マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『アントワープ聖母大聖堂』第二日目・・・世界文化遺産の鐘楼。 巨匠ルーベンスの絵の宝庫。 帰国。

2015-08-16 16:37:07 | 旅行。海外旅行。

       昨日に引き続き、『アントワープ聖母大聖堂』 訪問の二日目。

皆様!
長い間、私の旅行記にお付き合いくださり、ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
私もいよいよ帰国で、今日の『巨匠ルーベンスの絵画』の感動のご報告で、旅行記を終わりといたします。
お楽しみ頂けていたら、有難く幸いでございます。
                   ありがとうございました。 


   今日も来ました。


       世界文化遺産の『鐘楼』 と 『聖母大聖堂』
     
              建物の歴史と信仰の継続に、我のこれからの日々を重ねました。
                            生涯のいつの日か、又訪れるであろうか?

  教会に入りまして・・・
              

宗教的、芸術的、歴史的、技術的なさまざまな角度から楽しむようにしつらえてあります。  

         『大美術館』としても、芸術の背景に隠された意味を発見し、大いに楽しめます。

          

    大聖堂では
  画家ペーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)の、『珠玉の傑作4点』を見ることができます。
          4点は
①『キリスト昇架』(1610年作品)②『キリストの降架』(1614)③『キリストの復活』(1612)④『聖母被昇天』(1626年)

        『キリストの生涯の最後の三日間』 を三枚の絵(①~③)にしました。
            そして
  人類中で唯一キリストと同様に体ごと天に上げられた『キリストの母マリアの被昇天』 を絵(④)にしました。


   17世紀の傑作4点のうち3点は、初めからこの大聖堂のために描かれました。
       1点:『③キリストの復活』は、ナポレオン時代の後・1816年以降に、大聖堂に置かれています。


        大きな聖堂の高い部分に掛けられた 数々の作品です。
             写真は私の撮影。  
   絵の説明は、『アントワープ聖母大聖堂 日本語版ガイドブック』 の記事からです。
                  不十分ではありますが・・・ご一緒にお楽しみ下さい


一つ目。

                 『キリスト昇架』                       1610年(33歳)作品 
中央パネル:真っ白なキリストの体がかかった十字架とそれを立てようと団結し力を込めている9人の死刑執行人。

     ルーベンスは、『キリストの昇架』を1609年から1610年にかけて、
        彼自身がキリスト受難の年齢(33歳)とほぼ同年齢であった頃に描きました。


 左部パネル:ヨハネとマリア(上部)、悲しげな女たち(下部)が、この出来事を見守っています。
    
                            右側パネル:馬に乗ったローマ指揮官が刑を指揮しています。
                           背景にはキリストと一緒に刑を受ける2人の盗賊の姿が見えます。
                     一人はすでに十字架にはりつけにされ、もう一人は衣服を取られているところです。

 

                            主祭壇の真正面に『聖母の被昇天』。
祭壇をはさんで右側に『キリストの昇架』 そして 主祭壇をはさんで反対側に『キリストの降架』 があります。


二つ目。

                  『キリストの降架』         1614年(37歳)作品
        
        中央パネル:8人の人がキリストの体を慎重に十字架からおろしているところです。

        上部には2人の無名の男、右側にニコデモ、左側にアリマテアのヨセフ、
            その下にキリストに向かって腕を伸ばす聖母マリア、
 中央に燃えるような真っ赤な衣装のヨハネ、下部にクレオファスのマリアとマグダラのマリアがいます。   
          
     平面的で暗い背景に対して、人物はまるで3次元の世界のように浮かび上がっています。
      人々はキリストの体を白い帷子(キリストの体・聖体を意味する)で受け止めています。

     『キリストの降架』は、『キリストの昇架』のわずか数年後に描かれた作品です。
 私は拝観しながら・・・正に,神がルーベンスの手(God's hand)を使って描いたと、震える思いでした。

  
右側パネル:マリアが、小さなイエスを高位聖職者シメオンに授ける場面です。
   ヨセフが、手にいけにえの鳩を持ちシメオンの前に膝まずいています。
   
           左側パネル:イエスを宿したマリアが、同じく妊娠している従妹のエリザベトを訪問する場面です。
                          このときエリザベトが宿っていたのがのちの洗礼者ヨハネです。
                             二人はそれぞれの夫ヨセフとザカリアに付き添われています。

