5月28日。土曜日。快晴。夏日。
今日は、
帰郷の旅の最終です。
明日は
在所・神戸に帰るので、
『帰郷の旅』の最後を飾る一日です。
では・・・
どこを訪問する?
何をする?
我が娘が、
”早朝サイクリングをしましょうよ!”
と、誘ってくれました。
まずは、
朝8時半。
『宣教研究所 東京カトリック神学校』
入り口近くに張り紙・・・ 「一般の方の入場をお断りします」 このコロナ禍ゆえの張り紙でしょうか。
神学校で教鞭をとっている、知り合いの神父様にお目にかかれるかと、
門から中に入ってみました。
どなたもいないかのような静けさで・・・
知り合いの神父様にはお目にかかれませんでした。残念でした。
何十年も前。
洗礼を授かったばかりの大学生の私は、
何の知識もないままに、
この神学校を訪問しました。
信仰生活の始まりだったかもしれません。
今思えば・・・
有難い、感謝いっぱいの、
『神様の導き』だったのでしょう。
人けもないほどに静かで、
どこもかも鍵が閉まって、
自転車を降りて・・・ 『神学院』
チリ一つない。 お玄関で深々と頭を下げました。
その昔、
東京カトリック神学院の始まりは、
ドイツの片田舎のご婦人たちの
『宣教への意欲』と、御好意の『寄付金』とで設立された。
と聞いています。
それは・・・
『1871年(明治4年。廃藩置県と身分制廃止で平民皆平等とする解放令発布の年)
東京にて伝道学校(ラテン語学校)が設立される 。』
と書かれている『神学院概要』の年のことでしょうか?
ドイツのご婦人たちの『心・信仰心』の実った年でしょうか。
心からの感謝です。
鍵のかかった・・・ 『聖堂』
娘と二人で・・・ 『朝の祈り』 聖堂の祭壇側です。
東京カトリック神学校の
※『神学院養成方針』は、
『普遍教会が求める司祭像をベースに置きながら、
東京・大阪教会管区の現状を見据えて日本の社会に福音をもたらすべく、
時のしるしを読み取り、苦しむ人々と連帯する、
新しい福音宣教者を生み出すことを心に留めながら司祭養成を目指します。』
※その『養成内容』は、
『3つのステップ 予科ー哲学ー神学』です。
①予科期間:始めの1年~2年間
人間的な成長とイエス・キリストに近づくための態度の養成、
そして、共同体を形作る体験をします。
その後、
②哲学過程:2年間
一般の思想的な幅を身につけ、論理性を育む哲学の過程です。
予科と哲学の基礎の下に、
③神学期間:4年間
イエスキリストをより深く知るための神学期間、です。
最後に、
④実習期間:1~2年間
司祭への実習期間、です。
合計10年間の『司祭への道』である『養成期間』を経て、
新しい司祭様が誕生するのです。
司祭様になるのは、
第一に、神様からの『召し出し』があって、始まることでしょう。
第二に、本人様の『決意』はどんなに苦しいのか?
本人様の神様への『応答』として、完成していくのでしょう。
『キリストに倣って、万民のために尽くす』
『司祭の道』は『苦しい道』であるほどに、
神と一体となって、初めて成し遂げられる、
神に愛される『道』なのでしょう。
イエス様はおっしゃいました。
『あなたがたがわたしを選んだのではない。
わたしがあなたがたを選んだ。
あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、
また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、
わたしがあなたがたを任命したのである。』
ヨハネによる福音書 15章16-17 節
現在は、何人の神学生が在籍なのでしょう。
その『道』は、
山のように高く、
又、いつまでも続く山々の縦走登山のように、終わりなく続く、
険しい道でしょう。
私の所属教会の
主任司祭様は、
今年は、『司祭叙階25周年』、記念年です。
有難く、感謝です。
今朝、神学校でも、
主任司祭様のご健康をお祈りさせていただきました。
若き神学生の、志の貫徹をさせる健康を、
娘と共に、心よりお祈りさせていただき、
神学校を後にいたしました。
次に、
朝9時半。
『三宝寺』
『御成門』
朝のサイクリング、
娘と二人で、”気持ちがいいわね!” と、
本当に『幸せな時間』です。
私の娘は
今日、『50歳の誕生日』を迎えました。
「人生100年」と云われる昨今です。
ちょうど半分の『50年』を迎えました。
