3月21日。月曜日。晴れ。
今日は
春分の日。
春うららと、
庭の花を生けてみました。
『かすみ草と桃の花』

『春分の日』とは、
『春分』が起こる『春分日』が選定され、休日となったそうです。
昼と夜の長さがほぼ等しくなる日、
『春分』の起こる日だそうです。
実際には昼の方が14分ほど長いそうです。
『春分の日』と『春分日』の二つの『言葉』があるということです。
なるほどね。知りませんでした。
玄関には・・・
『紅白のボケの花』


今朝は、
明日からは昼がどんどん長くなっていく『春分日』にふさわしく、
盛りを過ぎた『冬花』には・・・『お礼肥』
これから咲く『夏花』には・・・『応援肥 追い肥』
たっぷり与えました。
私がいくら肥料を施しても、育てるのは神様です。
木々も花々も、神聖なものです。
私たちは、謙虚に、木々や花々から、真理を学ぶのです。
今朝も、花々と幸せな時間を過ごしながら・・・
大きな惨事に苦しむ人たちを思って、
申し訳ない気すらします。
日本の平和、世界の平和を祈りました。
そして。
今日は3月21日。四旬節第三月曜日。
『今日の入祭唱』
『主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。
命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。』
詩編 84章3節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは、ナザレの会堂で人々に言われた。

「はっきり言っておく。
預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。
確かに言っておく。
エリヤの時代に
三年六か月の間、雨が降らず、
その地方一帯に大飢饉が起こったとき、
イスラエルには多くのやもめがいたが、
エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、
シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
また、預言者エリシャの時代に、
イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、
シリア人ナアマン

のほかはだれも清くされなかった。」
これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、
総立ちになって、
イエスを町の外へ追い出し、
町が建っている山の崖まで連れて行き、

突き落とそうとした。
しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。』
ルカによる福音書 4章24-30節
今日のイエス様は、
『主の恵み』を告げる故郷・ナザレで、
反対が始まります。
イエスが
故郷・ナザレを訪ねたとき、
人々は喜んでイエスを迎えました。
ところが、故郷の人々には本当の信仰はなかったのです。
それで、
イエス様は、
故郷では特別なことは行なえませんでした。
イエスの故郷の人々は、
イエスの故郷の人々だということで、
特別に恵まれる『資格』はないのです。
同様に、
ユダヤ人は、
神から選ばれた民族ということで、
特別に恵まれる『資格』はないのです。
昔の預言者のエリアとエリシャも
癒やした人たちは異邦人でした。
同じ病気のユダヤ人はいやされませんでした。
神は、ユダヤ人と異邦人の区別はなさらない御方です。
神は、平等に、すべての人の幸福を願う御方です。
イエス様は、
『恵み』を受けるためには、
『信仰』が必要だと言われるのです。
私たちも、
神から特別に『恵み』を頂ける資格はありませんが、
キリストの『言葉』を受け入れて、資格が頂けるのです。
祈りましょう。
『今日の詠唱』
『わたしは主に望みをおき、私の魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。
慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。』
詩編 130章5&7節
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自分の置かれた場所に感謝して、その場所を大切にしてまいりましょう。
そのときは希望も生まれてきますでしょう。 お元気で!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます