。

>「大島渚全映画秘蔵資料集成」発売! 大島作品をめぐる記念碑的な書籍が誕生
2021年2月18日 11:00

空前絶後のアーカイブ本が発売
日本を代表する映画監督・大島渚氏と、これまで手掛けてきた映画作品をめぐる記念碑的書籍ともいえる「大島渚全映画秘蔵資料集成」(国書刊行会)が、発売されることが明らかになった。

編著は、映画評論家で映画監督の樋口尚文氏。大島家、大島渚プロダクションの全面協力のもと、樋口氏が大島監督の書斎から保管庫、大島プロが管理する資料庫にいたるまで、膨大な量の資料を数カ月にわたり調査。初めて紹介する資料群を通して、大島監督の「創造」と「人間」の全貌に迫るもの。

500ページに及ぶという同書では、各所に秘蔵されていた写真、ノート類など製作時の資料図版を作品ごとに多数収録。そして、大島監督の映画製作過程、その人物像について時代背景を含めて詳細に解説していく。と同時に、大島監督本人の貴重な証言も時系列で並行して配し、激しくも豊穣な軌跡を立体的に浮き彫りにしていく。

松竹ヌーベルバーグを生み出し、「愛の亡霊」でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞するなど常に海外に目を向けていた大島監督。同書ではあらゆる年代を多角的に切り取っているが、「幻の企画と晩年」というパートでは、実現することが叶わなかった監督作「日本の黒幕」、製作が中止になった「ハリウッド・ゼン」、幻となったテオ・アンゲロプロス作品についても触れられるようで、興味は尽きない。

樋口氏は2002年にも「大島渚のすべて」を刊行しているが、大島監督との関係は17歳の頃までさかのぼる。高校生だった樋口氏が監督した自主映画「ゲリラになろうとした男」を、大島監督が激賞したことから交流がスタート。電通に勤務していた時代には遺作となった「御法度」のテレビスポット制作を担当しており、樋口氏でなければここまで踏み込むことは許されなかったといっても過言ではないほどの、唯一無二の“大島本”といえそうだ。

また、同書の刊行を記念し、東京・シネマヴェーラ渋谷で大島監督の特集上映「オーシマ、モン・アムール」が4月3~23日に開催されることが決定。さらに、デジタル修復された代表作「戦場のメリークリスマス」「愛のコリーダが4月16日から東京・ヒューマントラスト有楽町、新宿武蔵野館ほかで2作連続公開される。大島監督作は2023年に国立機関に収蔵される予定のため、今回が最後の大規模全国公開となる。

「大島渚全映画秘蔵資料集成」は、4月に刊行予定。予価8800円(税別)。

■樋口尚文氏コメント

昨秋、長年着手せねばと思っていた故・大島渚監督が遺した厖大な資料の精査についに踏み切り、小山明子さん、大島渚プロダクションの大島新監督の全面的なご協力を得て、藤沢の大島邸の書斎、保管庫から大島プロの保管庫、さらに関係各所に通い詰めて、資料の分類と撮影を続けましたが、これだけでまるまる三か月を要し、さらにそのアーカイヴの分析・執筆作業が数か月を経てまだ続行中です。大島監督が遺した資料のボリュームは圧倒的で、私がぜひ知りたいと望んだ異色作の創造工程をつまびらかにする数々の手がかりや実に珍しく興味深い写真の数々など驚いた「発掘物」は枚挙にいとまがありません。本書はこの恐るべき質と量の資料群を念入りに蒐集保管していた大島監督ご自身の「アーカイヴ熱」を再現することにも留意しながら、この「映画」と「知」の巨人の足跡をいきいきと記録したいと考えています。

税別8800円ってことは、消費税10%で9680円なんですかね。何らかの理由で消費税を免除できる人がいたら、ぜひそっちで買いましょう。

いずれにせよこれは今まで出版された大島本のなかでも最高のものになりそうですね。大島監督関係の本も、監督自身の著作から研究者の批評本、家族である小山明子や子息の大島武大島新両氏の著作、『愛のコリーダ』や『戦場のメリークリスマス』に特化した書籍、いろいろですが、おそらくこの本は、そういったものをすべて総合したようなものになるはず。大変高価な本ですから、正直普段なら図書館に入れてもらうのですが、これは私も、大島渚の映画を観ることに関しては人並み以上の努力をしているし、また興味と関心を持っていることを自称している人間ですから、これはやっぱり買わないわけにはいきませんね。というわけで買います。興味はあるが高すぎて買えない人は、可能でしたら地元の図書館にリクエストをしていただければ幸いです。あなたが読むだけでなく、他の人も読めるような態勢をつくることにご協力していただければ幸いです。私もすることにしよう。

それではこちらの記事も。

>大島監督の学生時代の数学のノートに始まり、助監督時代の日記、監督デビュー後のさまざまな企画メモ、撮影プランの紙片、はては製作中の契約書、領収書までを精査するなか、『愛のコリーダ』編集時のフランスの現像所から大島監督が持ち帰った幻のフィルム、『戦場のメリークリスマス』の巨大なアートのごときセットの建造過程や『マックス、モン・アムール』のマックスのボディ・スーツの制作工程にまつわる貴重資料などを続々と発掘。企画されたが、映画化にはいたらなかった東映やくざ映画『日本の黒幕』の制作メモ、早川雪洲とルドルフ・ヴァレンチノの確執を描く『ハリウッド・ゼン』の複数のシナリオ、テオ・アンゲロプロスが大島渚を撮ったカンヌ映画祭用の幻のフィルムなど、映画ファンなら目がくらむような垂涎の資料を濃厚な解説とともに収録している。

というわけで、これはなかなかすさまじいものが期待できそうですね。私がこの本を買ったら、まさに夢中になって読んでしまいそうです。

大島渚というのは芸術家でありドキュメンタリストでもありました。そもそも映画監督というのは、助監督を映画会社が採用した時代はだいたいにおいて文学部出身者がなることが多かったわけですが、大島は松竹での同期採用者の山田洋次と同様めずらしい法学部出身者でした(大島は京都大学、山田は東京大学)。おそらくそのせいもあって大島は大変な論客でもありました。晩年の大島氏は正直いろいろよろしくないところもあったかと思いますが、やはりある時期までの鋭さは永遠に時代に残るものだと思います。その業績と軌跡を追い続けるための最高の資料にこの本はなるのでしょう。私も、その業績と軌跡をこの本を読んで追っていくこととします。

