「ツェチュ」と呼ばれる祭りが年に一回、各地の寺院で行われています。
ツェチュとは「(月の)十日」を意味します。
八世紀にチベット仏教をブータンに伝えたグル・リンポチェ(パドマサンババ)に
まつわる十二の故事に因み、各月の十日(ブータン暦)に法要を行います。
「ツェチュ」祭は、グル・リンポチェを再び目の前に拝み、法要を行う、
一年のうちでも大切な日だそうです。
滞在中、9月15日~17日にウォンディポダンで、
9月17日~19日には首都ティンプーで「ツェチュ」祭が行われていました。
特にウォンディポダン・ゾンで行われた「ツェチュ」祭は3日間、
毎日通いましたのでとても印象に残っています。
15日(初日)に川の合流点にそびえ立つウォンディポダン・ゾンへ行くと、
門前町には老若男女が集まり、車が溢れ、食べ物や玩具の出店でごったがえし、
ものすごい人と活気でした。
ゾン(城塞・寺院・官庁)の中は広場を囲んで回廊がめぐらされ、
広場の中央では伝統的な舞踊が繰り広げられています。

これらの舞踊はチベット仏教の教義に基づく神聖な儀式で、
法要そのものを表しているそうです。
また、舞踊や劇は難解な教えを民衆にわかり易く伝えるためと言われています。
僧侶たちがきらびやかな衣装をつけ、太鼓を持つ舞い、剣を持つ舞い、
仮面をつけた舞いを踊り、村の娘たちが稲刈り唄のような民謡を踊ります。
舞いには「死後の世界で生前の行いを捌く」「不倫をいさめる」など、
いろいろな物語(教訓、示唆)があるそうですが、
観光客の私には今一つ解りにくく、飛び跳ねたり、くるくる廻ったり、
1時間も躍動的に踊り続けている姿にびっくりです。

面白かったのは、アツァラと呼ばれる仮面を被った道化役です。
村人が演じていますが、滑稽な(ちょっと卑猥な)仕草で笑わせたり、
会場整理をしたり、舞台と観客のつなぎ役をしています。
子供たちにも大人気でした。
ウォンディポダンでは外国人観光客が優遇されていて
舞台に近い席で見学できましたが、あとでアツァラがお布施を集めに来ました。
そんな役目もしっかりしています。


朝早くから近在の人たちが一家総出でお弁当を持ち、
広場に敷物を敷いて座り込み、延々と続く伝統にのっとった法要を
炎天下でも静かに見守っています。
生後1ヶ月くらいの赤ちゃんを抱いた若いお母さんが乳を飲ませ、
オムツを替え、二人の男の子を従えて、悠然と座っている様子に
親しみと逞しさを感じました。
親類縁者に囲まれて、何があっても安心なのでしょうね。
子供たちは行儀がよく、小さい子の面倒をよく看ているのに感心しました。
日本人が見失いつつある、いろいろなこと
・・・死者の幸せな再生を願う信仰心、生きものへの思いやり、
譲り合いや助け合い、大家族制の良さなどを感じました・・・。

舞踊に退屈すると、観客やアツァラの道化ぶりを観たりしながら、
初日だけでも昼食をはさんで4時間は居たでしょうか。
「ツェチュ」の法要の場に居ることが、礼拝そのものであり、
長く礼拝するほど徳を積むことになるそうです。
私たちもきっと・・・!

(3)へ (5)へ続く
写真は上から
「ウォンディポダン・ゾンのツェチュ会場」
「太鼓を持った踊り」
「仮面舞踊・・・あの世での裁きか?」
「観客とアツァラとのやりとり」
「お布施を集めるアツァラ・・手にお札を持っている」
「ツェチュで出会った女の子たち」
ツェチュとは「(月の)十日」を意味します。
八世紀にチベット仏教をブータンに伝えたグル・リンポチェ(パドマサンババ)に
まつわる十二の故事に因み、各月の十日(ブータン暦)に法要を行います。
「ツェチュ」祭は、グル・リンポチェを再び目の前に拝み、法要を行う、
一年のうちでも大切な日だそうです。
滞在中、9月15日~17日にウォンディポダンで、
9月17日~19日には首都ティンプーで「ツェチュ」祭が行われていました。
特にウォンディポダン・ゾンで行われた「ツェチュ」祭は3日間、
毎日通いましたのでとても印象に残っています。
15日(初日)に川の合流点にそびえ立つウォンディポダン・ゾンへ行くと、
門前町には老若男女が集まり、車が溢れ、食べ物や玩具の出店でごったがえし、
ものすごい人と活気でした。
ゾン(城塞・寺院・官庁)の中は広場を囲んで回廊がめぐらされ、
広場の中央では伝統的な舞踊が繰り広げられています。

これらの舞踊はチベット仏教の教義に基づく神聖な儀式で、
法要そのものを表しているそうです。
また、舞踊や劇は難解な教えを民衆にわかり易く伝えるためと言われています。
僧侶たちがきらびやかな衣装をつけ、太鼓を持つ舞い、剣を持つ舞い、
仮面をつけた舞いを踊り、村の娘たちが稲刈り唄のような民謡を踊ります。
舞いには「死後の世界で生前の行いを捌く」「不倫をいさめる」など、
いろいろな物語(教訓、示唆)があるそうですが、
観光客の私には今一つ解りにくく、飛び跳ねたり、くるくる廻ったり、
1時間も躍動的に踊り続けている姿にびっくりです。

面白かったのは、アツァラと呼ばれる仮面を被った道化役です。
村人が演じていますが、滑稽な(ちょっと卑猥な)仕草で笑わせたり、
会場整理をしたり、舞台と観客のつなぎ役をしています。
子供たちにも大人気でした。
ウォンディポダンでは外国人観光客が優遇されていて
舞台に近い席で見学できましたが、あとでアツァラがお布施を集めに来ました。
そんな役目もしっかりしています。


朝早くから近在の人たちが一家総出でお弁当を持ち、
広場に敷物を敷いて座り込み、延々と続く伝統にのっとった法要を
炎天下でも静かに見守っています。
生後1ヶ月くらいの赤ちゃんを抱いた若いお母さんが乳を飲ませ、
オムツを替え、二人の男の子を従えて、悠然と座っている様子に
親しみと逞しさを感じました。
親類縁者に囲まれて、何があっても安心なのでしょうね。
子供たちは行儀がよく、小さい子の面倒をよく看ているのに感心しました。
日本人が見失いつつある、いろいろなこと
・・・死者の幸せな再生を願う信仰心、生きものへの思いやり、
譲り合いや助け合い、大家族制の良さなどを感じました・・・。

舞踊に退屈すると、観客やアツァラの道化ぶりを観たりしながら、
初日だけでも昼食をはさんで4時間は居たでしょうか。
「ツェチュ」の法要の場に居ることが、礼拝そのものであり、
長く礼拝するほど徳を積むことになるそうです。
私たちもきっと・・・!


(3)へ (5)へ続く
写真は上から
「ウォンディポダン・ゾンのツェチュ会場」
「太鼓を持った踊り」
「仮面舞踊・・・あの世での裁きか?」
「観客とアツァラとのやりとり」
「お布施を集めるアツァラ・・手にお札を持っている」
「ツェチュで出会った女の子たち」