マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

年間暦最後の主日ミサ・・・『王であるキリスト 祭日』・・・『王であるキリスト』&『屠られた子羊・キリスト』&『牧者・キリスト』&『死者の中から復活したキリスト』&『最後の審判者・キリスト』

2020-11-22 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
11月22日。日曜日。晴れ。

今日は主日ミサ。
コロナ禍のため
私の教会では
月一回のミサ参加を許されています。


              『聖体拝領』
 
         ミサの頂点である『御聖体』の拝領に向かう信徒たち。    今朝のミサ

          私の教会はとても信者数が多いため
    全教会員を4グループに分けて、1グループが月一回のミサ参加のみで
        コロナ禍のための『三密対策』をしています。

     大きな長机に1つか2つ貼られた『祈りの席』のシール前に着席。
              隣席者と間隔をあけます。
          今朝は『61家族』のミサ参加者でした。
    『7・5・3・祝会』もありましたが、祝別と祝い品贈呈のみです。


          ミサ後のお茶もおしゃべりもなし。
 ないないづくしのミサですが、マスク下の笑顔で月一の再会の喜びの確認です♡♡
     今日も、 信仰共同体の有り難さの再確認でした。 感謝!感謝!
        


そして。

今日は11月22日。年間第三十四主日。 『王であるキリスト 祭日』

  今日は、『王であるキリスト』の、色々の御姿を検証してまいりましょう。


一つ目:  『王であるキリスト』  の御姿。
     
          『イエス・キリストのイコン』
       6世紀頃。シナイ半島。聖カタリナ修道院所蔵。
  
    今日、全教会は『王であるキリスト』の祭日を祝います。
              
  一年間、全教会は『キリストのご生涯』を記念し、祈ってきました。
      そして、今日は教会暦・年間暦最後の主日です。
          『王であるキリスト』をたたえ、
 すべての人の救い主であるイエス・キリストを待ち望む『待降節』へと
              つなげていくことにより、
          教会の典礼が年間をしめくくるのです。
             『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

二つ目:   『屠られた子羊・キリスト』 の御姿。
   

   『天使たちは大声でこう言った。
         「屠られた子羊は、
    力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美
       を受けるにふさわしい方です。」』

          ヨハネ黙示録 5章12節


     『屠られた子羊』 の姿は、 『十字架上のイエス・キリスト』 の姿です。
  イエスは、御自分の命を十字架上で捧げ・・・その流された『御血』 によって、
        人類の罪の代価となって、人類の罪を償い、
  人類は、 『神の国・天国への帰還』 又 『永遠の命』 を 許されたのです。



『今日の第一朗読 エゼキエルの預言』

三つ目:  『自分の群れの世話をする牧者・キリスト』 の御姿。
  
  『まことに、主なる神はこう言われる。
   「見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。

牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、
     その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。
わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
  わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、 と主なる神は言われる。

    わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、
      傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。
       しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。

      わたしは公平をもって彼らを養う。

お前たち、わたしの群れよ。
主なる神はこう言われる。
      わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。』
         エゼキエル書 34章11-12&15-17節


 『キリストの姿』、『神の御心』のために民に仕える、『まことの牧者』の御姿です。
       『神の御心』は、 『民の一人も失われないこと。』
  イエスは、「神の御心」の実現のために、
    一匹の失われた子羊をどこまでも探しに行ってくださる、 牧者なのです。
        『人よ、どこにいるのか』
 神を見つけられない人々は、
 神の言葉を無視して、従わず、エデンの園を追放されたアダムと同じように、
    『どこにいるのか』 創世記3章9節 と神から問われているのです。


『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

四つ目:  『死者の中から復活したイエス・キリスト』 の御姿。

『皆さん、
 キリストは死者の中から復活し、 眠りについた人たちの初穂となられました。

死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
       つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、
       キリストによってすべての人が生かされることになるのです。

ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。
         最初に キリスト、
      次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、
          次いで、世の終わりが来ます。
      そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、
          父である神に国を引き渡されます。


        最後の敵として、死が滅ぼされます。
 すべてが御子に服従するとき、
    御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。
    神がすべてにおいてすべてとなられるためです。』
         コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章20-26&28節


『キリストの再臨の時』は、この世の支配、力、苦しみ、・・・から、『解放される時』です。
  このような『神の訪れの時』が、この世において、すでにはじまっている。
       と、生前のキリストは、ご自身の言葉と行いで、告げ知らせました。
   『キリスト全生涯』は、神のみ旨とその支配の、見える『しるし』 だったのです。



『今日の福音 イエスの御言葉』

五つ目:  『最後の審判の席に着くイエス・キリスト』 の御姿。
 
             『最後の審判』           イコン バチカン美術館 11世紀
  『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

       「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、
            その栄光の座に着く。

         そして、すべての国の民がその前に集められると、
   羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。

そこで、王は右側にいる人たちに言う。
         『さあ、わたしの父に祝福された人たち、
    天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。


  お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、
   旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、
       牢にいたときに訪ねてくれたからだ。

はっきり言っておく。
    わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
 
        わたしにしてくれたことなのである。

はっきり言っておく。
    この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。
   こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」』
         マタイ福音書 25章31-46節 参照


    『最後の審判』の時、
     私たちは皆、私たち一人ひとり、『生前の生活』 について、裁かれるのです。

     イエスは、私たちの『模範』として、 神からこの世に遣わされたのです。
 私たちは、イエスを知り、イエスと『似た者』となり、イエスの『模範』を『行う人』になるはずです。
イエスを知らない人たちは、 私たちキリスト者の『模範』をみて、弱者のお世話をするようになるのです。
   

私たちキリスト者は、
困っている方々のお世話をするはずです。
ところが
キリスト者でない方々の『模範』を見て
我が身を反省することばかりです。
反省の後の
回心した私たちの『行動』を見て、
人々にキリスト様をお知らせする
ことができますようにと祈ります。


『今日の祈願』

     『恵み豊かな神よ、
  ミサを通して、きょうも私たちは主キリストに結ばれました。
    この集いから派遣される一人ひとりが、
   助けを必要としている兄弟の中にもキリストを見いだし、
   共に苦しみを担い、支え合うことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
もうすぐ12月。一年の締めくくりの時期になりますね。
キリスト者は、イエスをお迎えするための心を整える『待降節』に入ります。
師走に入る前の3連休が穏やかでありますように。 お元気で!

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