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大島渚監督の代表作が2本全国上映される(これが最後の機会とのこと)

2021-03-22 00:00:00 | 映画

先日こんな報道がされました。

>盗難の「戦場のメリークリスマス」ポスターが返却
[2021年3月18日22時19分]

東京・新宿武蔵野館で、故・大島渚監督の名作「戦場のメリークリスマス」および「愛のコリーダ」の修復版の劇場公開に向けて展示中だった、1点しかない「戦場のメリークリスマス」の海外版ポスターが15日午前に盗まれた件で、同館は18日、公式サイトで「本日、返却されてまいりましたので、ご報告申し上げます」と明らかにした。

また配給会社アンプラグドも、公式フェイスブックで「差出人不明で、新宿武蔵野館に返却されたという連絡を受けました。弊社も先ほど劇場に伺いまして、それが現物であると確認いたしました」と報告した。ポスター展は1度、中止していたが、レプリカのポスター展示に変更して展示するという。

今後について、アンプラグドは「権利元である大島渚プロダクション様とも協議いたしまして、これ以上の詮索は行わないつもりでございます。ただし警察によりますと、捜査は今後も継続されるとのことです」とした。また新宿武蔵野館は、防犯カメラを増設するとともにセキュリティー強化に一層、留意するとした。

盗難は15日朝に発生。アンプラグドは16日、公式フェイスブックなどで「現在、新宿武蔵野館ロビーにて展示中の大島渚監督作品ポスター展におきまして、3月15日朝に、何者かがポスターケースのネジを外して、オリジナルポスター1枚を持ち去るという事案が発生いたしました」と報告。「本ポスター展は、4月16日から本劇場で公開する『戦場のメリークリスマス4K修復版』『愛のコリーダ修復版』公開に先駆けての記念展示でした。大島渚プロダクション様のご厚意により、所有されている貴重な初公開当時の世界各国のオリジナルポスターをお借りして開催しておりました。今回盗難されたのは、1点しかない貴重な海外ポスターでございます」と説明していた。

それで上の記事にもあるように

>4月16日から本劇場で公開する『戦場のメリークリスマス4K修復版』『愛のコリーダ修復版』公開

ということです。それについての記事も。

>2021.01.08
「戦メリ」「愛のコリーダ」初デジタル修復で4月公開

 日本映画が世界に誇る巨匠、故大島渚監督の、社会現象となった代表作「戦場のメリークリスマス」(1983年)と「愛のコリーダ」(76年)が初めてデジタル修復され、4月に公開されることが7日、分かった。大島作品が2023年に国立機関に収蔵される予定のため、最後の大規模ロードショーになるという。

 故デヴィッド・ボウイさん、坂本龍一(68)、ビートたけし(73)らをメインキャストに据えた異色の戦争映画「戦メリ」(4月16日公開)は、4K修復版となって上映。大島作品では最大のヒット作だ。

 太平洋戦争下のジャワを舞台に、収容所長のヨノイ大尉(坂本)と捕虜の英軍少佐セリアズ(ボウイさん)、ハラ軍曹(たけし)と捕虜で日本語が堪能な英軍中佐ローレンス(トム・コンティ)との関係から、東洋と西洋の衝突と相互理解を描いており、坂本の音楽も長く愛されている。

 藤竜也と松田英子が主演した「愛のコリーダ」(同30日公開)は、1936年に起きた猟奇事件「阿部定事件」を題材としたハードコア映画。戦争が迫る不穏な時代を背景に、男女の究極の性愛を官能的に描いた。書籍を巡って裁判にもなったことでも知られる。

 ジャン=リュック・ゴダール、マーティン・スコセッシ、クリストファー・ノーランといった巨匠たちもリスペクトをささげる、世界の大島による不朽の名作2本が、鮮明な映像でスクリーンに帰ってくる。

大島渚監督、伝説の2作品『戦場のメリークリスマス 4K修復版』『愛のコリーダ修復版』特別予告

2023年というのは、大島監督がお亡くなりになってから10年という意味なんですかね? それから国立機関(たぶん「国立映画アーカイブ」)に収蔵というのが、著作権上どういう扱いになるのか当方無知にて存じ上げませんが、つまりは保護を国に委託するってことなんでしょうかね。おそらく松竹や東映(『天草四郎時貞』)のものではなくて、大島渚プロダクションが著作権を持つ映画の収蔵という意味ではないかと思いますが、違うんですかね。すみません、以上のくだりは、私の勝手な憶測ですので、不備もあるかと思います。

以前私は、こんな記事を書いたことがあります。

やはり大島監督を語る際は、「愛のコリーダ」か「戦場のメリークリスマス」が話題になるのかも

今回の上映は、まさに上の記事のタイトルがそのままというところかもしれません。このブログで1番お客の多かった記事は、『愛のコリーダ』再上映における藤竜也のインタビューを採録した記事と森友の関係の記事ですが、大島渚監督が亡くなった際は、拙ブログがgoo4位のアクセスを記録して驚いたことがあります。ほかにも主演の松田暎子(英子)を扱った記事も長きにわたってアクセスをいただいており、『愛のコリーダ』は、私にとっても印象深い映画です。

『愛のコリーダ』についての藤竜也のインタビュー 2000年(2)

『愛のコリーダ』は18歳未満お断りの映画ですので(もちろんこのブログの読者の多くはそれ以上でしょう)、性的なシーンが苦手な人は観ることができないでしょうが、気にしない方は是非どうぞ。1976年の最初の公開時は、この映画を観にいくことはそれなりの「勇気」を必要としたかもですが、現在はそういったところもだいぶ薄れていると思います。いずれにせよ2023年以降は、劇場で観る機会が減るようですから、ここはこのチャンスは逃さないようにしたいものです。

戦場のメリークリスマス』の話がありませんが、この映画で印象が強いのが、デヴィッド・ボウイ坂本龍一の頬にキスをするシーンで、画面が揺れるシーンです。これを観たとき私は(当然?)「あ、2人の心の動揺を表したんだな。さすが大島監督、うまいな」と思いましたが、これは完全なハプニング、偶然だったとのこと。Wikipediaによれば、大島監督は、奇跡だと語ったとかですが、そういう信じがたい偶然というのもあるのだと言うことです。

