マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『灰の水曜日の準備』・・・『あなたたちは聖なる者となりなさい。』 そして 『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。』

2020-02-23 09:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。

2月23日。日曜日。快晴。

  主日ミサ後。

 三日後のための灰の準備・・・     『灰の水曜日・2月26日』
    
         燃え上がる『棕櫚の枝』

 
  昨年の『枝の主日』、聖週間の初日の主日、に配られた棕櫚の枝。

  信者の家庭などを一年間守ってきて、お役目を果たした棕櫚の枝

         
     昨年『枝の主日』の・・・  『棕櫚の枝』
   
                     我が家の祭壇に・・・。

     『私が見ていると、見よ、
  あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、
     誰にもか数え切れないほどの大群衆が、
     白い衣を身に着け、手に棕櫚の枝を持ち、
   玉座の前の子羊の前に立って、大声でこう叫んだ。
「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、子羊のものである。」』
                                                                  ヨハネの黙示録 7章9&10節
     
    聖ヨハネは、罪をあがなわれた多くの国民が、
  天国で歓喜のうちに棕櫚を手にしているのを見たのです。      

  
   昔、『棕櫚の木』 は 『生命の木』 と見られていました。
  そしてその枝は、『勝利と凱旋の象徴』でありました。

キリスト信者は、これを世俗と罪に対する自分たちの『霊的シンボル』としました。
    そして、それはすぐに、
 信仰のために生命をささげた者の『殉教のシンボル』となったのです。
                                  『キリスト教のシンボル』より
     

今朝。  
 

  一年間で乾ききった信者宅の『棕櫚の枝』を回収して、燃やして、
    三日後の『灰の水曜日』に使かう『灰』を作りました。
   
        司祭によって祝別されて・・・

    『灰の水曜日』『塗布式』で使われます。
 
  司祭の『祈りの言葉』と共に、灰で『十字架』を印されます。

    『あなたはもともと土から生まれたので、土に返る。
   だから罪を悔い改めて、イエスの教えに立ち返りなさい。』
  『Remember that you are dust, and to dust you shall return.』

      主は言われる。
  「今こそ、心からわたしに立ち帰れ、断食し、泣き悲しんで。
   衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。」』
               ヨエル書 2章12&13節

 

今朝。   重要な『灰』を作るお役を与えられた私。
   燃え上がる熱いに包まれながら、心が清められる気がしました。感謝!感謝!

      『使徒ペトロの言葉』を思い出しました。

    『あなた方の信仰は、その試練によって本物と証明され、
  で精錬されながらも朽ちるほかない金よりもはるかに尊い。』
                   ペトロの手紙Ⅰ1章7節

     『信仰の試練』 という 『火』 が、
  キリスト者を『神の民』にふさわしい者としてくださるのですね。


三日後の
2月26日は・・・  『灰の水曜日』

   教会典礼は、『灰の水曜日』~40日間、『四旬節』に入ります。
イエスが宣教生活に入られる前に、砂漠で、『40日間断食』をされたことに倣い、
     教会生活の伝統では、断食、節制が行われます。
    
  
  1年の典礼の頂点である『復活祭』を目指しての『準備期間』です。
 『主イエスの受難と死』を思い起こし、『救いの時』の中心に向かって、
     『回心と償いの期間』 として過ごします。


     『四旬節』は『洗礼準備期間』 でもあります。
この期間、『洗礼志願者』だけでなく、全教会の信徒たちが志願者たちのために祈り、
又、信徒が洗礼の時を思い起こし、『洗礼の約束』『更新する準備期間』 とします。

 

   『四旬節』に入る前、灰の水曜日前日・火曜日まで、
      世界中が祝う 『謝肉祭・カーニバル』
  

    私たち・キリスト者は、互いの『四旬節』のために、
       豊かな回心ができますように!
         祈りあいましょう!

