拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

蜘蛛の糸/古事記

2024-08-16 08:57:41 | 日記

お盆だが行くところがないから○文字(○には整数が入る)の店に行ったら平日なのに満員。同じ地域の住民のやること考えることはだいたい同じである。そのお店でスプーン箱からスプーンを出すと汚れている。洗浄機で洗い落とせなかったものとみえる。箱にスプーンはたくさんあったから汚れてないものに替えたが、世のため人のためには汚れたスプーンをそのままにしておくわけにはいかない。かと言って、お店の人に言えば「カスハラ」扱いされるだろう。だから、空いたお皿に実際に使ったスプーンと一緒に乗せておいた。これで洗われる。だが、何も知らない店員は、一皿にスプーンを二個も使って贅沢な客だと思うだろう。それでもお釈迦様はお見通しだろうから、私が地獄に落ちたとき、一本の蜘蛛の糸を私に垂らしてくださるに違いない。私の後に、他の罪人が続いても、これを蹴落としたりすると、私のすぐ上で糸が切れることは先刻承知だから続くままにさせておく所存である。

お話の話ついで、古事記のあらすじを記した本を読んだ(昔、時間があくと本屋に入るのが常で、そのとき買って読んでない本がやまほどある。その一つである)。子供の頃読んだ「古事記物語」も今から考えると子供用に翻案されたあらすじであった。「本物」の冒頭では、イザナギがイザナミに「私の凸をあなたの凹に入れよう」と提案しイザナミが快諾する。これをもって、日本民族を好色な民族であり、われわれのDNAにはそうした好色な血が流れていると理解することも可能だが、今回、読んだ本には「古代、性行為は神聖な行為とされていた」と書いてあった。ということは、儀式のように、人前でいたすこともあったのだろうか。因みに、「ばらの騎士」というオペラに登場する好色なオックスというひひおやじが「フランスでは高貴な人は人前で行為をする」と言ってるらしいが、私が見たマリー・アントワネットを描いた映画でルイ16世とマリー・アントワネットがたしかに大臣の前でいたしていたから(大臣は、王様がちゃんといたせるかどうか見届けるのが職務のようであった)、theひひおやじの言うことはあながちウソでもないと思った。

そうした好色な血がDNAに流れている件はちっとも恥じることではないが、こういうDNAはどうもなー、と思ったのは、ヤマトタケルを始めとする英雄達がだまし討ちにあけくれる点である。スサノオノミコトが大蛇に酒を飲ませて酔っ払わせてこれを殺したことは、相手が大蛇だからまあ許せるとして(「釣り」や「罠による狩猟」は魚や動物に対するだまし討ちである)、「女装して近づいて刺し殺した」「親愛の印に剣を交換しようと言って相手に木刀を渡しておいて斬り殺した」等の手段を弄して敵対する部族を平定したって話が続くと、自慢たらたらだが自慢話にはならないのではないかい?よくこんなことを公式の歴史書(古事記は天皇に献上された)に書いたよなー、と不思議に思う。「だまし討ち」と言えば、アメリカ人は真珠湾攻撃をそのように思って「リメンバー・パールハーバー」で本気になってしまったわけだが、思い出すのは、小学校の授業中に日本は真珠湾の攻撃後に宣戦布告をしたって話が出たとき、K君が血相を変えて「宣戦布告は攻撃前にしようとしたのだけど伝わらなかっただけ(だからだまし討ちではない)」と叫んだこと。因みに、K君は、小学生でありながら政治意識が高く、某保守政党を賛美し某革新政党をこき下ろしていた(クラスメイトの大部分は、普段そんなことを考えたこともないから、白い紙がインクを吸うようにK君の思想に染まって当該保守政党支持になった。だから子供に選挙権を与えることは考え物である)。今、当時のことを思い返してみると、K君の言動は、親御さんの影響下でなされたものであろうが、それがRecht派として首尾一貫しており、農家の息子であったことともガテンがいくのである。

それにしても、古事記の登場人物の名前がはんぱなく長い。ロシアの小説の登場人物の名前も長いが、あっちはだいぶ慣れた。それに対し、こっちは聞き慣れないモノばかりだからどこで切っていいかも分からない。切っていいところを「・」で区切ってもらえるとありがたいのだが(唯一、「イラツメ」が出てきたら、その前で切っていいことは理解した)。