というわけでこれは4月の公開を楽しみにしたいと思います。読者の皆様もぜひどうぞ。

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昨日のクイズの答え

2021-03-19 00:00:00 | 映画

この女の子が出演したのは、『ミラーマン 』第49話「怒りをこめたこの一撃」です。

誰この人と思われるかもですが、下が現在の彼女です。

芦川よしみです。彼女は1958年生まれで、子役出身者です。13歳くらいの時期ですかね。

スカートの短さは時代ですね。

武田鉄矢・芦川よしみ「男と女のラブゲーム」

彼女は子役出身で、このころは、特撮のほか戦隊物にも出ています。1976年には歌手デビューして 第18回日本レコード大賞新人賞を受賞、CMで武田鉄矢とデュエットした「男と女のラブゲーム」 は話題になりました(矢崎滋とも共演)。80年代には、大胆なヌードにもチャレンジしています。gooからヌードは控えてくれと言われているので、おとなしめの写真で乞うご容赦。

なお余談ですが、彼女は、『ミラーマン』に主演した石田信之氏になついたそうです。下に、石田氏が本を出した際の動画を張り付けておきます。彼女は石田氏の葬式にも出席したとのこと。

ミラーマンは初恋の人 パート2

それにしても『ミラーマン』出演時は、さすがにその後、自分がヌードになるなんて想像もしていなかったでしょうねえ・・・。いや、『ファイヤーマン』 第12話「地球はロボットの墓場」では、水浴びをしているシーンもありましたか。ただこれは(当然)セミヌードですから。たしかに70年代から80年代は、ヌードへの垣根がそんなに高くなかったのも事実です。

このクイズは、いい人がいたらまたやってみようかと思いますので、興味のある方は乞うチャレンジ。

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この女の子は誰?

2021-03-18 00:00:00 | 映画

先日観た某ドラマに出演していた某女の子について、またクイズを出してみます。なんのドラマに出たかは書くとすぐ答えがわかっちゃうので、それは明日の発表ということで。いくつかヒントを出します。

1972年のドラマです。まだ現役の芸能人です。歌手もしていて賞も取ったし、また話題になるデュエットも発表しました。ヌードにもなっています。

最後の2つは、かなり決定的なヒントですかね。

参考記事:

クイズ(この女の子は誰?)

クイズ(回答編)

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「赤いシリーズ」「ウルトラシリーズ」のロケ地の現在(いま)(成城・祖師谷編)(追記あり)(写真の追加あり)

2021-03-17 00:00:00 | 映画

昨年から、「赤いシリーズ」と『ウルトラマンレオ』を観ています。

「赤いシリーズ」の山口百恵出演作品が、7月1日からTBSのCSチャンネルで放送されている(1日2話放送)

「ウルトラマンレオ」が、来月(8月)CSで再放送される(子役時代の冨永みーなも出演)

それで、この2つのシリーズは、TBSでの放送という共通点と、金曜日放送(第2期ウルトラシリーズ)という共通点はありましたが、第2期ウルトラシリーズ最終作の『ウルトラマンレオ』と「赤いシリーズ」第1作の『赤い迷路』が同時の終了でした(1975年3月28日に最終回)。そしてこの2作は、世田谷区成城近辺でよくロケーションをしていました。『レオ』は大蔵にあったスタジオ「東宝ビルト」でセット撮影をし、「赤いシリーズ」は、当時は、調布市にあった仙川スタジオでセット撮影をしていた模様です。それで2作品とも、成城を主たるロケ地としていました。特に「レオ」は、主人公たちが成城近辺に引っ越したという設定に第4クール(75年1月~の放送分)からなったので、成城近辺でのロケーション撮影が多くなりました。なお大映ドラマは、80年代半ばから、府中のスタジオ中心の撮影になったので、『スクール・ウォーズ』などはその近辺で多くロケされています。上のスタジオは、現在どれも閉鎖されていて住宅地に分譲されています。

そういうわけで、1974年~75年ごろに成城で熱い撮影が行われたことを想い、それから半世紀弱たっている2021年にいくつかの印象的なロケ地を訪問してみました。した結論は、やはりだいぶ時がたったな、ということです。今回は、まずは成城からです。2月某日に撮影しました。

成城学園前駅から、小田原方面に歩きます。

まずは、富士見橋へ行ってみます。名前通り、富士山を観るのにいい橋とされます。

富士見橋です。

富士見橋から不動橋をみます。奥のほうに見える白いものが富士山です。昔は、ここは、

>小田急線でも切り通しが造られ、その上に架かる橋が富士見橋と不動橋・・・、でした。

が、現状は、

>残念ながら現在では川が埋められて暗渠となるのと同じで、切り通し部分に蓋がされ、橋自体が形式的なものとなっています。

ということになっています。今は、花壇、菜園になっていて、実に面白くありません(苦笑)。さらに同じサイトでは、

>成城は撮影所があることから撮影の町として歩んできました。特に路上などの撮影にあまり規制がなかった昭和時代には頻繁に成城で撮影が行われています。

とりわけ昭和の名作というか、世田谷の誇るウルトラマンシリーズでは多くのシーンが世田谷で撮影されました。そして撮影所に近い成城も頻繁に使われています。お金持ちとか、権力者の屋敷とかの設定で・・・。

その中でもこの不動橋や富士見橋もよく登場しています。

と書かれています。

成城学園駅方面です。

富士山見物のための枠です。

現在は、「百景」といえるかなあ。

それではドラマの画像より。

『赤い迷路』第19話での松田優作です。

同じドラマから、富士見橋から不動橋を見る宇津井健中野良子です。

では次は、お隣の不動橋です。

これが不動橋です。富士見橋とくらべてもだいぶそっけない橋です。昔は金網があったりして、なかなかロマンチック(?)な雰囲気もあったんですけどね。橋としての実質はないので単なる道路ですね。

富士山を望みます。

富士見橋方面を撮影しました。ではドラマの中の不動橋を。

『ウルトラマンレオ』第45話より。

『赤い迷路』第18話より。不動橋を歩く宇津井と中野です。ここから、富士見橋にいる松田らを見るわけです。

赤い絆』第16話での、山口百恵左幸子 です。1977年から78年の冬での撮影と思われます。

上に同じ。おそらく富士見橋からの撮影。

同じドラマ第17話での、山口と長谷川諭です。山口の服が左との時と同じなのは、たぶん彼女が多忙なので、同じ場所で同時に撮影したのでしょう(ただし監督は別人)。なお「赤いシリーズ」ではいつものことですが、このドラマでは、左と山口が母娘、山口と長谷川が、異父姉弟という設定でした。