 

そして。

今日は2月23日。年間第七主日。

   今日の典礼は 『回心』を呼びかけます。

『今日の集会祈願』

  『天の父よ、
 人がみな自分の世界に閉じこもりがちな今の世界にあって、
         ここに集う私たちが、
 あなたへの愛と隣人への愛を現す者となることできますように。』


先ずは。

   の民への『回心』の呼びかけの『言葉』

『今日の第一朗読 神の御言葉』

    
     『モーセに仰せになった。
 イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい

   あなたたちは聖なる者となりなさい。

  あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。

    心の中で兄弟を憎んではならない。
      同胞を率直に戒めなさい

    そうすれば彼の罪を負うことはない。

       復讐してはならない。
    民の人々に恨みを抱いてはならない。

    自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。

         わたしは主である。』
         レビ記 19章1-2&17-18節


    『モーゼ五書』 の中心にある 『レビ記』
 
         『モーゼ五書』   伊大学に最古の完全写本

    『モーゼ五書』は、ユダヤ教の『心』であり、
  全てを完結し成就するキリストへの『案内役』でもあります。
    
     モーゼの時代からダビデの王政時代を経て、

   イスラエルの民の中で守り行われてきた『律法』や『規定』が、
      バビロン捕囚後にまとめられたものです。

  『レビ記』 は神の民が守るべき 『神聖法書』です。
   
   聖なる民でなければならない。 聖とするのは主である。
    隣人愛の民でなければならない。 神は主であるから。
  神の民、聖なる民となったイスラエルは、主なる神に仕える。
    主の約束と恵みは絶対である。 民は掟を忠実に守る。


第二番目は。

  使徒パウロの民への『回心』の呼びかけの『言葉』


『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉

 

 『皆さん、

      あなたがたは、自分が神の神殿であり、
 
    『聖霊の住まう神殿・エルサレム神殿・第一神殿』
   
   神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
   
神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。

      神の神殿は聖なるものだからです。

      あなたがたはその神殿なのです。

      だれも自分を欺いてはなりません。

 もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、
    本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
     
この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。


  「主は知っておられる、知恵のある者たちの論議がむなしいことを」
               と書いてあります。

ですから、
       だれも人間を誇ってはなりません。

       すべては、あなたがたのものです。
    世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。
        一切はあなたがたのもの、
        
あなたがたはキリストのもの、

       キリストは神のものなのです。』
          コリントの教会への手紙 3章16-23節


今日の司式司祭様の言葉。
    
  私たちは、神の霊が私たちの内に住んでいるので、『神殿』なのです。

       神殿である私たちがとなるためには、
    私たちの内に住む聖霊に依り頼む必要があるのです。
    私たちの『神の神殿』を壊さないように致しましょう。
      これこそが、
     心と体を清く、貞潔に生きるために、
   『御言葉』を受け取ってきたキリスト者の生き方です。

 

最後に。

  主イエスの民への『回心』の呼びかけの『言葉』


『今日の福音 イエスの御言葉

 

  『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

      悪人に手向かってはならない。

  だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
 
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
だれかが、一ミリオン(約1、5km)に強いるなら、一緒にニミリオン(3km)行きなさい。

     求める者には与えなさい。

  あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。

  敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

     あなたがたの天の父の子となるためである。
       父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
  正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。

    あなたがたの天の父が完全であられるように、
      あなたがたも完全な者となりなさい。」』
          マタイ福音書 5章38-48節


今日の司式司祭様の言葉。

   私たちキリスト者は、隣人愛に生きることが求められているのです。
     イエスが生涯求めた『隣人愛』は、究極の『隣人愛』です。

     イエスの行うことは、
  『この世の知恵』から見ると愚かなものに見えるのです。
   しかし、この愚かさは、
  『イエスの受難と十字架』によって、完全に示されました。
 

  『イエスの受難と十字架』 が 『神の知恵』 なのです。

   
  『神の知恵』に満たされて・・・
  私たちも『キリストの愛』を真似るようになるのです。
  私たちは、『主の戒め』も『イエスの知恵』において、行えるのです。


  『成聖』への招きは難しいのですが・・・
   諦めてはいけません。
   神の助けを願って、『成聖への道』を生きたいと思います。
      
   皆様! 決して諦めることなく、祈りの内に進みましょう!


『今日の祈願』

   『聖なる父よ、
  御子イエスはご自分を十字架につけて、人々のために祈りました。
  私たちがキリストの愛と赦しに与る者となりますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年の復活祭は春本番の4月12日です。
皆様のその日までの日々が豊かで穏やかでありますようにお祈りいたします。 お元気で!


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