拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

とうとう嬉しい時が来た(株価とオペラ。ルチア・ポップのことも)

2024-08-06 09:17:18 | 日記

日中のニュースで「日経平均が一時2500円値下がり」と報じていて、この「2500円」は時間帯によって「2000円」だったり「1400円」だったりでいろいろ。まあ、「一時」だから終値はそんなに下がってないだろうと思ったらあなた、とんでもなくて、4400円以上の値下がりで、過去最大=金メダルだそうである。株を持ってる人は、さぞや青くなっていることだろう。あるいは、これまで株が高すぎたから下がるのを待っていた人にとっては「いよいよ時期到来」と胸が高鳴っているかもしれない。15年前の私がそうだった。当時、仕事で某所に通っていたのだが、駅から出たところに証券会社があって、その壁の電光掲示板を毎日見ていて、下がれ下がれ、下がったら買うぞと思っていたらリーマンショックが起きて株価が暴落。モーツァルトの「フィガロの結婚」というオペラのアリアに「とうとう嬉しい時が来た」というアリアがあるそうだけれど、当時の私の心境がまさにそれであった。で、某社の株を買った。ところがまた下がった。買い足した。また下がった。これを繰り返すうちに気がつくと私はなけなしのほぼ全財産を某社の株につぎこんでいた。一般的にはたしかにこのときが株価の底であり、この時期株を買った人の多くは儲けた。だが、多くの人が儲けたということは、一身に損を引き受けた人がいるということである。私はその一人だった。私の買った株は、「美しい水車屋の娘」で入水し水底に沈んだ若者のごとく沈みっぱなし。回復するまで15年かかった。その間、某大な含み損を抱えた私は「極貧」であった。あの場所にあの電光掲示板さえなければ、と逆恨みもした。15年経ってようやく値が元に戻ったところで売って損は解消したが、「失われた15年」の間に心が受けたダメージは消えることがない。私の寿命は、これがために確実に短縮したはずである。だから、世間は、ニーサだなんだと騒いでいるが、二度と株はやるまいと心に決めている。生命保険を解約しようとしたら保険会社がしきりに投資を進めてきたから、私はこれこれしかじかの経験をした、だから投資はしない、と言うと黙った。だから、今は、「一攫千金」の夢がない代わりに平穏である。毎日の経済ニュースに一喜一憂していた頃とは別世界である。

ところで、株価が暴落する、ということはみんなが売ってるということだが、この流れに逆らって買うことを「逆張り」という。日本人は、結構逆張りをする人が多いそうだ。実際、大暴落から一夜明けた今朝は600円以上の上昇で開始している。考えてみれば、逆張りは庶民だけの特性ではない。日銀も、さすが日本の中央銀行だけあって、庶民と同じで逆張りが大好きである。なぜなら、それこそリーマンショックの際、アメリカ始め各国が景気を底上げするために金融を緩和しているときに、日銀はひたすら引き締めていた(当時、ブログを始めたばかりの私は、日銀のこの態度を「動かざること日銀の如し」と書いた)。そのため円高が加速し、1ドル80円を切るところまでいった。その後、「黒田バズーカ」で過度な円高は解消したが、次にインフレになると、各国がその対策として金利を引き上げてるのに日銀は超低金利を維持したまま。これにより円安が加速し、日本の庶民は牛肉が食べられなくなった。そして、最近になって、ようやく日銀が利上げに踏み切ったときアメリカは利下げ。で、今回の株価大暴落である。見事なまでに、アメリカを始めとする諸外国と反対のことをやり(逆張り)、その結果、過度な円高や円安や株価暴落を招いている。ってことは、諸外国と歩調を合わせていれば、数々の災禍を防げたのだろうか。だが、日銀の人達は私の千倍頭がいいはずである。私達凡人には理解不能な深謀遠慮があるのだろうか(それとも、単に「こんなはずじゃなかった」ということだろうか。だが、日銀を攻撃するのはやめておいた方がいい。頭のいい人達は反論が得意である。千倍になって返ってくる)

因みに、今回の株価大暴落を受けて、宗教団体の被害者救済に熱心な某弁護士の「投資を奨める政策は転換する時期に来た」というようなコメントがネットニュースに上がっていた。え?この人、人権派の弁護士の大先生で法律家だけど、経済政策にまで語るようになったの?と思ったが、考えてみれば、分野にかかわらず意見を言うのは全く自由である(表現の自由)。現に「ただの無職」の私だってこうして意見を述べている。違和感があるとすれば、有名人の意見を(畑違いであっても)お宝のように有り難がるメディアに対してである。

ここから、私、横野好夫がバトンタッチを受けて書きます。拝島さんが、モーツァルトの「フィガロの結婚」というオペラに「とうとう嬉しい時が来た」ってアリアがある、と書いていた。それはスザンナのアリアなんだけど、私はこのアリアが大好き。特に、ルチア・ポップが歌ったら、それは「絶唱」の言葉がぴったりあてはまる。このアリアを歌うポップの映像・音源はいくつもあるが、なかでも特筆すべきが1980年にウィーン国立歌劇場の来日公演で歌ったときのもの。指揮のカール・ベームの蚊が止まるんじゃないかと思うほどの遅いテンポでもポップは見事に歌い切っていた。こういう歌手を「上手な歌手」と言うんだなー、とあらためて思った次第である。