拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ヘレン・ドーナト(ソプラノ)~♪あっと驚くタメゴロー

2024-08-12 09:21:15 | 音楽

このタイトルだと、ヘレン・ドーナトというソプラノ歌手が「あっと驚くタメゴロー」と歌う感じだがそうではない。話は、厳粛な方面から始まる。

すなわち、その昔(Es war einmal)、レコードには定盤というモノがあって、例えば、第九と言えばフルトヴェングラーのバイロイトの演奏だったり、セ・リーグの一塁手なら王貞治だったり(レコードの話からはそれた)したわけだが、そうした観点から言えばバハのマタイ受難曲といえばこれはもうカール・リヒターで決まりだった(今聴いてみると、かなりゆっくりで、必ずしも「標準」とは言えない気がする)。その「リヒターのマタイ」には映像もあって、そちらのソプラノはヘレン・ドーナトなのだが、これに雑誌の批評欄でケチをつけた人がいた。「なぜエディト・マティスを起用しなかったのか?」というのである。私は憤慨した。ヘレン・ドーナトは、美声でテクニックもしっかりしていて、非の打ち所がない歌を歌っていた。なのにケチをつけるのは、きっと、ヘレン・ドーナトがアメリカ出身で、声もキャラも明るすぎる点が気に入らないのだ、この批評家は、受難曲はドイツ語を母国語とする人が暗い顔をして厳粛に歌わなければならないという固定観念にとらわれいるんだ、と私は思った(こうした私の反感自体が下司の勘ぐりだったかもしれない。敗因をまったくお門違いの事柄に結びつけて逆恨みする例はよく見るところである)。

私が、ヘレン・ドーナトの映像を最初に見たのは、実はマタイ受難曲ではなく、オットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房達」というオペラであった。クーベリックが振る序曲の合間、舞台には歌手たちが自分の名前(役名だっけ?)の書いたプラカードを持って行進する、という演出がとられていたが、その中でも、金メダルをとった北口選手のようにあふれんばかりの笑顔をふりまいていたのがヘレン・ドーナトだった。因みに、この映像は、ドイツ文化センターで上映された一連のドイツオペラの一つだったが、その中でも特によくできていた。だが、他の映像はのきなみDVD化されたのに、この作品はされなかった(かろうじて、その音源を収めた輸入盤LPをゲットした)。ドイツワインの試飲会で客にワインを注いでいたドイツ人のフロイラインにこのオペラの話をしたら「『ニコライ』と言ったらロシア人に違いない」と言っていたが、ドイツ人にすらロシア人と言われてしまうほどの作曲者の知名度では仕方が無いのかもしれない。あと、この映像にはトゥルデリーゼ・ビジン・シュミット(メゾ・ソプラノ)も出ていた。私はオペラ歌手の中でこの人が一番の美形だと思っている。「ビジン」というミドルネームを勝手につけているのはそのためである。

「プラカードを持って行進」で思い出すのが、半世紀前に放送されたバラエティ番組の「巨泉前武ゲバゲバ90分」。冒頭、テーマ音楽が流れるなか、出演者が次々と自分の名前の書いたプラカードを持って現れた。因みに、この番組中、繰り出されるコントの合間にときどきハナ肇が登場して「♪あっと驚くタメゴロー」((移動ドで)ラッソソソソソソラミレドレー)と歌っていた(ここで、ヘレン・ドーナトと「あっと驚くタメゴロー」がつながったわけである)。ハナ肇は、これを歌ったあと常に「なに?」と言っていた。この「なに?」の意味は未だに謎である……つうか、そもそも「あっと驚くタメゴロー」自体が謎である。なお、件のテーマ音楽は♪(移動ドで)ソー♯ファーラソ、ソー♯ファーラソ、ソー♯ファーラソー♯ソラー♯ラシ、ソソソソで始まる威勢のいい曲で、作曲は宮川泰。そのご長男の宮川彬良はマツケンサンバⅡの作曲者である。

因んだ話その1。ヘレン・ドーナトの姓が「ドーナト」なのは、ドイツ人のドーナトさんと結婚したからである。だから、アメリカ生まれだからと言って「ドーナス」と発音するのは誤りである。そのドーナトの話題を音楽を専門に勉強した方々と話してる際に持ち出したら先生方はご存じなかった。そうか、ヘレン・ドーナトもそんだけ古いか。ってことは私もそんだけ古いか。私のブログの読者が10人しかいないはずである。

その2。ドーナトにケチをつけた評論家が「エディト・マティス」の名前を挙げたことから、評論家氏の年代が伺える。エディト・マティスは、ある年代の日本の音楽ファンの間で絶大な人気を誇っていた。ホントは「可愛い」といいたいところなのにクラシックファンは滅多にそういう言葉を口にできないから遠回しなことを言って褒めていた。私ならためらうことなく「エディト・カワイー・マティス」と言っていたところである。いや、私だってマティスは大好きで、ベームのモツレクのソプラノ・ソロを愛聴していたものだ。申し遅れたが、今書いてるのは横野好夫です。

その3。上記のとおり、笑顔と言えば、ヘレン・ドーナトか北口さんかと思うくらい、やり投げの北口さんの笑顔は輝いていた。そんな北口さんでも、オリンピックが始まる前は、誰が味方だか分からないと思って悩んでいたそうだ。へー、万人から愛されてそうな北口さんでもそんな心境になるんだね。とかくに人の世は住みにくい(草枕より)。