マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

亡き母の追悼・・・『母の日』 そして 『互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。』

2021-05-09 05:30:00 | 父の日。母の日。結婚記念日。
5月9日。日曜日。快晴。

今日は母の日。
私には『亡き母を追悼する日』です。

      
         
      『いつくしみ深い神よ、
       この世からあなたのもとにお呼びになった母を、あなたの永遠の愛をもってつつみ、
              あなたの御国で憩わせてください。』

                 カトリック『祈りの友』参照

    
母の日を祝う習慣は、一番良く知られているのは、100年ほど前のアメリカ・ウエストバージニア州で、
アンナ・ジャービスさんが亡き母を追悼するため、
1908年5月10日にフィラデルフィアの教会で白いカーネンションを配ったのが始まりです。
やがて、この習慣はアメリカ全土に広がっていき、
1914年には『5月の第二日曜日を母の日とする』と制定されたそうです。


            私は、今日は、音量豊かなステレオで、
    母の好きだったクラシック音楽を聴きながら、過ごしています。


私には、母に対して、深く後悔することがあります。
父が亡くなり、大きな家に一人ですむようになった母は、
私に話をしました。 願いごとをしました。
決して、自ら、自分のものを願うことのないような母が、
「一人になって、素敵なステレオが欲しいわ。」と、お願いをしたのです。
一人になった母は、大好きなクラシックを、思い切りすばらしい音色で、聴きたくなったのでしょう。 
母は、私と一緒に、素敵なステレオを探してほしかったのでしょう。

私が小さいときから家にあったステレオは、
立派ではありましたが古い品で、音色と音量が今イチでしたが、
聴くには何の不自由もないステレオでした。
しかし、私はその母の願いを聞き流したのです。応えなかったのです。
不覚にも、私は、
”いま家にあるステレオで用を足すのではないの?” との思いだったのでしょう。
何も言わず、母の望みのままに、電気屋に行くべきでした。 深い後悔です。

晩年、私と住むようになった母のために、
私は、母の部屋に、母用のステレオを用意すべきでした。
私は、我が家の居間にあるステレオで間に合わせてもらっていました。
この時も、口には出しませんでしたが、
きっと母が望んでいたかもしれない『お願い』を深く考えなかったのです。
聞いてみなかったのです。 そこが後悔です。

人は、人の心の中を完全に推し量ることは無理です。
それでも、話し合いながら理解し合うことが大切だと、学びました。


          深い悔いを思い出しながら、
 母の日の今日、私は、ステレオでモーツアルトを聴きながら、母を追悼しています。

         『すべての慰めである神よ、
         あなたは永遠の愛をもって母をつつみ、
        死の暗闇をいのちの夜明けに変えてくださいます。
        あなたは私が親を大事にすることを望んでおられます。
           しかし私は、時々、感謝の念を忘れ、
        親は私のために働き、私よりも早く年を取っていくのに、 
           かえって心配をかけてしまいました。
          キリストの恵みに支えられて人生の旅路を終え、
       ふたたび母とまみえ、私の涙がすべてぬぐわれますように。』

                 カトリック『祈りの友』参照    


今日は母の日。
私には『母である喜びの日』でもあります。


   ワインのお供・・・    『母の日プレゼント』
   
   ワイン好きの母・私に、                       娘夫婦より
   花より団子と・・・
    『雑穀入りパン、ミッシュブロード、ツヴィーベル、ヴァイツェンミッシュブロート、
   ブレーツェル、ハンドゼルメン、ヒューグル特製山形食パン、信州産リンゴエキスジャム』
    信州・松本の、自家培養酵母で地場産食材、匠パン職人さんのパンとジャムです。
                             ワインのお供です。

              Mother's Day
         お母さんへ いつもありがとう 日頃の感謝を込めて

        母の日の今日、母の私が、子供達に感謝する日です。 感謝!感謝!
    

そして。

今日は5月9日。復活節第六主日。

『今日の入祭唱』

   『喜びの声をもって、地の果てまで響かせ、告げ知らせよ。
     「主はその民を贖われた。」 アレルヤ。』

        イザヤ書 48章20節

『今日の福音 イエスの御言葉』

       『そのとき、イエスは  弟子たちに言われた。
  
    「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。
       わたしの愛にとどまりなさい。


     わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、
 あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

          これらのことを話したのは、
        わたしの喜びがあなたがたの内にあり、
       あなたがたの喜びが満たされるためである。

  わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
        これがわたしの掟である。
  友のために自分の命を捨てること、 これ以上に大きな愛はない。


   わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしのである。
      もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。
      僕は主人が何をしているか知らないからである。
      
        わたしはあなたがたを友と呼ぶ。
    父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

   あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。
     あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、
   また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、
        わたしがあなたがたを任命したのである。

      互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」』
          ヨハネによる福音書 15章9-17節
               

  『わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
        友のために自分の命を捨てること、 
       
         これ以上に大きな愛はない。』

                             
      
   主イエス様は、民のために御自分の命を捨てて、その民を贖われました。 
   世の母親は、 子のために自分の命を捨てて、 その子を育てます。
   人は、 イエスと結ばれ、母の愛の模範を体験し、隣人愛を実行するのです。


   『人を愛する』とは、『神の愛』を、自らの行いで、他者に伝えることです。
          『神の愛』とは、 慈悲、忍耐、親切、です。



        『わたしの愛にとどまりなさい。』
            と、イエス様はおっしゃいます。 
   私たちは、すべての人を愛するために、イエスの愛にとどまらなくてはならないのです。

私たちも、
神の私たちに対する愛、慈悲、忍耐を体験し、
周りの人たちに親切にしながら
神の愛を示す者となりたいものですね。
祈ってまいりいましょう。

『今日の祈願』

   『全能の神よ、
  わたしたちの内におられるキリストに支えられ、
   日々、愛と喜びをもって生きることができますように。』


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
母の日が、皆様に豊かで幸せな日となりますように。 お祈り申しあげます。

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