自分の時は、”50歳だわ” と、
毎年のように、50歳誕生日を迎えた私です。
娘の50歳誕生日は、特別な感じです。
『手水舎』
コロな感染予防で、
手を近づけると・・・ 『自動的散水』です。
50歳を迎えた娘と、その母親の私。
早朝サイクリングをしながら迎えた『50歳誕生日の朝』。
こんな幸せで、充実した、『娘の誕生日』の朝。
優しく育ってくれた娘に、
感謝、感謝、で涙があふれました。
空海がはじめられた『三宝寺』
『本堂』
カトリック信者の我が娘と私。
「今までの娘の幸せな50年を感謝申し上げます。
これから続く、娘のこれからの50年も幸せでありますように。」
と、私は、空海様にもひたすらお祈り申し上げました。
「今朝のサイクリングへの娘からの誘いは、
神様の心のままに娘が応える
娘の優しさです。』
空海様にも、
娘の今までの50年の成長を感謝し、
娘のこれからの50年の健康を願って、
頭を垂れた私です。
最後の巡礼地。
10時半。
娘と別れて、私一人で、
小田急線沿線で、神父様と待ち合わせです。
私が迷ってはいけないと、駅で待っていてくださった。
あちこちと、全国の転任地を回った後、
この度、定年退職なさって、
司祭生活を始めた東京・渋谷に、再び戻っていらした神父様を
お訪ねしました。
『レデンプトール修道会本部 カトリック初台教会』
修道会の壁面に・・・☝ 『絶えざる御助けの聖母』・・・『聖画』が掲げられています。
レデンプトール会の歴史。
1948年(昭和23年)。カナダ・レデンプトール修道会の3名の司祭が鎌倉に来日。
1951年(昭和26年)。初台にあった戦火から焼け残った蔵を改造して、
レデンプトール修道院 兼 初台教会、を設立しました。
新宿の高層ビルを背景に、聖堂の温もりあるレンガ造りの佇まいは、
都会の喧噪の中、神聖な空間を提供し、
安らぎと静かな『祈りの場所』として訪れる人々を温かく迎えます。
私の尊敬する司祭様。
レデンプトール修道会の司祭となられて、50数年、
お人のために尽くしてこられた司祭様です。
20日ほど前に、
現役を離れて、修道会本部に移るようにとの、
『新転地』を与えられました。
司祭生活を始めたレデンプトール修道会本部に、再び戻った司祭様です。
神父様の50数年の司祭生活の中で、
京都で、私は神父様にお出会いしました。
この度、帰郷旅行をしながら、私が泊っている場所は、
神父様の新居・修道会に近いので、
10数年ぶりでしょうか?
渋谷に、私はお目にかかりに訪問しました。
『カトリック初台教会』
ここにも・・・『絶えざる御助けの聖母』☝
久しぶりの再会を喜び合い、
長年の『司祭現役生活』に感謝し、
これからの『新地』での『新しい人生・道』を祝福しながら、
共に祈り、共に『道行』を見て回りました。
「まるで巡礼だね」
東京カトリック神学校にも行ったことをお話しすると、
神父様が私に言いました。
なるほどね。その通りです。
『絶えざる御助けの聖母』
レデンプトール会の修道司祭らは、
この『イコン』の管理・保護、および、聖母マリアに関連する美術作品に関する
広報活動を委託されているそうです。
レデンプトール会の修道司祭らは、
どの地に派遣されようとも、
その地に、この『 イコン・聖画』を
持っていくのだそうです。
長年、お人のためにお働きくださった神父様。
これからも、喜びのうちに、健康で、
新しい『道』を歩まれますようにと、
『絶えざる御助けの聖母』にお願いしました。
神父様との再会を感謝して、
又の再会がありますようにと願って、
神父様と聖母様にさようならをしました。
12時半。
今日の、三か所の、ありがたい『聖地巡礼』を終えました。
神聖な場所(聖地)を訪れた『聖地巡礼』は、
自分の信仰生活を見直す良い機会となりました。
又、
娘の50歳の誕生日の今日の『聖地巡礼』は、
娘のこれからの人生を祝福する良い機会となりました。
有難い、今日の『巡礼』でした。
感謝!感謝!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
大事な場所を訪ねる、恩師を訪ねる、聖地を訪ねる、等々、
自分の原点に戻り、今までの人生に感謝し、
これからの人生に感謝するのも良いものですね。 お元気で!
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