ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

父の死についてと、その関係の若干の感想

2013-06-08 00:00:00 | Weblog

しばらくブログをお休みしていました。申し訳ございません。

すでに記事でお知らせしましたように、私の父が5月30日早朝に亡くなりました。4月半ばに最後の入院をしたので、1カ月半の入院でした。

で・・・このような話は書かないほうがいいのかもしれませんが、実は私の父は、医師から筋委縮性側索硬化症(ALS)の疑いを宣告されていたのです。それを聞いたときはさすがにおどろきました。よりによって私の父がそんな難病にかからなくてもいいだろうとも思いましたが、しかし病気ですから仕方ありません。どうにもならないことです。

確定診断が出る前に父は死亡したので、正直実際のところはわからないのですが、やはりALSであった可能性が高いと思います。真相はともかく、症状が悪化する速さには語る言葉がありませんでした。

ご存知の方も多いでしょうし、またwikipediaなどで確認していただければお分かりになるように、ALSは治療法がありません。最終的には呼吸するための筋肉が衰えて死亡します。ただ現在は、人工呼吸器をつけて生き続けることもできます。

そして他の家族と医者、私との話し合いで、父には申し訳ないですが、人工呼吸器はつけないこととしました。残念ながら、そのようなものを装着しても、無益に父の苦しみを長引かせるだけだと判断したわけです。本来だったら父に前もって意向を確認すべきですが、父はそのような話をすることを非常に嫌う人間でしたので、聞くことができませんでした。

私が最後に父と面会したのは5月26日でして、その日父は私の手を取ろうとして、ALS(の疑いがある)にしては力が強いなと思いました。その日主治医が「あなたと話をしたかった」と言って、私に病状の説明をしました。その日はやや持ち直した?(ということもないのですが) という気すらしましたが、30日早朝「呼吸が悪くなった」という連絡をもらい、病院に駆けつけるとすでに心臓マッサージをしている段階で、心電図や脳波もフラットの状態でした。医師が「どうしましょうか」と最後の確認をしたので、延命措置は無用であると話をして、瞳孔の確認と心臓の鼓動を確認したうえでその時間が死亡時刻となりました。実際には、もっと前に亡くなっていたわけです。

主治医が不在だったので、当直医が説明をして、解剖の申し出がありました。私たち家族はそれを受け入れました。

通夜、葬式も終わり、私も仕事に復帰しています。平凡な日常にようやくもどりつつあります。それは私をほっとさせます。

通夜、葬式については、私は喪主ではないので、葬式会社との交渉・打ち合わせなどはすることもなく、私は頭を下げるばかりでした。で、今回の件でつくづく感じたことがあり、それは、自分の葬式は家族葬でじゅうぶんだということです。

香典その他も遠慮して、家族・親戚だけで弔ってくれればそれが私にとっていちばん気が休まります。上にも書いたように私の父は、葬式をどうするかとかそういう話を非常に嫌う人間でしたので、父の考えを確認できませんでした。家族の知る限りでは、父は一般の葬式をのぞんでいたようでしたので、 葬儀はそのようにしました。私は、家族葬を希望するということを話して家族の了解を得たので、私が死ぬ際はたぶん家族葬をしてもらえると思います。

ただ葬式の際に、私と仕事でかかわっている人が実は私の父のことをよく知っていたということがあり(先方も私も、そのことを知らなかったわけです)、その女性が大要「McCreary先生にはかつてお世話になった・・・」(父は親戚からも「先生」と呼ばれる人間でした)と私に語ったのには驚きました。たぶん彼女は、私から父を想像することができなかったのでしょう。父は小柄でやせていて、私は太っていて背が高い人間です。

あと、ここ最近会うことのなかった親戚が来てくれたのもうれしかったですね。今世紀に入って初めて会った従姉とあいさつできたのはよかったと思います。なお私は、なんの自慢にもなりませんが、ついに涙を流すことはありませんでした。たぶん私は、人間性とか感受性とかが欠けているのでしょう。

