拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

仮面のアリア/天賦猫権/シフ・アンドラーシュの逆襲

2022-01-22 09:10:28 | 音楽

今週の朝ドラのおさらい。ジョーとトミーのトランペットの優勝決定戦はセッション方式。二人が同時にステージに立ってアンサンブルの中で妙技を競う。楽しそう。実際、負けたトミーも「楽しかった」と言っていた。クラシックのコンクール(一人ずつ演奏する)ではあまり見ない光景。だが、以前、レーザーディスクで見た「仮面のアリア」という映画では、「アリア合戦」で歌手が同時にステージに立ち、交互に声を張り上げ、どっちかの声がつぶれるまで続ける、というシーンがあった。なんだか声のでかさと高さ比べみたいな感じで、芸術を競う感じではなかった。朝ドラに戻る。ジョーは「あの少年」だったことが明らかになったが、「あの少年」とは進駐軍倶楽部でセッションを眺めていた少年であると同時に、金太の団子を食い逃げしようとした少年だよね?違う?そうなら、あるストーリーの伏線がごく初期から張られていたことになる(予告編てやつは、時系列をぐちゃぐちゃにしてるから必ずしも正確な予測を導くものではないが)。話は変わる。うちの猫は最近ご機嫌が悪い。以前は3回に1回は食品庫の扉が私のロープ鍵の閉め忘れで開き、中のラーメンを失敬できたのに、最近は飼い主が鍵を忘れないもんだからそれができなくなったから。写真は、扉を開けるのを断念した直後のケメ子。空のお椀を舐めている。

まるで修行僧(おひつの中にちょっとでも白いものを残してはいけない)である。彼女たちからすれば、既得権益はたまた生まれながらにして与えられた権利=天賦猫権を奪われた気分だろう。その腹いせに最近ではラーメンを茹でた後の鍋を舐めるようになった。だが、満足するまで際限なくご飯をあげないのは糖尿病予防のため。まったく親の心猫知らずだ。因みに、左上のとってに付いてるのがロープ鍵である。人権と言えば、さすがにコロナ禍で見なくなったが、以前は、コンサート・ホールで、持って生まれた当然の権利と言わんばかりに、誰に憚ることのない大声で「ごほん」とやる輩がいたものだ。例えば、40年近く前になろうか、東京文化会館でまだ髪が黒々としていたシフ・アンドラーシュ(ハンガリー式の名前順)を聞いていたときのこと、曲間で、例によってこれみよがしに「ごほんごほん」とやった人がいた。すると、すかさずステージの上のシフがそれを真似て「ごほんごほん」。会場から笑いが起きたが、あれはシフの逆襲だったと思っている。そのシフがピアノを弾きながら指揮もしたベートーヴェンのピアノ協奏曲全集が、古い録画の移行作業の中で出てきた。髪が真っ白。昔はバッハのスペシャリストとしてならしていたと思うが、50を過ぎてから満を持してベートーヴェンを弾くようになったそうだ。その演奏は、素朴で暖かい。最近ユジャワン等の曲芸のような演奏に慣れた耳にはたいそう新鮮であった。シフのために集まったオケは小編成。シフの弾き振り、つまり、指揮台の上で目を光らせる指揮者がいないから、お互いに聞き合って、自発的に演奏している風が見て取れる(まさに、セッションである)。カペラ・アンドレア・バルカというその名は、シフの名前をイタリア風に表したものという(シフ=船(ドイツ語)=バルカ(イタリア語))。なのに、発足当初そのことを明らかにしなかったら、評論家たちが血眼になって「アンドレア・バルカ」という歴史上の人物を探しまくったそうだ。シフはいたずら好きのようだ。逆襲の「ごほん」もいたずら心がさせたものだろう。え?シフって私より5つ上なだけ?すると、「ごほん事件」のときは30前後。血気盛んでもあったんだね。


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