マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

ノーベル文学賞・・・『その後のバラバ』 そして 『あなたは人間をとる漁師になる。』

2019-02-10 15:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月10日。日曜日。おだやかな午後。

 フル回転の頭を一休み・・・  『一輪の水仙』
 
 庭の水仙。               なぜか?今年は少ししか咲きません。

昨日の続きで、映画:『バラバ』を見終え、頭がいっぱいいっぱいになりました。
  居間から見える『水仙』に目をやり、ホッとする。いやされる。

 

2000年前。ローマが支配するエルサレム。

年に一度、罪びとの処刑の時に、ユダヤ民衆の指名によって重罪人を一人だけ釈放する習わしがあった。
 ローマのユダヤ総督ピラトは、磔刑に処せられるキリストの釈放を企むが、
 
 『イエスかバラバか』と総督ピラト。

      民衆の声を聞き入れ、盗賊バラバに自由を与えた。


聖書には、『バラバ像』は、ただ一度だけ。

『ピラトは民衆の要求をいれる決定を下した。そして暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。』ルカ福音書23章24&25節
      ・・・と。書かれているのみです。


1951年。約68年前。
 スエーデンの作家ペール・ラーゲルクヴィスト。
 

人類史上初めて、『その後のバラバ像』 を書き、ノーベル文学賞を受賞しました。

”よくぞ書いた!”と、『その後のバラバ・映画』を見て、驚きと感動と驚嘆です。
ノーベル賞文学賞の『意味』 と 『偉大さ』の再認識でした。

 

      『その後のバラバ』
 
 『サハクのために復讐心のバラバ』

キリスト信者となった昔の女友達ラケルが、キリスト者であることを隠さず、『石打の刑』で殺されるのを、見守ります。
   ラケルの処刑で、バラバは再び凶暴化し、再び捕らえられ、硫黄鉱に流刑となります。

神の計らいは続きます。

硫黄鉱のガス渦巻く地獄のような地下での労役中、キリスト者ゆえに捕らえられていたサハクに出会います。

  サハクとの出会い、そして 理不尽な処刑で死を迎えたサハクのお陰で再び『自由の身分』となるバラバ。

次に。

『古きものを焼き払う』と火をつけ、再びローマ皇帝からもらった『自由の身分』を失い、再び捕らわれの身となります。

そんな中。

迷うバラバは、サハクにかけられた『一言』:『主はあなたがどんな時も生き延びることをお望みなのです』
  ・・・を思い出しながらも、

『あなたに我が身をゆだねます』と静かに神に祈り、多くのキリスト教徒と共に十字架上にかけられ処刑され、亡くなります。


 

 フル回転の頭を一休み・・・  『図書館』
 
 

   『バラバ』の原作を借りてきました。
 益々、頭がいっぱいになりそうですが、読まずにはいられない。

 

     穏やかな日曜日の午後のひと時でした。 感謝!感謝! 

 

そして。

今日は2月10日。年間第五主日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。
イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。

    そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、
 
 『イエスはペトロと二人だけで船に乗られた』    

      岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。
 そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。
 
話し終わったとき、

 シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。
シモンは、

「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
そして、彼らがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。

すると、イエスはシモンに言われた。

   「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」

    彼らは船を陸に上げ、すべてを捨ててイエスに従った。』
                 ルカ福音書 5章1-11節

 

『映画・バラバ』の1シーン。

  バラバは海のあたりを歩くとき、漁のための網を手入れしているペトロに出会います
    『魚を捕るために、手入れですか?』と、ペトロに声をかけるバラバ。
  『いえ、私は人をとる漁師になるのです』と答えるペトロに、見入るバラバでした。

 

ペトロは、信仰者の御自分の姿で、『恐れることはない』と、迷う心のバラバに勇気を与えたのでしょうか?
  復活後のイエスが、ペテロたちの前に現れ、
      大漁の奇跡を見せ、『恐れることはない』と、迷うペトロたちに、勇気を与えたように。

  
『人をとる漁師』になったペトロの、
 最初の『宣教』は、『その後のバラバ』になされた。 とノーベル賞作家は言いたかったのでしょうか?

 


ペトロの本当の気持ちは、分からない。
ペトロとバラバを向き合わせて、一声かけあうように書いた、作家ペール・ラーゲルクヴィストの本心も、分からない。

 

  ましてや。
神が、バラバに込めた気持ちは、分からない。

 

聖書も作家ペール・ラーゲルクヴィストも、
私達が読む度に、私たちの心深くに、呼びかけ、働きかけては来る。
その読解は、年を重ね、経験を重ねると・・・変わってくる。読み方が変わってくる。

 
聖書も小説も、分からないことが大事で、おもしろくてやめられない、読み続けることになる。
      読み続けることが大切なのです。

 

皆様!

御訪問に感謝申し上げます。
今日・日曜日をいかがお過ごしでしたか?楽しい一日でありましたように。 お元気で!


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