明日から通常運転の「ライプツィヒの夏」を再開します。また毎日更新いたしますので、これからもよろしくお願いします。また本日からまたコメント欄を再開いたします。

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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ogt)
2013-06-08 01:32:05
心よりお悔やみ申し上げます。
こういう時は故人を悼む間もないほど
慌ただしいものかと思います、
ご自愛ください。
Unknown (通行人A)
2013-06-08 07:33:03
お父上のご逝去をお悔やみ申し上げます。しばらくの間は仕事やお父上に関する色んな手続きでお忙しいかもしれませんが、ご自愛ください。
Unknown (hatsu)
2013-06-08 10:20:39
謹んでお悔やみ申し上げます。
お悔やみ申し上げます (inti-sol)
2013-06-08 15:07:47
いろいろ大変でしたね。

>今回の件でつくづく感じたことがあり、それは、自分の葬式は家族葬でじゅうぶんだということです。

おっしゃるとおりですね。我が家の場合、父がとにかく宗教嫌いで、お寺を呼んで葬式なんか絶対しないと言っていたので、いわゆるお葬式はやっていません(親戚は呼びましたけど)。私も、何かあったときはそうしてほしいなと思いますけど、こればっかりは遠い将来のことであってほしいですね。
Unknown (たかさん)
2013-06-08 18:37:02
お父上のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます。
いろいろ大変だったことと思います。どうかご自愛ください。
Unknown (大和撫子)
2013-06-08 21:47:27
お悔やみ申し上げます。
お疲れでしょうね。ゆっくり休んでください。
Unknown (デュオ・マックスウェル)
2013-06-08 23:08:11
謹んでお悔やみ申し上げます。

看取ることや葬儀をどうするかを少しずつ考えて
いかれればと思うに至りました。

涙を流すことがなかったのは私も同じでした。
20年前の10月に父方の祖母が亡くなった時
を思い出しました。
葬儀には行きたかったのですが、予備校で
模擬試験を優先するように親から言われた
こともあり断念しました。
試験当日は本当に涙が出ませんでした。
それが良かったのかどうかは今でも答えが出ない
ことは確かです。
お悔やみ申し上げます (shizukata)
2013-06-08 23:59:53
お父上様のご逝去、お悔やみ申し上げます。

この世界に生きているものすべてがいつかは亡くなります。
人間にとってその人の人生が幸せであったか否か最後に分かると聞きます。
お父上様はきっと幸せな一生であった事でしょう。ですからBill McCrearyさんは
涙が出なかった。悔やむ事があると涙が出るそうです。
葬儀は大変な事だったと思います。私は伯母の葬儀のとき仏式の葬儀は
大変なお金がかかる物だと実感しました。
仏教徒でもないのになぜか日本はお坊さんを呼んであの世に送ってもらいます。
戒名も不思議な物です。訳の分からない経を上げてあの世に送り出す。
「自分の葬儀のときは仏式では絶対しないでほしい。私は無宗教」と
常々家族にいっていますが、私は少々ひねくれているのでしょうか。
Unknown (大木銀太郎)
2013-06-09 11:20:18
 お悔やみ申し上げます。

 物理的な意味で親を亡くす大変さは状況・環境により程度の差は人それぞれでしょうが、精神的な意味では、人間関係内における親子の関係の重要さは、よしあし含めてさほど差はないと思われます。

 私も父を亡くしてすでに8年経ちますが、まだ色々と考えることがあります。

 この先もまだ落ち着けないでしょうが、御無理をなさらないようにお気をつけてください。
遅くなりましたが (凡人69号)
2013-06-09 12:37:53
心より哀悼の意を表します。
ウチも両親がともに70代となり、そろそろ最期のことをいろいろと考えなければいけませんが、正直なにも準備できていない状態です。葬儀に関していえば、おそらく普通に近くの葬儀会館で親しい人たちを招くかたちでの葬儀になると思います。人の死は時を選ばずにやってくるものなので、そのときのために、まずは心の準備だけはしておこうと思っています。

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