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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

ひとつの芽が萠えいでる・・・『エッサイの株』  そして 『イエスの行う業そのものが、神がイエスをお遣わしになったことを証ししている。』

2021-03-18 05:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
3月18日。木曜日。お彼岸。快晴。

散歩途中の
木々の新芽が本当に美しい。
”暑さ寒さも彼岸まで” ですものね。
新緑の美しい季節もまぢかかな?


                『エッサイの株』
 
                              切り株に萌えいでる新芽が美しい。神々しい。♡♡

            エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、
        その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。
 彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。 正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。』

                                    イザヤ書 11章1ー10節

  つまり・・・
『神の言葉』を預かった預言者イザヤは『預言』したのです。
 
     『エッサイの株』は、 伐採された後の『切り株』 のことです。
         木が切り倒され、 残った切り株です。
その切り倒され、枯れたと思われた切り株から、一つの芽が生えてきて、『若枝』になるのです。

  つまり・・・
『エッサイの株』の話は『たとえ話』です。
   
       『エッサイの株』は、 エッサイの子である 『ダビデ王』 です。
  ダビデが、神から任された『ユダとイスラエルの統一』を成し遂げた後に、 
        ダビデが立てた『統一国家・ダビデ王朝』は、
            敵国に滅ぼされるのです。 切り倒されるのです。
    
  しかし・・・
『イザヤの預言』 が成就して、

    『ダビデ王朝』が切り倒されても、その後、 
ダビデの『系図』は900年以上、 『ダビデからキリストまでが二十八代』 マタイ福音書1-17 を経て・・・
      『エッサイ・ダビデの若枝:イエス・キリスト』 が誕生したのです。

        『神の救いの計画』は、 何事にもぶれることなく、 成就するのです。


 
2年半前の大型台風時。
我が家の『桃』の株が切り倒されました。

            『切り倒された桃の切り株から若枝』    が生まれ・・・
      

         今年、二年半の年月を経て、 『桃花』を誕生させました。

    

         今日は、 復活してくれた 『桃の切り株』 を眺めながら、
          再生した美しい『桃花』を、いとおしく、愛でました。 
                         感謝!感謝!


そして。

今日は3月19日。四旬節第四木曜日。

『今日の入祭唱』

   『主を求める人よ、 心に喜びを抱き、
  主の御力を尋ね求め、 常に御顔を求めよ。』

       詩編 105章3-4節 


『今日の福音 イエスの御言葉』

         『そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。
   「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。

         わたしについて証しをなさる方は別におられる。
  そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。

     あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。
           わたしは、人間による証しは受けない。

     しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。

        しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。
         父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、
つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。
   また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。


   あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。
      また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。
      父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。

     あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。
      ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
   それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。」』
               ヨハネ福音書 5・31-40節


     イエスの話は、すべて、人に『救い』を与えるための話です。

         今日も、イエス様は、話されました。
   『あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。』 と。

         わたしは、父・御神に遣わされた者である。
     わたしが、神に遣わされた、神の御独り子である。
       わたしは、神の力を持つ、神の子である。
   わたしを証しするのは、わたしが行っている業そのものである。
     わたしは、わたし自身について証しすることはない。
       まして、 わたしは、人間による証しは受けない。
  洗者ヨハネは、わたしに洗礼を授けた時に『神の”これは私の子”の言葉』を聞き、
         『真理=イエスは神の子・メシア』 を証ししたのです。
聖書は、わたしについて証しする『神の御言葉』であり、「永遠の命」を与えるものではない。

            
    『あなたたちが「永遠の命」を得るために、私を信じなさい。』 と。
         イエス様は、今日も、話されたのです。

私たちも、
聖書の中の『イエスの姿』を見ることで、
先の将来にではなく、この四旬節の間に、
悔い改めができるように神様に願いましょう。
そして信仰が深まりますように!


『今日の詠唱』


   『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』

         ヨハネ福音書 3章16節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
花は枯れ、樹木が枯れないのは、その根が太く、土深く潜り込むためだそうですね。
私たちも枯れることのないように、ぶれないで、骨太に、信仰深く潜り込みたいものですね。

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