本願寺(西本願寺)・御影堂
祝賀能は、能「敦盛」から始まり、狂言「因幡堂(いなばどう)」があり、
最後に能「国栖(くず)」が演じられ、さらにその合間に
シテ方観世流の仕舞がありという、盛りだくさんの内容でした。
能「敦盛」のあらすじは、
一の谷の合戦で、当時16歳の平家の公達・平敦盛を討ちとった熊谷直実は、
世の無常を感じ、出家して僧・蓮生と名乗っています。
蓮生は敦盛の菩提を弔うため、再び一ノ谷を訪れました。
すると、笛の音が聞こえ、四人の草刈男がやってきます。
一人の草刈男だけが残り、蓮生に自分は敦盛の霊であることを
ほのめかして姿を消します。
夜、蓮生が読経していると、敦盛の霊が現れます。
平家一門の栄枯盛衰を語り、平家最後の宴を懐かしんで中之舞を舞います。
一ノ谷の合戦で討死にする模様を再現して、やっと敵である直実に
巡り合えたと、仇を討って無念をはらそうとします。
しかし、蓮生となって弔ってくれる直実はもはや仇ではないと悟り、
回向をたのんで敦盛の霊は消え去るのでした。
アツモリソウ (季節の花300提供)
敦盛を演じるのは、先日大槻能楽堂の道成寺フェスティバルで
お目にかかった片山九郎右衛門でした。
道成寺の白拍子も良かったですが、敦盛がしっくりとお似合いで、
ご本人も気持よく演じていたのではないでしょうか。
前シテでは直面で、草刈男の一人として登場しますが、
後シテでは面を付け、凛々しくも美しい貴公子・平敦盛の霊として現われます。
後シテが紫の法被、黄色の衣、緋の大口という衣裳で
橋がかりへ登場した時の美しさ、消え去っていく後姿が目に焼き付いています。
面が印象深く、「十六(じゅうろく)」といい、
16歳の若さで散った敦盛の顔をえがいた面だそうです。
典雅さ、かわいらしさ、そして痛々しいまでの修羅の道を演じ分けるのに
ふさわしい面でした。
僧・蓮生となった直実への復讐を思い止まり、刀を投げた一瞬、
そして感情を抑えながら仏の道へ導かれていく様子の舞・・・
・・・わからないなりに見ごたえがありました。
クマガイソウ (季節の花300提供)
春に咲く山野草に「クマガイソウ」と「アツモリソウ」があります。
誰が名付けたのでしょうか?
この2つの名前は平敦盛の最後の話に因んで名付けられました。
戦いの場で当時の武士は後からの矢を防ぐために母衣(ほろ)と呼ばれる、
大きな風船のようにふくらませた布を背負っていました。
「クマガイソウ」は熊谷直実が付けていた母衣に、
「アツモリソウ」は平敦盛が付けいていた母衣に、
花が似ているそうです。
その昔、琵琶法師の語る平家物語に涙した民衆が名付けたのでしょうか。
ここ、南能楽堂でも千人を超す善男善女が能「敦盛」を見守りました。
あの世とこの世を行き交う能の舞台は仏道に通じていて、
敦盛の霊は僧・蓮生の祈りによって修羅道から救われ、成仏したことでしょう。
信心ある者も無い者も、富める者も貧しき者も、老若男女のへだてなく、
穏やかに辛抱強く(足にしびれが来ていました)、能を鑑賞している姿に
感動を覚えました! (ブータンのツェチュ祭みたいです・・・)
「敦盛」の最中に、江戸の初期、能を初めて信徒や民衆へ解放したという、
当時の舞台へタイムスリップしたような気になりました(夢の中かしら?)。
思いがけずステキな能を鑑賞できて、降誕会祝賀能に感謝しています。
願わくは、また来年も敦盛さまに逢いたい・・・。
飛雲閣茶席と祝賀能 その2へ戻る
祝賀能は、能「敦盛」から始まり、狂言「因幡堂(いなばどう)」があり、
最後に能「国栖(くず)」が演じられ、さらにその合間に
シテ方観世流の仕舞がありという、盛りだくさんの内容でした。
能「敦盛」のあらすじは、
一の谷の合戦で、当時16歳の平家の公達・平敦盛を討ちとった熊谷直実は、
世の無常を感じ、出家して僧・蓮生と名乗っています。
蓮生は敦盛の菩提を弔うため、再び一ノ谷を訪れました。
すると、笛の音が聞こえ、四人の草刈男がやってきます。
一人の草刈男だけが残り、蓮生に自分は敦盛の霊であることを
ほのめかして姿を消します。
夜、蓮生が読経していると、敦盛の霊が現れます。
平家一門の栄枯盛衰を語り、平家最後の宴を懐かしんで中之舞を舞います。
一ノ谷の合戦で討死にする模様を再現して、やっと敵である直実に
巡り合えたと、仇を討って無念をはらそうとします。
しかし、蓮生となって弔ってくれる直実はもはや仇ではないと悟り、
回向をたのんで敦盛の霊は消え去るのでした。
アツモリソウ (季節の花300提供)
敦盛を演じるのは、先日大槻能楽堂の道成寺フェスティバルで
お目にかかった片山九郎右衛門でした。
道成寺の白拍子も良かったですが、敦盛がしっくりとお似合いで、
ご本人も気持よく演じていたのではないでしょうか。
前シテでは直面で、草刈男の一人として登場しますが、
後シテでは面を付け、凛々しくも美しい貴公子・平敦盛の霊として現われます。
後シテが紫の法被、黄色の衣、緋の大口という衣裳で
橋がかりへ登場した時の美しさ、消え去っていく後姿が目に焼き付いています。
面が印象深く、「十六(じゅうろく)」といい、
16歳の若さで散った敦盛の顔をえがいた面だそうです。
典雅さ、かわいらしさ、そして痛々しいまでの修羅の道を演じ分けるのに
ふさわしい面でした。
僧・蓮生となった直実への復讐を思い止まり、刀を投げた一瞬、
そして感情を抑えながら仏の道へ導かれていく様子の舞・・・
・・・わからないなりに見ごたえがありました。
クマガイソウ (季節の花300提供)
春に咲く山野草に「クマガイソウ」と「アツモリソウ」があります。
誰が名付けたのでしょうか?
この2つの名前は平敦盛の最後の話に因んで名付けられました。
戦いの場で当時の武士は後からの矢を防ぐために母衣(ほろ)と呼ばれる、
大きな風船のようにふくらませた布を背負っていました。
「クマガイソウ」は熊谷直実が付けていた母衣に、
「アツモリソウ」は平敦盛が付けいていた母衣に、
花が似ているそうです。
その昔、琵琶法師の語る平家物語に涙した民衆が名付けたのでしょうか。
ここ、南能楽堂でも千人を超す善男善女が能「敦盛」を見守りました。
あの世とこの世を行き交う能の舞台は仏道に通じていて、
敦盛の霊は僧・蓮生の祈りによって修羅道から救われ、成仏したことでしょう。
信心ある者も無い者も、富める者も貧しき者も、老若男女のへだてなく、
穏やかに辛抱強く(足にしびれが来ていました)、能を鑑賞している姿に
感動を覚えました! (ブータンのツェチュ祭みたいです・・・)
「敦盛」の最中に、江戸の初期、能を初めて信徒や民衆へ解放したという、
当時の舞台へタイムスリップしたような気になりました(夢の中かしら?)。
思いがけずステキな能を鑑賞できて、降誕会祝賀能に感謝しています。
願わくは、また来年も敦盛さまに逢いたい・・・。
飛雲閣茶席と祝賀能 その2へ戻る