2021年5月26日追記:同じドラマの第21話でも、同じ橋が登場しました。

岡まゆみと対面する山口百恵です。ほんと、不動橋のロマンチックな雰囲気が、多くの演出家ほかから愛されたのだなと痛感しました。

(追記終わり)

トラックがあるのでうまく写真が撮れませんが、『ウルトラマンレオ』の最終回で、旅に出る主人公は、この通りを進んで

こちらの交差点で左折します。『レオ』最終回撮影当時は、信号はなかった模様。ドラマと同じような撮影ができなかったので、後日再チャレンジします。一番奥に見える高圧線の鉄塔に注目してください。これが、次の訪問地につながります。

これで本日の撮影は終了してもいいのですが、ついでなので、『ウルトラマンタロウ』初回で、ペギー葉山の「ウルトラの母」(「緑のおばさん」の姿で登場。理由は不明ですが、あるいは緑のおばさんの広報の意味合いがあったか?)が、主人公に対してタロウに変身するバッジを渡すシーンのロケ地に行ってみることにしました。バスが通っているのですが、せっかくなので歩いてみることとします。成城富士見橋通りをえんえん歩きます。面倒なので、途中の写真は省略します。このロケ地も、複数のサイトほかを参照してようやく見つけ出しました。祖師谷にあります。

ペギーさんから子どもたちにいたるまでみな短めのスカートなのが時代ですね。なお、膝をついている女性は、これがデビュー作のあさかまゆみ(当時。現・朝加真由美)です。主演の篠田三郎氏は、まだ演技ができずにいた彼女をずいぶん助けてあげたようです。奥に高圧線が写っていますが、これが成城方面へ続いています。上の写真の出どころはこちら

このシーンです。後ろにある送電設備に注目。この撮影の日も、ドラマ収録の日と同様のピーカンでした。上の写真の出どころはこちら

これが同じ設備のようです。写真の出どころはこちら。2011年ごろに撤去された模様。

この現在は駐車場になっているあたりに、ドラマにも出てくる送電設備がありました。上に伸びている高圧線の下です。この高圧線は成城にもつづいているわけで、なるほどねえ、ウルトラシリーズのロケ地って、ほんと近場だったのだと再認識しました。余談ですが、この施設の写真を探していて、なるほど、世の中こういうことにも関心を寄せる方が少なくないのだなと思いました。いろいろ勉強になります。

2021年1月10日追記:当該回の動画が現在アップされていますので、ちょっと写真を追加します。

もともとゴルフ練習場ですので、ゴルフボールがたくさんあるわけです。

「緑のおばさん」が、手当にやってきます。

(以上追記終わり)

このマンションがあったところには、ゴルフ練習場があり、そこの駐車場で撮影がされた模様です。実際の撮影地点は、おそらくマンションが建っているところです。

最後はおまけです。そのマンションの北側(裏?)にこの病院があります。ここも、『レオ』で数回登場しています。建物は建て替わっています。

というわけで、また何かの映画やドラマのロケ地の撮影は定期的におこなっていきますので、乞うご期待。

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島田知事の限界をも論じられているかに注目したい(沖縄戦時の知事である島田叡についてのドキュメント映画が公開)

2021-03-15 00:00:00 | 映画

沖縄戦当時、沖縄県の官選知事(最後の官選知事でした)だった島田叡についての映画が製作されて公開されています。記事を。

>2021/03/06 16:23 イベント・その他 最新ニュース

島田叡知事描いた映画「生きろ」公開始まる

太平洋戦争末期の沖縄県知事、島田叡の生涯を描いた映画「生きろ」が、6日、公開初日を迎えました。

映画「生きろ」は、瀬長亀次郎の映画で注目を集めた佐古忠彦監督の最新作で、初日の6日、桜坂劇場には開場前から長い列ができました。
(来場者)「激戦地で生き残った母がこういう映画を見てみたいということで来た。島田知事も沖縄のためにいろいろ頑張ってくださった方なので母に見てもらおうと思って」

初回上映は150人以上が鑑賞し、佐古監督が舞台挨拶を行いました。
(佐古忠彦監督)「島田知事という人に対する評価を含めて色々あるのは私も聞いてますし、今回は色んな視点でこの物語を見つめて頂けると嬉しい」

映画「生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事」は、那覇市の桜坂劇場で上映されています。

予告編はこちら。

映画『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』予告編

このブログでも島田知事について触れた記事をいくつか書いています。

この本で沖縄戦を勉強したい

島田叡沖縄県知事の前任者である泉守紀についての本を読んでみたい

引用した記事でも、監督の佐古氏は、

>島田知事という人に対する評価を含めて色々あるのは私も聞いてますし、今回は色んな視点でこの物語を見つめて頂けると嬉しい

と語っています。ってことは、この映画は、島田知事絶賛というものではないんですかね。予告編を見た限りでは、島田氏を相当高く評価しているように思いますが。題名も、『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』だしね。

島田知事の前任知事である泉守紀の評価は、拙記事から引用すれば

>世間では、泉を「死ぬのがこわくて逃げた」と厳しく批判し、島田は「それに対して」と高い評価です。

ということになろうかと思います。しかし、沖縄戦を研究している林博史氏は、その編著書のなかで島田に対して

>「一〇万人を超す命を救った」、あるいは二〇万人を救ったとして当時の県知事や警察部長を賛美する主張がある。はたして事実に照らしてそう言えるのだろうか。人々を戦争に駆り立てていった行政や警察を美化していいのだろうか。(p.70)

>島田知事が一〇万人を救ったというのは何も根拠がない。(p.71)

>いくら軍が強く要求したとしても、知事が死を覚悟して沖縄に赴任してきたとするならば、法的手続きを無視したやり方に異議を唱え、少年たちを守ろうとする努力をしれいれば、と考えるのは無理な注文だろうか。(p.72)

>こうした知事の言動を「本当に言いたかった」ことではないと何の根拠もなく解釈し、知事を弁護する向きもある。知事の側にいた人のなかには、命を大切にするように言われたと語っている人もいるが、それは知事と個人的なつながりのある人だけの話であり、一般の人々は新聞に掲載されたことを文字通りに受けとめるしかない。知事として県民に対して公的に語ったことと、身近なものだけにこっそりと語ったことが違っていた場合、後者をもってその人物を評価してよいのだろうか。島田知事は人柄としては人望のある人物だったようだが、公職にあるものは公的な言動で評価されるべきではないだろうか。(同上)

