暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

山口と萩の旅・・・山口市の大内文化を訪ねて

2017年04月26日 | 

                 雨に煙る 国宝・瑠璃光寺五重塔

Oさんの茶事の後、山口市と萩市を廻る3泊4日の旅へ出ました。

「横浜から柳井まで来て頂くのは遠いので・・・」と遠慮していたOさんですが、
「茶事のあとに念願の山口と萩へ回るので是非に」と厚かましくもお願いしました。
山口と萩はかつて青春時代にツレと一緒に旅行した思い出の地で、
私ども夫婦はもう一度二人で行ってみたいと長年思っていたのです。

山口にはいろいろ思い出がありますが、先ずは国宝・瑠璃光寺五重塔へ。
その日はあいにくの雨、湯田温泉からタクシーで瑠璃光寺五重塔へ直行です。
脳裏に刻み付けられたままの五重塔が池の向こうに美しい姿で立っていました。

応永の乱で戦死した25代大内義弘の菩提を弔うため、弟の26代大内盛見が嘉吉2年(1442)に建てた供養塔です。
高さ 31.2m で檜皮葺の屋根、二層にのみ回縁(まわりえん)がついているのが特徴だそうです。
建築様式は和様ですが、勾欄の逆蓮頭や円形須弥壇など一部に禅宗様(唐様)が採り入れられています。
大内文化の最高傑作といわれ、日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺とならぶ日本三名塔の一つです。

傘をさしてみる満開の桜に彩られた五重塔、雨に煙る風情が心に残ります。
続いてお詣りした瑠璃光寺本堂(曹洞宗)、四国八十八ヶ所の札所を思い出す雰囲気が好ましい寺でした。
全国の五重塔に関する資料館があり、五重塔大好きなツレが資料館へ行っている間、
回廊入口の縁台に腰かけて名物”あめ湯”をすすりながら、しばし塔を眺めて過ごします。

           
                     瑠璃光寺本堂・・・縁台であめ湯をすすりました

瑠璃光寺から香山公園(うぐいす張の石畳や枕流亭)を抜け、洞春寺(とうしゅんじ)へ。
毛利元就の菩提寺ですが、こちらの観音堂は大内氏の菩提寺・観音寺の仏殿を移築したものでした。
洞春寺から竹藪の道を通って、山口県庁へ出ました。

           
                  山口県庁・・・搭のある洋館と桜に誘われパチリ

31代大内義隆の菩提寺・龍福寺へ向かってぶらぶら歩いていると、一の坂川が流れていました。
室町時代の大内氏は山口市を本拠地として亰風の町づくりを行い、大陸との交易により華やかな大内文化を作り上げ、山口市は西の京と言われるまで繁栄したのでした。
一の坂川はまさに西の京の加茂川、満開の桜と新緑の柳が美しく、川沿いには古い街並みが残る素敵な散歩道です。

         
                一の坂川・・・川沿いの洒落たカフェや古民家のある町並が素敵です

大内塗の作業風景が見学できるという山口ふるさと伝承総合センターへ寄りました。
ひそかに期待していた大内塗の棗に出会いました。
大内塗師・冨田潤二氏の作品で、伝統的な大内菱と秋草が描かれている寂朱色の中棗です。
昔、大内人形を持っていたことを富田氏に話すと、大内人形のルーツを教えてくださいました。

24代大内弘世は、京より迎えた公家の姫君がしきりと都を懐かしがるのを慰めるため、
ホタルを京から取り寄せては放したり、人形を集めて人形御殿を作ったそうです。
その優しさはやがて姫君の心を溶かし、二人は仲睦まじく暮らしましたとさ・・・めでたしめでたし。

いつか大内塗の中棗で柳井市のOさんを茶事にお迎えできたら・・・と夢が膨らみます。

           
                龍福寺・・・桧皮葺きの屋根が美しい31代大内義隆の菩提寺

山口市の主なコース
湯田温泉~瑠璃光寺五重塔~香山公園(うぐいす張の石畳)~洞春寺~山口県庁~一の坂川~川沿いの洒落たカフェレストランでランチ~山口ふるさと伝承総合センター(大内塗)~龍福寺~古民家・工房散策~一の坂川~山口駅           

           山口と萩の旅・・・次につづく