マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

イスラエル巡礼・・・『悲しみの道』 『苦難の道』・・・『ヴィア・ドロローサ:十字架の道行』

2018-09-05 20:47:44 | 旅行。海外旅行。

巡礼も佳境に入り・まして・・・・

   今日は、キリストと共に、エルサレムの 『十字架の道行ヴィア・ドロローサ』 です。

 
ヴィア・ドロローサ』は、
エルサレムの旧市街 と その城壁群(世界遺産)の内部 にある『道』です。
イエス・キリストが、十字架を抱えて有罪判決を受けてから十字架にはりつけにされるまでの最後に歩いた『道』です。 

     『
ヴィア・ドロローサ』
の意味は、『悲しみの道』 『苦難の道』 だそうです。

  
  『既に昼の十二時ごろであった。全地は真っ暗になり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。

            神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
イエスは大声で叫ばれた「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。』

   
                                 ルカ福音書 23章44-46節

ヴィア・ドロローサ』は、
毎週金曜日の午後3時(サマータイム時は午後4時)、キリストが亡くなった時間に合わせて、始まります。

    『キリストの死』を想い・・・賛美し・・・感謝し・・・涙し・・・歩みます。頑張ります!

 

まずは・・・ 

  スタート地点に向かいます。
  

    巡礼者も・・・  買い物客も・・・  人がひしめき合います。

 
                                    目的地はあちら。  

  男も女も。歳を重ねた者も若い者も。  心を一つにして・・・。
 2000年程前に33歳の若さのイエスが歩んだと同じ『道』を、いろいろの国から『歩む』ために来た人と共に歩む。
     『歩むため』に、世界から人が集まることに、感動します。

   信仰が持つ力の大きさを実感して…震える思いがする。身が引き締まる。
       「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」 と、
 これからも、苦難に打ち勝って復活されたイエスの力に信頼して、『歩む皆』が生きていくことができますように。                   

 

  進む。進む。     『いかなる場合も、負けちゃならない』 なるほどね~!

 

  到着。

    『エッケ・ホモ教会
   
 

   『イエス・キリストの裁判が行われた場所』 に参加者が集合します。

   

     『祭壇』     『逮捕されるイエス』

    

  壁画。  第5留・・・『イエス、キレネのシモンの助けを受ける』
    

  ここが出発地点。

  世界から・・・日本から・・・  人が『歩く』ために集まりました。

  

今日だけでなく、『イエスの十字架』を忘れることなく心に留め、明日からを生きることができますように。
特に『苦しい時』に、苦しみの重さに倒れることがあっても、『重さを共に担ってくださるイエス』への信仰を生きることができますように。

  
  私たち・巡礼団も・・・。
  

   じっと、その『恵み』の期待に胸ふくらませながら、『歩み』の始まりを待ちます。 

  

 ヴィア・ドロローサの『時間』になると・・・
      案内役の『フランシスコ会修道士』 が現れました。

  時には・・・十字架を担いだ人たちが、先頭に歩くこともあるそうです。
    
    今日はなし。             この十字架はレンタルです。

 始発点と終着点を含めた、計14箇所に中継点:『留/りゅう』が設けられています。
    始発点はエルサレム旧市街のイスラム教地区の 『ライオン門付近』 
 ~ 終着点は旧市街キリスト教地区の 『聖墳墓教会内のイエスの墓』 までです
                                       全長約600m。

        では、 御一緒に歩んでみてください 
 

  第1留・・・・     『イエス、死刑宣告を受ける』
 

    イエス・キリストが死刑判決を受けた場所:『エッケ・ホモ教会』から・・・
          『ヴィア・ドロローサ』 スタート
です。

  
  枢機卿様も・・・  神父様方も・・・  シスターたちも・・・  私たちも・・・ 
 
           歩く。歩く。歩く。歩く。

  「十字架の道行」の祈りは、
     ひとつひとつの『留』を順次たどって、
イエス
の受難の各場面を黙想し、回心し、キリストの愛にならうための祈りです。

 

 第1留『死刑宣告を受ける』 第2留『十字架を担う』 第3留『はじめて倒れる』

   第4留・・・   『イエス、母マリアに出会う』
 

    『十字架上で御自身を捧げられたイエス・キリストご自身より、
  もっとつらい思いをなさった方がいるとするなら、それは母であるマリア様です。
どんな母親にとっても、痛めつけられ殺されていく自分の子どもを目にすること、それ以上につらいことはありません。
しかし、マリア様はそこにいらっしゃいました。どんなにつらくても、そこにとどまり、我が子と共に歩かれました。
   イエス様はいったいどんな思いでマリア様にお会いになったでしょうか?
ぼろぼろにされて死んでいく自分を母親に見せることは、イエス様ご自身にとってもつらいことだったでしょう。
しかし、はっきりと言えることがあります。イエス様もマリア様も自分の苦しみから逃げませんでした。』 

     
      壁についている●黒い丸●が、ヴィア・ドロローサの『留の番号』です。
  一つ一つの『留』の前に、しばしとどまり、その『留』を黙想し、『祈り』をささげます。

  
  
第5留・・・・  『イエス、キレネのシモンの助けを受ける』
 

    『突然現れた一人の男にイエス様はご自分の十字架を手渡されます。
      いったいどんな気持ちでイエス様は十字架を渡されたのでしょうか?
十字架を背負い切り、最後はその上で御自分の命を捧げることこそ、人間に救いをもたらすものだったからです。
救いのアイデンティチーであったこの十字架を、イエス様は意とも簡単に、しかも見知らぬ男に手渡されました。
       しかしこうして、神の救いの御業は完成したのです。
一人の人間の助けによって救い主としての使命を全うされたイエス様の姿は謙虚さにあふれています。』 

  

   『十字架の道』を前進して歩む者。 そして 『一般道路』として向こうからくる人たち。
        両脇は商店街。土産物屋。  買い物客も、人も多い。 

  イエス様が歩かれたときは、”イエス様を一目見よう!”と、人が多かったのでしょうか?


