暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

天目茶碗と古美術「伯楽」

2015年06月10日 | 茶道具

「先生、楽茶碗は軽く、天目茶碗は重いと言いますが、本当でしょうか?」
とAさんからお尋ねがありました。

楽美術館茶会如庵茶会などで古い楽茶碗を手に取ったりお茶を頂いたりしたことがありますが、
 削り込んでいるので見た目よりずっーと軽かったのを覚えています。
 でも、天目茶碗はいつも展示ケースの向こうで、手に取ったことがないのです。
 重いって私も聞いていますが・・・」

お稽古でそんな会話をしたすぐ後に、古美術「伯楽」を訪ねました。
秋の茶会(10月11日)で使う茶器の仕覆を依頼するためです。
東横線の東白楽で電車を降り、滝の川遊歩道を歩いて行くと、懐かしい「伯楽」が見えてきました。
骨董屋の女主人こと小林芙佐子先生が変わらぬ笑顔で迎えてくれました。


     


「なんて素敵な書斎なんだろう・・・!」
と憧れていた店の内部も仕覆教室に通っていた数年前と同じ佇まいです。
テーブルには青楓だけが入れられた古壺が置かれ、爽やかな風が渡ってくるようでした。

最初に一廻りして展示している骨董品や美術品を見せてもらいました。
どれも小林先生のお目にかなったものらしく、欲しいものばかりです。
セキレイの陶器香合、仁清の茶碗、古漆の薄器(灯芯入れの転用?)、仏像など。

ガラスケースの中に天目茶碗を見つけ、
「あの2つを手に取って見せてもらっていいですか?」
それらは私が持っている稽古用の天目茶碗(油滴と梅花)に比べるととても小さいのですが、
ずっしりと重く、一つは青黒味を帯びた禾目のような天目でした。
「小さいのに重いですね。天目茶碗が重いって本当なんですね」と私。
「明時代のものです。小ぶりですがなかなか好いでしょう」と頷きながら小林先生。

飾っているだけでなく、時々展示品でお茶を点てて飲んでみるそうです。
そうすると、茶碗の個性や好さがいちだんとわかるとか・・・。
(なるほど、私も押入れから茶碗を引っ張り出してお茶を飲んでみなくっちゃ・・・)





肝心の仕覆ですが、裂地を決めるのに時間がかかりましたが、楽しい時間でした。
裂地だけ見ると気に入っても茶器に合わないものが多く、3つほどやっと選び出しました。
その中に茶器の由緒にぴったりの裂地があったので、先生も私も納得です。
どんな仕覆(着物)に仕上がるのかしら・・・想像してはワクワクしていました。

昨日、小林先生から電話を頂きました。
「お仕覆が出来ましたので、都合の良い時にお寄りください」
また、あの素敵な、異次元のようなお店を訪ねるのが楽しみです。

                                   

水無月の稽古と菓子づくり

2015年06月06日 | 暁庵の裏千家茶道教室
                    
                            柏葉紫陽花(かしわばあじさい)

6月3日は水無月最初のお稽古日で、朝から雨でした。

3年間ほったらかしにしていた梅の木から青梅を1.5キロも収穫し、
梅ジュースを仕込んだばかりだったので、「青梅」の菓子を作りたくなりました。
・・・といっても初めての挑戦です。生地はういろうにしました。

                     

分量の白玉粉を水で滑らかに解き、15分蒸したものに砂糖と色粉(緑と黄で調整)の液を加え、熱しながら木ヘラで練ります。
練りあがったら片栗粉をはたいたバットにあけて、片栗粉をまぶします。
この生地を1個分ずつちぎって丸く平たく伸ばし、丸めておいた漉し餡(25g)を包み込みます。
あとは青梅らしく形を整え、ヘラで溝を一本つけて出来上がりです。

                     

挑戦してみると意外と簡単で美味しく、いろいろな菓子が出来そうな気がしてきました。
「きんとん」しか出来なかった不器用な私がなぜ急に菓子づくりをはじめたか、
それはハワイのSさんから手作りの干菓子と同時に刺激を沢山贈られたからでした。

