暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「桜の森の満開の下で」の茶事・・・その1 桜が咲かない!

2017年04月04日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

           真ん中がまだ咲かない 「私のサクラ」   (2日の茶事が終わってから4日に撮影)


   花時心不静といへることを

      のどかなる折こそなけれ
           花を思ふ心のうちに風は吹かねど        和泉式部


今年の桜はなんて咲くのが遅いのでしょう! 
茶事の10日前から開花情報と天気予報を気にしながら落ち着かない日々を過ごしていました。

近くの公園にソメイヨシノが10本ほどあり、その中の枝ぶりの良い桜を「私のサクラ」と名付けて、
台所の窓から朝な夕なに眺め暮らしています。

いつもは3月27日頃から咲き始め、4月になると見事に咲きそろうのですが、
この寒さでは4月2日の「桜の森の満開の下で」の茶事に間に合いそうもありません。
なんせ2年越しの、待ちに待った茶事なので「私のサクラ」が満開になってほしいのです・・・。

半ばあきらめ、半ば奇跡を望みながら毎日「私のサクラ」に話しかけていました。
「まだ無理かしら? 晩秋に枝を剪定したせいなの?
 お願いだから咲いてちょうだい・・・

「4月2日の茶事には間に合わない・・・」
茶事の3日前に潔くあきらめました(咲かない桜を受け入れました)。
それは、「禅心茶話・・「捨てる」と「放つ」」(淡交2006年7月)に書かれた次の文章が心に入って来たからでした。


・・・・(前略)・・・
私たちの心は、時として不安やストレス、様々な欲望、嫉妬や羨望、優越や劣等といった悪心を内に詰め込み、自らの行動を縛りあげてしまっている。
心がちっとも片付かない。
片付かない心は、意志と決断が緩慢になるから、必然的に自己中心に向かってゆく。それしか方向がないのだ。

「放つ」ということは、心を片付けるということだ。
片付いた心は、自ら信じる道筋に沿って、幸も不幸も、成功も失敗もすべて、その場その場の心のピュアなはたらきとして受け入れていくのである。あるがままに。・・・・(後略)・・・




               花の心は花のみぞ知る・・・やっと  (4月4日撮影)

そうだわ! すべてをあるがままに受け入れて、私は今やれることを全力で尽くせばよいのだ。
そう自分に言い聞かせると、心が片付いてすっきりしました。

当日、桜は咲いていませんでしたが、穏やかな心でお客さまを迎えることができました。


          「桜の森の満開の下で」の茶事・・・その2へつづく