拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

禁断の地の花火大会

2024-08-03 20:31:13 | 日記

足立区の現住所で書き物をしていたら、外でドンドン音がする。笑点で、たい平が花火を模して床を叩く音のようだ、と思ったら、なんと東の窓から花火が見えた。

方角からする江戸川花火大会だな、だけど、これまでウチから見えたっけ、と思って調べたら、今年の江戸川花火大会は8月24日である。するとこれは一体どこの花火大会だ?今日開催される花火大会をチェック。花火日和のようで結構ある。銚子?遠すぎるよな。習志野?方角が違うよな。とか思ってたら、な、なんとM戸で今日開催されていた。方角、距離から言ってM戸に間違いない。しかも、打上げ会場は、私が40年以上前、会社の寮で1年暮らした地である。かように、M戸は私にとって想い出の地なのだが、現在、私はこの地に入ることが許されていない身の上。密かに某川を渡って同地に行こうとすれば、それは命がけの行為である。すなわち、M戸は私にとっての「禁断の地」なのである。そんな地で催されている花火大会を、安全な場所からゆっくり見られたのであるから感無量である。思わず、たーまやー!と叫びたくなったワタクシである。因みに、ウチの猫の名前はどちらも「たま」ではない。それから、半世紀前にアニメが放送された「ビッグX」の主題歌の歌詞に♪たーまなーーーんかはねかえせ!という箇所がある。


老いらくの恋/嘆きの天使

2024-08-03 12:14:13 | 音楽

通常、布団台地の上にワサビが、下(崖下)にケメ子が陣取る。

言ってみれば、ワサビが上野公園で、ケメ子が上野駅(耳のあたりが公園口)ってところである。

はて、ではなく、さて、今週の朝ドラでは、放火犯の容疑をかけられた朝鮮出身者が身内に宛てた朝鮮語の手紙に「中を燃やした」という表現があり、この手紙を検察が証拠として裁判所に提出したのだが、朝鮮語で「中を燃やす」は「気を揉ませる」を意味する慣用句であることが判明、被告人は無罪となった。

こんな検察にかかったら、例えば、シューベルトが曲を付けたミュラーの「美しい水車屋の娘」の第7曲「いらだち」の中の「Auf meinen Wangen müßt man's brennen sehn」(直訳=私の頬の上に、人は燃えさかるそれを見るに違いない)でさえも放火の証拠とされかねない。あるいは「頬の上でお灸をする」と解するだろうか。それなら害がないからよっぽどましである。

そんなミュラーもシューベルトも19世紀のロマン派の芸術家である。「ソフィーの世界」はロマン派のことにも触れていて、それによると、ロマン派の哲学者・芸術家が描く若者は色恋沙汰の揚げ句よく自殺をするそうだ。なるほど、「水車屋」の主人公の若者は、失恋して太宰治になった(入水した)。ワーグナーのオペラの登場人物も暇さえあれば「死にたい」と言うそうである(横野君情報)。のみならず、哲学者・芸術家自身も早死にで自殺も多かったそうだ。そうした彼らも30を過ぎるとぱたっとロマン派を「卒業」したという。歳をとると、価値を置く対象が「色恋」から別のモノにシフトするのだろう。そう言えば、ロッシーニという作曲家は76歳まで生きたが、オペラを書いたのは37歳が最後で、後半生はもっぱら美食の道を邁進した。ミュラーもシューベルトも30代でなくなったが、もっと長生きしてたら、その作品の主人公はもはや入水などしなかったかもしれない。だが、シューベルトはお金がなかったぽいから、ロッシーニのような美食家にはなれなかったろう。それでもB級グルメ家にはなれかもしれない……って、話がいつの間にか自分のことになってるっぽい。

「歳をとると色恋から別のモノにシフトする」と書いたが、逆もある。真面目一方で人生を歩み功成り名を遂げた人がおだやかな老後を迎える段になってなんかのはずみで色恋に落ちる場合があり、それを「老いらくの恋」というが、その末路は大体悲惨である。どんなに悲惨か知りたければ、マレーネ・ディートリヒがヒロインを演じた映画「嘆きの天使」を見るとよい。

まさか、「嘆きの天使」に話が及ぼうとは、今回のブログを書き始めた段階では夢にも思わなかった。例によって、先の読めない、色恋のような私のブログである。