暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

能・狂言に潜む中世人の精神  歌

2011年01月13日 | 歌舞伎・能など
1月8日に横浜能楽堂特別企画
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第1回「歌」へ出かけました。

世阿弥が能の骨格を作り上げた中世の精神から、
「歌(うた)」「神道(かみ)」「仏教(ほとけ}「花(はな)」
のテーマに沿って講演、狂言、能が全4回催されます。

この日のプログラムは
講演 馬場あき子(歌人)
狂言 「連歌盗人」(大蔵流)山本東次郎
能  「雨月」(観世流)大槻文蔵    でした。

「中世の精神とは?」「歌の持つ力とは?」
馬場あき子さんの講演が面白く、興味をもちました。
  
中世といえば、鎌倉時代から南北朝を経て室町時代、戦国時代まで入るのでしょうか。
貴族に代って武士が権力を得て、政権を担っていく時代ですが、
戦乱が絶えなかった乱世でもあります。

そんな中世の美意識は「清貧の思想」に基づいているそうです。
簡素な生活の中に高尚な精神の内在を追及する「清貧の思想」は、
西行、徒然草の兼好法師、良寛の生き様を思い起こしました。
何も要らない、自然のありようを愛でる風流は日本文化の伝統でもあります。

中世において、婆沙羅大名として名高い佐々木道誉は、
木の周りに銀の壺を並べて、桜の大樹をあたかも立花のように見せて、愛でたという。
さらに、香炉を並べて香を焚き、猿楽師や白拍子を呼んで芸能三昧を愉しんだという。

「清貧の思想」と一見対称的な道誉のバサラぶりには
「巨万の財を無に帰する」という美意識があり、
「無に帰する」ことこそが中世という時代が求める美学であり、
幽玄の境地へ導くものでした。
それは後世、侘び、寂び、萎れ(しおれ)となって、
その精神は脈々と現代へ(そして茶の湯へも)受け継がれています。

                 

能「雨月」は、和歌の神として信仰を集めていた住吉明神に参詣した西行(ワキ)の前に
住吉明神(シテ)を登場させて、和歌の徳を描こうとした能です。
馬場さんによると、和歌(うた)は神や鬼に通じる言葉であり、
歌の持つ力(徳)があるそうです。

老夫婦(実は和歌の神、住吉明神の化身)が、雨音を聞くために屋根を葺くか、
月を鑑賞したいがために葺かないかを言い争っているところに、
西行(ワキ)が通りかかり、
「月は漏れ雨はたまれととにかくに 賎が軒端を葺きぞわづらふ」
と上の句をつけて詠んだので一夜の宿を許されます。

夢枕に末社の神が現れ、老夫婦が住吉明神の化身であったことを告げます。
やがて、住吉明神が宮守の老人に乗り移って現れ、
西行の歌を褒め称えて舞い(真の序の舞、または、簡略した立ち廻り)、
神は去り、老人は元の宮守となって帰っていくのでした。

最後のクライマックスの真の序の舞について馬場さんは、
西行に歌の極意を授けるために住吉明神が再び現れ、
静かに雅に真の序の舞を舞う。
舞を舞う気持、歌を詠う気持、共に内なる気持の表現である。
全ては自然(宇宙)の表れであり、心を澄ませば神の声を聞くことができる
・・・と。

私めは、素晴らしい先導者のお話を聞きながら、
極限まで抑えたシテ(大槻文蔵)の所作に驚きながらも
途中いつものごとく、うつらうつら・・・気持ちよくまどろみました。
それでも、大鼓(柿原崇志)の音に「ハッ」と目覚め、
後半のクライマックスを観れたのは神のご加護かもしれません。

次回は、1月29日(土)「神道」です。
どんなことになるやら楽しみです。

      (第2回 神道 へ)