>近年、こうした知事や警察部長らへの美化論が本土から多く出てくるのはなぜだろうか。沖縄戦でも戦後の米軍基地についても沖縄を犠牲にし続けている本土が批判されている中で、自分たちの郷土の出身者が沖縄の人々を助けたと思うことに追ってホッとしたいという癒しへの願望が作り出した幻想ではないだろうか。(p.73)

>公人がその職務上、何を行ったのか、事実に基づいて議論するべきではないだろうか。(同上)

というように厳しい評価です。上に引用した佐古監督の話も、たぶんにこの林氏の意見を念頭に置いているのではないかと思います。すくなくとも佐古氏は、林氏の島田評価についてはご存じのはず。

映画でどれくらい島田の問題点などが指摘されているのかは現段階未見ですので当方論じられませんが、やはり絶賛ではだめだと私は思います。それでは林氏のいう

>沖縄戦でも戦後の米軍基地についても沖縄を犠牲にし続けている本土が批判されている中で、自分たちの郷土の出身者が沖縄の人々を助けたと思うことに追ってホッとしたいという癒しへの願望が作り出した幻想ではないだろうか。

になってしまうでしょう。それは、沖縄戦後から76年も経過した今日ではまずいと思います。私たちは歴史が経過して、ある程度当時のことを客観的に観ていくことが可能なのですから、それは林氏がおっしゃるように

>公人がその職務上、何を行ったのか、事実に基づいて議論するべきではないだろうか。

ということになるでしょう。そうなるとどうしても、島田に対して厳しい評価になるかと思います。とすると私としては、『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』が、どれくらい島田の限界について論じているかに注目したいですね。なかなかそれは難しいことなのかもですが(間違いなく難しいでしょう)、しかしそこに突っ込まないで「島田知事は人格者だ」なんて映画を作ってもあんまりおもしろくないと思います。彼個人の問題から時代の制約にいたるまで論じていかないと、島田知事の実像は見えてこないのではないでしょうか。当時の沖縄県知事というのは、実質的に植民地総督のような立場があったかと思います。そして軍と悪い関係にあった泉知事から知事職を引き継いだ島田知事は、軍からしても話が分かる知事でした。しかしそれは、住民保護とは相反するものになったわけで、これも私が前に書いた文章を引用すれば

>それを「仕方ない」「彼はやるべきことはやった」といって免責するには、沖縄戦ではあまりに多数の住民が死んでしまったわけです。

ということになるでしょう。大川小学校の教師たちもいろいろ批判・非難されているかと思いますが、その伝で言えば島田もいろいろな責任と重荷を背負ったし、また今日からすれば「もっといろいろなことができたのではないか」「これはさすがに軍に迎合しすぎなのではなかったか」などと論じられることも必要かと考えます。

ともかく鑑賞してみて、またなにか書きたいことが出てきたら記事を書こうかと思います。都内での公開は、3月20日からです。

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ビョルン・アンドレセンについての面白い記事が発表された(おかげさまで、私のブログもアクセスが良い)

2021-03-09 00:00:00 | 映画

日曜日(3月7日)、ネットを見ていて「お」と思いました。これは拙ブログにも関係する面白そうな記事です。2月16日の発表とのことですが、Yahoo!で紹介されてから読者がついたのでしょう。この記事を書いている7日午後5時54分ごろのYahoo!のエンタメ記事のランキングでこの記事が1番上にランキングされています。

>大人たちに性的に食い物にされた“世界一美しい少年”~『ベニスに死す』ビョルン・アンドレセン 【毒家族に生まれて】
50年前、「ルーヴルに飾るべき」とまで評された美少年の人生は、名声と引き換えに汚された。

少年の名は、ビョルン・アンドレセン。“世界一の美少年”として輝いた彼の人生は、大人たちによって性的に搾取され続けた。そこに導いたのは、子どもへの愛情不在の家族、両親、そして祖母の業。

のっけからかなりえげつないことが書かれていますが、確かに彼は、まったくもってひどく大人たちに翻弄されました。他人であり師匠のような存在でありうるルキノ・ヴィスコンティにしても彼にとっては、翻弄をし続ける存在でしかありませんでした。

そしておかげさまで私のブログも多くのアクセスに恵まれました。こんな感じです。

 

『ベニスに死す』がテレビで放送されたり、ネットでビョルン・アンドレセンに関係する記事が公開されると、拙ブログでの彼を題材にした記事を読んでいただけています。今回もそうなりました。ありがたいことです。

それでは、今回の記事はどのようなものだったのでしょうか。要所要所の部分をご紹介します。引用は、もとの「Elle」のサイトからでは引用しにくいので、Yahoo!のニュースサイトより。

>両親を失った幼少期

1955年1月26日、ビョルンはスウェーデン・ストックホルムに生まれた。幼少期の思い出に両親の姿はほとんどないが、親の“業”はこの後、彼の一生に付いて回る。

デンマークで育った母はボヘミアンで、ヨーロッパを転々としながら過ごし、頻繁にパリの芸術家コミュニティに入り浸っていた。そんななか突然妊娠する。相手の男性は生まれる前に若くして亡くなったとされ、何者なのかもビョルンは知ることがなかった。彼の一生は父を喪う所から始まったのだ。

母は産んで1年もしないうちに彼を両親に預け自分はノルウェー人男性と結婚。しかし4年で破局してしまう。

母は、夫に捨てられた哀しみから抜け出せず、抑うつ状態に苦しむ。度々息子の前から姿を消してはまた戻りを繰り返し、そして、10歳のとき再び失踪。6か月後母の顔を見た時、彼女は死体となっていた。自殺だった。

「僕の人生に両親がいたことはないんだ」 父だけでなく、母にも捨てられ、愛情を受けないまま育った。『ベニスに死す』に関する当時の無数の来日インタビューでビョルンは家族に関する質問には、ほぼ祖母のことしか答えていない。他はわずかに祖父も存在することが語られているだけ。

祖母、自分がセレブになるために孫を売りに出す

しかし、この祖母も決して彼に愛情を与える存在にはならなかった。彼女は孫の美貌に目を付け、子役にして稼ごうと目論んだ。これは美容師としての稼ぎだけでは生活が苦しかったための仕方ない選択だと同情はできない。