Sさんはハワイで裏千家茶道を教えていらして、
「お稽古ごとに季節の茶菓子を作り、その朝に咲いた花をいれ軸を変え、
 今日はどんな歳時記の事お道具の事などお話ししようかと考えます・・・」

茶事や稽古の道具組、活けられたお花、手作りの茶菓子や懐石の写真を見て、Sさんの真摯な心構えがビンビン伝わり、
常夏のハワイなのに日本と同じに季節感を大切にしているSさんにいつも感動と刺激を受けています。
・・・そして「Sさんを見習って私も精一杯やれることをやって、生徒さんをお迎えしよう」と思うのです。

                    

雨のぱらつく中、FさんとAさんが着物で来てくださいました。
その日のお軸は、足立泰道和尚の清々しい筆で「水上青々翠」、お花は今はナイショ・・・。
利休好み丸卓に芥子の花が描かれた白磁の水指を置き、四季七宝蒔絵の黒中棗を荘りました。
初炭、唐物、貴人点濃茶と稽古が進んだ頃に、その日が稽古始めのKさんがいらっしゃいました。
Aさんの貴人点薄茶点前、Fさんの半東、私が貴人で薄茶を貴人茶碗で頂き、
Kさんがお供として別の茶碗で薄茶を頂きました。
急遽、お供が相伴するという形です・・・従来にない設定で、試行錯誤でしたが面白かったです。

                    

新入門のKさん、緊張しながらも床のお軸とお花を観賞して嬉しそうでした。
目の前に「水上青々翠」の広がりを想像しながら、雨の日ならではの花を味わってくださったみたいです。
私も久しぶりの割り稽古にとても新鮮な気持ちになりました。
次回のお稽古日が待ち遠しい思いです。

                         なんとか  ぞ!

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更衣(ころもがえ)

2015年06月03日 | 暮らし

                        夏椿   (京都・真如堂にて撮影、2014年6月)

6月1日のプールの帰り、坂道を転げるように降る女子高生たちが水色の夏服でした。
更衣(ころもがえ)の時期ですね。
正式には6月1日からでしょうか?・・・いつも微妙です。

東京教室の稽古(5月27日)で大円之真を見て頂くことになっていたので、
無地紋付の袷、または単衣(ひとえ)にしようか、迷いました。
でも、その日の予報は30℃を超える夏日でしたので、単衣の紫色の紋付に袷の帯にしました。
・・・S先生を除いて全員がなんと!単衣、とても涼しげでした。

     すずかけも空もすがしき更衣    石田波郷

更衣が気になり、調べてみました。

「更衣(ころもがえ)」
昔は、宮中でも民間でも、陰暦四月一日と十月一日とに、衣を更えるのを例とした。 
江戸時代には民間で、この日、綿入れをぬいで袷(あわせ)になった。
今でも五月一日(陽暦)から袷にかえる人もあるが、一般的にはそれほど厳密に日を言わない。
昔は四季の衣装を一々更えることはなく、冬装束と夏装束を下着などで調節した。

平安以降、四月一日から袷を着、寒ければ下に白小袖を用いる。
五月五日から帷子、涼しい時は下衣を用いる。
八月十五日から生絹(すずし)、九月九日から綿入、十月十日から練絹(ねりぎぬ)を着用。
江戸時代では四月一日、十月一日をもって春夏の衣をかえる日とした。

もう一つ、艶っぽい意味があって、男女が互いに衣服を交換し、共寝したこと。

ところで、今年の旧暦四月一日は5月18日でした。

     堂守の老女きりりと夏衣    暁庵(四国遍路 第5番札所極楽寺にて)
    

今日(6月3日)は久しぶりの雨、水やりに追われていたので嬉しいですが、
生徒さんが午後にいらっしゃいます。
・・・降雨よりもっと嬉しく、夏座敷に更衣してお待ちしています。