桜の森の満開の下での秘密は誰にも今も分かりません。
あるいは「孤独」というものであったかも知れません。
なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。
彼自らが孤独自体でありました。
彼は始めて四方を見廻しました。
頭上に花がありました。
その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。
ひそひそと花が降ります。
それだけのことです。
外には何の秘密もないのです。
彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。
彼の手が女の顔にとどこうとした時に、何か変わったことが起ったように思われました。
すると、彼の手の下には降り積もった花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。
そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も延した時にはもはや消えていました。
あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりでした。
・・・小説「桜の森の満開の下で」の終章の一番好きなシーンです。
坂口安吾の小説の世界をどのように茶事として表現したらよいのか、
いざとなるとあれこれと迷い出しました・・・。
迷った末に心掛けたのは、なるべく説明を少なくして「桜の森の満開の下で」の世界をシンプルに表現したい、
そして、お客さまの独自の解釈や豊かな感性にゆだねたい・・・と思いました。
待合の掛物は「般若心経」。
屈強で恐れを知らない男(山賊)が桜の森を怖れ慄いたのはなぜでしょうか?
死の恐怖でしょうか、それとも孤独を怖れたのでしょうか?
私には桜の森があの世とこの世の境界で、生と死の狭間の異界のように思え、思わず般若心経を唱えました。
太平洋戦争の空襲が激しかった頃、上野の森に空襲による死者が集められていました。
おびただしい老若男女の遺体、性別の分からない焼死体・・・
上野の森は桜が満開でした。
桜の下には、人がたくさんいるのにまるで誰もいないようなしーんと静まり返った空間が続いています。
ひそひそと花が死者たちに降りそそいでいました。
小説「桜の森の満開の下で」は、この時の坂口安吾の原体験が元になっているそうです。
満開の時の「私のサクラ」です
一転して、床の御軸は「喜 無量」です。
茶事のお客さまは、正客Hさま、次客Oさま、三客M氏、四客N氏、詰Aさまの5名様です。
1年間お待たせしましたが、皆さまと元気に今日の日を迎えられたことが何より嬉しく思いました。
それに茶事は一人ではできません・・・。
半東Fさん、懐石の佐藤愛真さん、そしてツレの協力の下、念願の茶事が出来ることに「喜 無量」でした。
初炭が始まりました。
2月末に蛭釘を取り付ける工事をしてもらい、茶事に初めて釣り釜の登場です。
釣り釜は糸目桐文車軸釜、長野新氏造のお気に入りの釜です。
四客のN氏こと西中千人氏は長野新&珠己夫妻の初釜でご縁があった方なので、ぜひ新氏に造って頂いた車軸釜を掛けたいと思いました。
香合は急遽、蛤香合に変えました。
漆黒の漆に桜が一枝、金蒔絵で描かれています。
満開の桜に遠慮して桜の茶道具は使わないと決めていたのですが、一輪も咲いていないので「せめて・・・」と。
香は「玄妙」(山田松香木店)です。
その後、懐石、菓子、中立、後座と続きますが、来年も桜の季節にこのテーマで茶事をしたい・・・と思いはじめました。
・・・それで茶事の趣向は「秘密」にさせて頂きますね。
主菓子はきんとん、菓子銘「鈴鹿山」(暁庵製)
最後に、感性豊かな素敵なお客さまに御礼申し上げます。
おかげさまで、お茶もお話も只々愉しく・・・幸せな夢のようなひと時を御一緒に過ごすことが出来ました。
お客様同士も相和してご縁を結んでくださったようで何よりです。
不肖の亭主を支えてくださった半東Fさん、懐石の佐藤愛真さんに心から感謝いたします。
また来年、この茶事ができますように・・・!!
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