祖母は自分がセレブになりたいタイプの人間だった。孫が働く傍らで豪華な装いでくつろぐ彼女は、周囲には保護者として愛情を注ぐよりも先に、ビョルンによってもたらされる金銭と名声に酔っているようにも見えた。自分のため、エージェントに言われるがまま、我が孫を業界に差し出していたのだった。

(中略)

それはまるで、かつて欧米人が植民地の奴隷を見世物にしたのと同じ構図。案の定ビョルンは彼自身の名前ではなく、役名“タッジオ”で呼ばれるようになり、人格がないかのごとく扱われたが、ヴィスコンティはそう仕組んだ責任を取らなかった。もちろん大人の俳優として昇らせる次の階段を用意することはなかった。
 
(中略)
 
最初は役作りと称し、15歳のビョルンをゲイバーに連れて行った。アッシェンバッハに見入られるタッジオと同じ体験をするためだと。だが、これはヴィスコンティの自己承認欲求に過ぎない。珍しい希少な蝶を見せびらかしたのだ。   その時の経験を、のちにビョルンは新聞のインタビューでこう語っている。「(ヴィスコンティと)彼のスタッフにゲイバーに連れていかれたんだ。ウェイターたちに気まずくなるようなことをされて、みんなが舐めるような視線をぶつけてきた。まるで皿の上の汁を滴らせた肉を眺めるようにね」
 
ゲイ・コミュニティでは多くの出会いがあったと語り、満たされない愛情の穴埋めになったことも認めつつ、「恥ずかしくて死にそうだった」とその時の衝撃を表現してもいる。

ビョルンは“social suicide”という言葉を使ってこの時説明したのだが、実際彼はこれをきっかけに恐ろしい「社会的死」を経験する。撮影が終わり16歳になった後も、ヴィスコンティと彼のスタッフはゲイバーに連れまわした。そこで行われていたのは、エスコートというと聞こえはいいが、大人の男性たちによる“愛玩具”のトレード。母と同じ轍を同じパリで踏んだのだった。

そこで具体的に何が行われていたのか、本人は多くを語ってこなかったが、生活費と日々のプレゼントの代わりに(本人は何に対して支払われているのかわかっていなかった)、性的な搾取があったことは、いくつかの証言者により語られている。ヴィスコンティは出がらしになった“世界一の美少年”を、一種のオークションにかけたのだ。

追い打ちをかけるように祖母と結託したエージェントはビョルンを搾取した。『ベニスに死す』が公開されたあとヴィスコンティから見放されるのと反対に人気が爆発した日本での仕事を祖母は応援した。来日中は本人もある程度楽しんだとはいえ、エージェントと祖母にとってそれはあくまでCMやレコード発売などで儲け目当てにすぎなかった。そのため、ビョルンは連日のハードスケジュールをこなすために、薬物を飲まされていたこともわかっている。

(後略)

上でのアンドレセンの談話がある新聞記事のインタビューを、私も翻訳しています。

ビョルン・アンドレセンについての2003年の記事(1)

ビョルン・アンドレセンについての2003年の記事(2)

アンドレセンの場合、家庭環境が必ずしも恵まれていなかったことが、彼の祖母の過剰な彼への介入につながりましたし、彼もまた愛情に飢えていた人間だったようですね。『ベニスに死す』への出演により彼は、世界中の様々な人間からいろいろなニュアンスで愛されましたが、そのような愛は、彼を苦しめるもの、迷惑なものでしかなかったのでしょう。そして記事にもあるように、ヴィスコンティにとってもビョルン・アンドレセンとは、そのほんの一瞬の美貌があればよい存在でしかありませんでした。たとえば『ベニスに死す』の次の作品であった『ルートヴィヒ』に、彼を出演させてその後の彼の俳優活動を支援するなんてことはしませんでした。この映画で、オットー1世 を演じたジョン・モルダー=ブラウンの代わりにアンドレセンを起用するなどということはなかったわけです。ヴィスコンティにとっては、ヘルムート・バーガーのような寵愛の対象ではなかったのでしょう。

そして現在の彼は、『ベニスに死す』の当時とも、あるいは表舞台にまた顔を出すようになった21世紀初頭ごろの姿ともまるで違う姿です。たぶんそれは、過去との決別の意味合いがあるのでしょう。美少年のお坊ちゃん(実際のアンドレセンは、とても「坊ちゃん」なんていえるような存在ではありませんでした)というイメージを捨て去ることが、彼自身の大きなアイデンティティであったし、今後もまたあり続けるのでしょう。

最後の写真の出典はこちらのサイトより。隣の女性は、カタリーナ・ハール(? どう読むのかは不明)という女性です。スウェーデン語のWikipediaはこちら。ラジオジャーナリストの模様。アンドレセンが、彼女の取材に応じた際の写真のようです。

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復活した「午前十時の映画祭」のラインアップは、けっこうよさそうだ

2021-03-07 00:00:00 | 映画

コロナだなんだで、はたしてやるのかなとも思っていたのですが、今年の4月から再開される「午前十時の映画祭11」のラインアップが発表になりました。まずはあいさつを。

>1年間お待たせしました。「午前十時の映画祭」が帰ってきました。珠玉の傑作映画を再び劇場で!
特に素晴らしい傑作娯楽映画を選び、全国の映画館で1年間にわたって連続上映する「午前十時の映画祭」。2020年3月に10年の歴史に一旦幕を閉じましたが、ファンの皆様の閉幕を惜しむ声や熱い思いに後押しされ、「午前十時の映画祭11」として再開することが決定いたしました。
この10年間、映画館を取り巻く環境も大きく変化しました。再開にあたり、本映画祭をより長く維持するために、上映開始時間や鑑賞料金が変更となります。上映開始時間を10時からと限定せず【午前中開映】とし、鑑賞料金とあわせて劇場ごとの設定となりました。「午前十時」と銘打ちながらも開映時間が変わりますこと、あらかじめご了承ください。ご鑑賞前には各劇場公式サイトなどでご確認をお願いいたします。
オープニングを飾るのはショーン・コネリー出演作。ロマンチック特集から男たちの熱き闘い、魅惑の音楽特集まで。幅広いラインナップで初上映22作品を含む、選りすぐりの傑作27作品を上映します。
各作品の上映期間は、『ターミネーター』2作連続上映以外はすべて2週間上映です。また各作品の上映初日は金曜日となっておりますのでご注意ください。
「午前十時の映画祭11」の何度見てもすごい傑作映画を、映画館という最良の環境で心ゆくまでお楽しみください。

