暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

老欅荘

2010年04月01日 | 茶道楽
入生田の「しだれ桜」を見た帰りに小田原市板橋にある
松永記念館と老欅荘(ろうきょそう)を訪れました。

名前の謂れである欅の巨木が葉を落としたまま
聳え立つ向うに、老欅荘がありました。
老欅荘は、戦前、戦後を通して電力事業を幅広く手がけ、
「電力王」とも「電力の鬼」とも呼ばれた松永安左ヱ門によって
建てられました。

松永安左ヱ門は60歳を機に茶の湯を趣味とするようになり
耳庵(じあん)と号しました。
耳庵の名は「論語」
「・・・五十にして天命を知り、六十にして耳従う。
 七十にして心の欲する所に従って、矩をこえず。」
から付けられたそうです。

             

松永耳庵は昭和21年所沢の柳瀬荘(現、東京国立博物館内)から
小田原へ移り住み、昭和46年に亡くなるまでここで過ごしました。

当初15坪ほどの小さな家で、訪ねて来た五島慶太氏が
「ここが本当にあの電力王の松永耳庵氏の邸宅ですか?」
と、近所の方へ聞いてまわったというエピソードが残されています。
その後、増築を重ね、茶室「松下亭(しょうかてい)」や「鎖の間」のある
現在の間取りになっています。

三畳の床の間付き十畳の広間は畳の大きさや敷き方がユニークで、
これも耳庵好みとか。
広間につづく縁側の日当りのよい一角がお気に入りで、
瓦を塗りこめた土塀の向うに海が見えました。
最晩年の耳庵は椅子に座って海を眺め暮らしていたそうです。
故郷の長崎県壱岐の海を思い出していたのでしょうか。

茶室「松下亭」は四畳半台目、点前座に仕付け棚がありました。
天井が客座(床寄り)、客座の一部(相伴席?)、点前座と
三種類に分けられています。
客付に出窓のような棚(平書院?)があり、広い窓もたくさんあって
開放感のある茶室です。
お気に入りの茶道具を出窓のような棚に並べて楽しんでいたそうです。
障子を開けると咲き始めたソメイヨシノが好い風情でした。

          

松下亭に隣接する「鎖の間」、ここは茶会が終わったあとで
囲炉裏を囲んで酒を酌み交わし、談笑する部屋でした。
シンプルな作りの「鎖の間」ですが、アーチ型の窓枠に障子格子が工夫され、
美しいシルエットを描いていました。
光の加減によっていろいろな色に染まりそうです。

まもなく閉館の5時近くになり、あわただしくお暇しました。
松永記念館の庭内に野崎幻庵の茶室「葉雨庵(よううあん)」が
移築されています。
また、茶会などでゆっくり訪れてみたいと思いました。