コーイチは寅子に事実婚の申込みをした。それとともに互いに遺言を書こうと言った(朝ドラ)。なるほど!事実婚は、今日、ほとんど法律婚と変わりがない。唯一、相続権はない。それを補うのが遺言(遺贈)である。寅子達が書いた遺言は遺産の3分の1をパートナーに遺贈する、という内容だった(私もよく見てる)。「3分の1」は当時の配偶者の子供がいる場合の法定相続分である(現在は2分の1)。これで相続権についても実質法律婚と同じにすることができる。なかなかよくできたドラマである。ただし、「唯一」と書いたが、もう一つ、これは法律問題ではないのでよく知らないが、病院とかはどうなのだろうか。コロナのときのように身内しか見舞えない場合に内縁配偶者は入れてくれるのだろうか。
はて、ではなく、さて。大谷選手の二刀流は当初なかなか理解されなかった。特に、「専門家」のほとんどが無理だと言っていた。かつて日曜日の朝に「喝っ」と叫んでいたプロ野球の某レジェンドもその一人で、ピッチャーに絞れと言っていた。たしかに160キロを超える球を投げられる投手などめったにいないから絞るんならピッチャーと言うのも分からなくはない。だが、喝おじさんもその後二刀流を認めるようになった。「あの打撃を見たら」と言っていた。大谷選手が自らの力で周囲の雑音を一掃したカタチである。そもそも大谷選手が二刀流を貫いたのは自分を信じたから。もし、大谷選手が他人の言うことを良く聞く子だったら、世間ではそういう子を「いい子」というから言い直すと、もしいい子だったらわれわれは二刀流の活躍を見ることができなかったわけである。その点、横野君は自分も大谷選手と同じだと言い張ってる。って言うのも、合唱団のアルトで女性に交じっておかま声で歌うって当初なかなか理解を得られなかった、でも、自分の歌声ではおかま声が一番まともだと信じて、その信じるところに従ってやってきた、そこが同じだっていうわけ。え?大谷選手とおかま声を一緒にするな?私もそう思うんだけど、横野君は、自分と大谷選手の違いは受精卵と成人した人間の違いだって言ってる。つまり、量的には比べものにならなくても質的には同じ人間だっていうわけ。なるほどと思ってしまう私はバカだろうか。
それから横野君は、「美しい水車屋の娘」の粉屋見習いも自分と同じだと言ってる。つまり、粉屋見習いは(と言ってもこれはあの物語の若者に限った話じゃなくて、ドイツの若い職人みんなに共通なんだけど)修行のためにWandern(遍歴の旅)をするが、自分もおかま声で歌えるところを求めて遍歴の旅に出た。で、いくつかの合唱団や歌う会にたどり着いた、そこが同じっていうわけ。まあ、いく先々で奇異な目で見られたらしいけど、お友達もたくさんできたんだとさ。それはようござんしたね、と言ってあげよう。
でも、もし「水車屋」の粉屋見習いと同じなら、失恋して水に沈まなきゃいけないけどそこはどうなんだって聞いたら、そこは違うんだと。横野君くらいのロートルになると、失恋したっていくらでも代わりがいると分かってるんだって。なんでも、「ナクソス島のアリアドネ」ってオペラでグルベローヴァって歌手(が演じるツェルビネッタっていうはすっぱ)が「神が去ると別の神が来る」(男が逃げてっても別の男が来る)って歌ってるんだってさ。つうか、横野君の場合、そもそも「花より団子」で「団子」=「ワイン」なんだけどね。すると、ワインが1本空になっても別のボトルがくる、ってとこかしらね。