上の文章にもありますように、この企画は10回目で打ち切りになった理由が、各映画館の負担の問題でした。TOHOシネマズを中心とする大手シネコンでの上映が主とはいえ、やはり映画館からしても協力し続けられない側面があったわけです。よって、

>再開にあたり、本映画祭をより長く維持するために、上映開始時間や鑑賞料金が変更となります。上映開始時間を10時からと限定せず【午前中開映】とし、鑑賞料金とあわせて劇場ごとの設定となりました。「午前十時」と銘打ちながらも開映時間が変わりますこと、あらかじめご了承ください。

という措置になったと考えられます。この企画は最初大人1000円、学生500円(私は大学院生だった時代は、500円で観てしまいました)その後も1100円という破格の安さでしたが、やはりちょっとこれで長期の継続は厳しかったのでしょう。都内の映画館はまだしも、地方の映画館では正直閑古鳥が鳴いていたのも確かです。

さてさて、それでは今回のスケジュールをご紹介します。なお上映作品は、

【上映作品】 上映作品は全27作品
・外国映画の新セレクト作品/19本
・日本映画の新セレクト作品/ 3本
・これまで映画祭で上映した外国映画作品/4本
・これまで映画祭で上映した日本映画作品/1本

というわけで、だいぶ新作が多いですね。私もこの企画は、特に後半に、映画が同じ作品ばっかり、選定も意外性がない、とか考えたのですが、今回は再上映が5本ということで、スタッフや映画館からすれば安全パイの映画を上映したいのでしょうが、やはりそのあたりは、観客からもいろいろ不満があったのかもです。

ショーン・コネリーに愛を込めて
04/02(金)~04/29(木)
アンタッチャブル
ザ・ロック

オードリーの魅力を再確認
04/30(金)~05/13(木)
ティファニーで朝食を

ロマンチックが止まらない
05/14(金)~06/10(木)
ノッティングヒルの恋人
マディソン郡の橋

運命とはなんと残酷なのか
06/11(金)~07/08(木)
ロミオ+ジュリエット
イージー★ライダー

キューブリックはやっぱり天才
07/09(金)~08/05(木)
シャイニング 北米公開版〈デジタル・リマスター版〉
2001年宇宙の旅

ターミネーター見参!
08/06(金)~08/19(木)
ターミネーター
ターミネーター2

男たちの決闘を目撃せよ!
08/20(金)~09/16(木)
座頭市物語 (4Kデジタル修復版)
真昼の決闘

世界のクロサワここにあり!
09/17(金)~10/14(木)
隠し砦の三悪人 4Kデジタルリマスター版
赤ひげ

見ているのは幻か、それとも・・・
10/15(金)~11/11(木)
ユージュアル・サスペクツ
未来世紀ブラジル

人間の真実とは?
11/12(金)~12/09(木)
ファイト・クラブ
グッドフェローズ

それは歌とともに現れる
12/10(金)~01/06(木)
モスラ 4Kデジタルリマスター版
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス

音楽万歳!
01/07(金)~02/03(木)
天使にラブ・ソングを…
シカゴ

人生は思いもよらぬ展開に
02/04(金)~03/03(木)
スタンド・バイ・ミー
ファーゴ

03/04(金)~03/31(木)
イングリッシュ・ペイシェント
グラディエーター

映画館をAとBの2グループに分けて、それで交代で2週間(「ターミネーター」は1週間)醸成するという方式は、いままでと変わりません。再上映の映画が、「アンタッチャブル」「ティファニーで朝食を」「2001年宇宙の旅」「赤ひげ」「スタンド・バイ・ミー」といったところです。個人的には、オードリー(ヘプバーンよ、念のため)の映画を上映するのなら、「尼僧物語」でもすればいいじゃん(これなら初上映)と思いますが、そういうわけにもいかないんですかね。が、いずれはこの企画でも、「いつも2人で」と「暗くなるまで待って」を上映しないければい行けないのだろうなと思います。個人的には、「ロビンとマリアン」より後の映画を上映することはないと思いますが。あれより後は、正直「昔の名前で出ています」のたぐいでしょう。

あとは「モスラ」の上映が興味深いですね。「ゴジラ」は、あえて外したのも、新作の問題とかいろいろあるのでしょうが、「モスラ」も長きにわたって観ていないので、これは興味があります。

というわけで、料金も上がるのですが、面白そうな映画がありましたら、この企画を続けられればと思うので乞うご鑑賞。

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情報(4月に渋谷で大島渚監督の特集上映があり、『少年』に主演した阿部哲夫さんもトークショーに登場する!!!)

2021-03-04 00:00:00 | 映画

昨日ネットを見ていて、「おお!!!」という情報を見つけました。さっそくご紹介。コピペできないので、スクリーンショットでご紹介します。

なかなか鑑賞できない大島渚監督の監督作品を観ることができるのがうれしいですね。『小さな冒険旅行』は、私も観たことがありませんが、『私のベレット』は、その感想を拙ブログでも書いたことがあります。

「私のべレット」を観た

まだ正式なスケジュールが発表されていないので詳細は書けませんが、これはぜひ観てみたいというものです。

が、しかしそれよりもっとすごいのが、1969年公開の映画『少年』に主演した阿部哲夫さんがトークショーに登場するということです。多分ですが、『少年』が公開されて以降、阿部さんが公の場に登場することはなかった、もしくはそうでなくてもほとんどなかったんじゃないんですかね。

大島監督が亡くなったのが2013年であって、その後も大島監督の追悼上映、特集上映は何回もあったはずですが、阿部さんはたぶんですが、連絡がつかない、もしくはおもてだって顔を出すことを固辞していたのではないか。阿部さんは、『少年』出演後は映画の世界にとどまることはなく、もともと在籍していた養護施設に戻りました。この件については、以前に記事を書きました。

子役というのも、時に一期一会なのかなと思う(追記:『泥の河』で、「きっちゃん」を演じた桜井稔様からコメントをいただきました)