  人人人人で・・・
 案内の修道士さんがどこ行ったのかわからなくなりました。
       それでも。
 かすかに賛美歌 が聞こえてきます。聖なる道です。

     

 第6留・・・イエス、ヴェロニカより御顔を拭われる』 第7留・・・イエス、再び倒れる』
 第8留・・・イエス、エルサレムの婦人らを慰める』 第9留・・・イエス、三度倒れる』

      第1留から第9留までは 旧市街の通路の傍らにある。
     「ライオン門通り」を隔てた向かい側に 『第2留』がある。
   『第3留』から『第5留』までが 「エル・ワド通り」の 細い路地の中にある。
   『第6留』から『第8留』までが 「ヴィア・ドロローサ通り」の南側に、
   『第9留』が 聖墳墓教会に隣接する 『コプト教会』の中庭にある。

 残りの『第10留』から『第14留』 までは 『聖墳墓教会』の内部に設けられています。


 見えてきました。

     最終地点・・・    『聖墳墓教会』
 

   『聖墳墓教会』
 この教会が立つ場所こそが、イエス・キリストが十字架に磔にされた『ゴルゴダの丘』があった場所です。


      第12留・・・  『イエス、十字架上で息を引き取る』 
   DSC_0555

     この祭壇の下の場所が、
イエス・キリストが磔にされたまま十字架を立てられ、『息を引き取った場所』です。


 『その夜、マリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を引き取りたいと、ピラトに願い出た。
    ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
そこへ、かってある夜、イエスのもとに来たことがあるニコデモも、
           投薬と枕香を混ぜた物を百「リトラばかり持って来た。
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。』
                                     ヨハネ福音書 19章38-42節

     
       
     
          
聖墳墓教会に入ってすぐのところに、
十字架からイエス・キリストが降ろされ、この上で香油を塗られた『赤い大理石』があります。

           キリストの死を想って・・・
      涙を流しながら、石にすがって、祈りを捧げる方々がたくさんいます
 
   

        十字架から降ろされたイエスを抱く母マリア様
      
       『ピエタ』     
         『赤い大理石』の上で我が子を抱いたのでしょう。            

 

   ヴィア・ドロローサの終着点』

イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、誰もまだ葬られたことのない新しい墓があった。
   その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。』
                                      ヨハネ福音書 19章38-42節

   
   第14留・・・     『イエス、墓に葬られる』

 

      イエス・キリストがお墓に納められた場所です。

        『今、イエスは墓の中で眠っておられます。
  命の与え主である主が、ご自身の命を人類のために失い死の眠りにつかれました。

      すべてが終わり絶望ののうちに幕を閉じたかのようです。
   弟子たちや、マリア様、そしてイエス様に来帽をかけていた人々は
     いったいどんな気持ちでこの暗黒の時を生きたのでしょうか?
       希望のかけらもなかったのではないでしょうか?

     しかし、この沈黙と暗黒にこそ深い意味が隠されています。
  それは、その後にある復活という出来事がすべてを変えるからです。』 

       

           中に3人ほどしか入れません。
      小さな門をくぐって入った場所に、手前に『天使の部屋』。

     奥に・・・・   『キリストの墓石』
 
 

    私も並んで入り・・・中へ。
 常に灯されたろうそくの明かりで、ぼんやりと『イエス・キリストのお墓』を見ることができました。

    DSC_0554

   『聖地巡礼:ヴィア・ドロローサ:十字架の道行』 を歩き終えました。 涙涙涙。

          神に感謝! 主に感謝! 巡礼の仲間に感謝!

 


  『キリスト教三大巡礼地』 の一つ。 『エルサレムの旧市街とその城壁群』
      紀元前1,000年頃に建国された古代イスラエル王国の都です。
旧市街地は、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒、アルメニア人、の地区の4つに分割されています。

 

  ユダヤ教徒にとっての『神殿の丘と嘆きの壁』。キリスト教徒にとっての『聖墳墓教会』。
         
イスラム教徒にとっての『岩のドーム』などです。

          世界で唯一、当事国を持たない世界遺産、となりました。

       そこを、世界の人たちと、ぶつかり合いながら歩いてみて・・・
  『共に歩く』ことは、共感であり、『平和への第一歩』と確信しました。感謝!感謝!

 


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
お元気ですか? イエスが最後に歩かれた『十字架に道行』には『人の人生』が隠されていました。
   是非、一度、機会がありましたら、歩まれますように。お勧めします。 
    私は、明日は『最後の晩餐』、イスラエルとお別れです。 お元気で!
 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