ともかくなかなかこれは、すごい機会だと思います。いろいろなご事情もあるかと思いますのでめったなことはいえませんが、もし可能であるのなら阿部さんには、今回に限らず折に触れてこのようなイベントに顔を出していただければと思います。あるいは、これから出版されるらしい樋口尚文氏の著作に登場するのか。ともかく、樋口著書でなくても、映画出演の際の話などをしていただければこれほどうれしいことはありません。上の記事で私は、

>いま上げた人たちのうち、「泥の河」の3人と阿部哲夫さんについては、その後について私は知りませんが

と書きましたが(『泥の河』での子役の1人である桜井稔様からは、拙記事へのコメントを頂戴しました。恐縮至極です)、阿部さんも表に出てくださったということです。ありがたいことです。

続報があると思いますので、ありましたらまた記事を発表いたします。読者の皆様も、ご興味のある方はぜひご注目をお願いいたします。

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私も関係者なので、ALSでの著名人の死には心が揺さぶられる(瑳川哲朗氏の死)

2021-02-28 00:00:00 | 映画

俳優の瑳川哲朗氏(上の写真では、右から3人目)がお亡くなりになりましたね。記事を。

>「ウルトラマンA」竜隊長 俳優の瑳川哲朗さん死去

 NHK大河ドラマ「三姉妹」の近藤勇役で知られ、舞台でも活躍した俳優の瑳川哲朗(さがわ・てつろう、本名勝野忠孝=かつの・ただたか)さんが17日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のため東京都内の高齢者施設で死去した。84歳。千葉県出身。葬儀は親族で行った。

 早稲田大を卒業。1959年入団の劇団青俳や東宝演劇部を経てフリーに。シェークスピア作「夏の夜の夢」など蜷川幸雄さん演出の舞台でも活躍した。

 67年の大河ドラマ「三姉妹」で近藤勇を演じたほか、映画「風林火山」やドラマ「大江戸捜査網」などに出演。特撮番組「ウルトラマンA」では竜隊長を演じた。

 洋画や海外ドラマの吹き替えも務め、クリント・イーストウッドさんらを担当した。89年に東京・赤坂に小劇場をオープンし、2008年の閉館まで代表を務めた。

上の記事にもありますように、瑳川氏はもともと舞台出身者でしたが、舞台だけでなくテレビなどにも積極的に出演していました。ウルトラシリーズでも、記事にも出てくる「ウルトラマンA」でのTACの隊長ばかりでなく、「ウルトラマンタロウ」「ウルトラマンレオ」のナレーションもつとめました。映画の出演は少なかったようですね。声優業もこなし、「刑事コロンボ」の第1話(パイロット版)である「殺人処方箋」でのジーン・バリーの声を担当したのが彼でした。なおこの音源はほとんど残っておらず、現在鑑賞できるのは、日本テレビ放送時に新収録された若山弦蔵が担当したバージョンです。ちなみにアニメ版映画の「ゴルゴ13」の主人公の声も、彼でした。

それで、氏は84歳とのことですので、こういってはなんですが、ご年齢としては正直お亡くなりになっても仕方ないかもしれませんが、私が驚いたのが、氏が難病筋萎縮性側索硬化症(ALS)でお亡くなりになったということです。そうですか・・・氏もALSだったのですか・・・。

ALSは、1年間に10万人に1人が罹患するとも言われます。そうすると自分が関係することは、非常に可能性は低いと思われるかもですが、人生80年でしたら1250人に1人はALSになることになります。また100年でしたら1000人に1人です。10万人に1人を超える数が罹患するとなると、もちろんこれより割合が高くなる。私たちにとっても決して無縁の病気というわけではありません。

前にも書きましたように、実は私の父もALSで死去しました。正直父がALSの疑いがあると医者から言われたときは、私も人生でこんなにおったまげたことはないくらいおったまげました。私が医者に行った際、初診の際にちょっと書類を書いて、父親がALSで死亡したということを記載したら、医者が「え! ALSで亡くなったのですか!!!」と大声をあげました。医者が絶叫するっていったいどんだけすごい病気なのだとあらためてALSのひどさを思い知りました。

父の死についてと、その関係の若干の感想

またいくつかの記事で、ALS関連について書いています。

世の中理不尽な災難にあうこともある

サム・シェパードの死で感じたこと

ALSが死因の有名人というと、たとえばデヴィッド・ニーヴン、そしてもちろんルー・ゲーリッグ川島雄三篠沢秀夫らがいるし、またこれは争議があるとのことですが、毛沢東もそうだったという説もあります。昨年、ALS患者への嘱託殺人も話題になりましたし、いろいろ世間を騒がせる病気ではあります。

瑳川氏は、報道によると高齢者施設でお亡くなりになったそうで、多分ですが、ご年齢もあり積極的な治療はしなかったのでしょうね。気管切開などをして呼吸を確保する場合もありますが、おそらくそれは選択をされなかったのでしょう。私の父の場合、あまりに進行が早く、本人に意思を確認する余裕もなくこの世を去ってしまいました。まったく子どもとしては、絶句にもほどがあるという感がありました。瑳川氏がいつごろから身体の変調を感じ、そして寝たきりの状況になったのかは現段階報道されていないかと思いますが、やはりご本人そうとう肉体は当然だし、精神的にもきつかったと思います。だんだんに自分の身体が動かなくなり、声も出せなくなる恐怖はすさまじいものがあるかと思います。芸能人やスポーツ関係の人など、姿や動きを見せるのが仕事の人であればなおさらです。非常に気の毒です。

ところでウルトラシリーズも、第1,第2シリーズでの防衛組織の隊長役の俳優さんでご存命の方は、「レオ」の森次晃嗣氏のみとなりました。「ウルトラマン」の小林昭二、「ウルトラセブン」の中山昭二、「帰ってきたウルトラマン」の塚本信夫根上淳、「ウルトラマンタロウ」の名古屋章の各氏が、みなお亡くなりになっています。森次氏も1943年生まれですから、今年78歳です。今から50何年前から40何年前に制作のドラマですから、隊長役の方はお亡くなりになるご年齢ですよね。ウルトラシリーズは、主人公はみなさん現段階全員ご存命ですが、「ミラーマン」(1971年~72年)での主人公役だった石田信之氏は2年前の2019年にお亡くなりになっています。

瑳川哲朗氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。下の動画は、2014年収録とのこと。

Ultraman Leo ウルトラマンレオ 울트라 맨 竜隊长、瑳川哲朗 Blu-ray映像特典 BD

コメント (1)
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