    『キリストの降架』には、
      第二次大戦後までカーテンがかけられており、一定のお金を払った人にのみ公開されていました。
          これは『フランダースの犬』の中でも触れられています。
      これらの絵を見ることがネロの夢でしたが、貧しいネロにとっては到底かなわぬ望みでした。

    私の師が、先日、話しました。
    「ベルギーの若い人たちも、日本の『私は仏教徒です』と話す若者と同じです。」 と。
誕生の洗礼時。堅信時。自分や友人の結婚式。葬式。そして特別の新年など。 教会に行くことが少ない。と。

  でも・・・私は決して落胆はしません。私は、必要な時の神の働きを信じています。 若者をも信じています。

             『主は言われた。
           「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」』 創世記18章32節
                                              信じることは、お人の救いになるのです!


三つ目。

            『キリストの復活』                          1612年(35歳)作品  

中央パネル:暗闇の中で驚愕しひるむ兵士達と、
              それと対照的に強烈な光を放ちながら岩の墓場から出てくるキリストです。

   

   ルーベンスは、
『キリストの復活』を、アントワープの有名な印刷工、ヤン・モレトゥス と 妻マルティナ夫妻の墓所のために描きました。

  側面パネルは
   夫ヤンの守護聖人の洗礼者ヨハネ。    そして    妻マルティナの守護聖人聖マルティナ。
     
洗礼者ヨハネは、ヨルダン川のほとりに立っています。 
足元の剣(写真では見えません)は聖ヨハネの斬首を示しています。
                                   聖マルティナは、殉教のシンボルとして手にヤシを持っています。
        聖マルティナの後には、彼女が十字をきったときに崩れ落ちたといわれる太陽神アポロの神殿の跡が見えます。
                                                         こちらも写真では見えません


 四つ目。 

              『聖母被昇天』        1626年(49歳)作品

すでに400年間、主祭壇を飾っているこの印象的な油彩画(400×325cm)は、
       大聖堂の守護聖人・聖母マリアに捧げられています。

 マリアが、石棺を後にして、雲と天使達に支えられて軽やかに天へと昇っていきます。
 マリアの髪と衣はゆったりと風になびき、期待に満ちたその目は天に向けられています。 
下方の残された石棺の周りには、
            12使徒 と マリアの死の床にいたとされる3人の女達が佇んでいます。

     左上から大きな天使2人が、バラの花束をマリアに捧げるためにやってきます。
                 

 ルーベンスは、この絵をかける大きな大理石の『主祭壇』自体も、自分で設計しました。
    
                                 真正面に『聖母被昇天』

ちなみに・・・

    『ペーテル・パウル・ルーベンスの人生』
1577年6月28日ドイツのウェストファリアンで、アントワープ出身の法律家の家に生まれました。
1587年(10歳)の父の死後、一家はアントワープに戻りました。
1598年(21歳)には、画家見習いとして修行をしていたが、親方となりました。
1600年(23歳)~1608年(31歳)間での8年間はイタリアで修行を積み、芸術家として磨きをかけました。

1609年(32歳)にアントワープに戻ったルーベンスは、
    当時この地を統治していたスペインの総督アルブレヒトとイザベラの宮廷画家となりました。

1609年(32歳)で結婚以来の10年間。
たくさんの宗教画、神話画 そして 数点の肖像画と、壮麗で活力に満ちた作品を多く生み出しました。

1626年(49歳)で妻を亡くし、4年後(53歳)に、当時わずか16歳のエレーヌと再婚。
1623(46歳)~1633年(56歳)は、外交官として輝かしい業績を残します。

生涯最後の10年間は、田舎の城館で、風景画、風俗画を描くことに、新境地を見出します。
1640年5月30日(63歳)フランダースバロックの巨匠は、息を引き取りました。

   感動と感謝。
  ルーベンスは、キリストの死去の年齢の33歳頃から、画家としての大輪の花を咲かせ始めました。
       私の33歳の頃を思出だすと、とてもとても花を咲かせるには程遠い年齢でした。
                そして
  ルーベンスは、画家としての大成の30年間を終えて、63歳で亡くなられています。
       私の今の年齢は、キリストの33歳もルーベンスの63歳をも、はるかに超えています。
神は、私にお二人よりも長い人生を与えて、『私の花を咲かせる期間』となさった。 と確信した次第です。
        私は、『神に課せられた花』を咲かせるために、これからがんばります!

 

芸術作品を、もう一つ。

              『聖ヨセフ祭壇装飾衝立』 

 中央部245×373cm。 側面パネル245×136cm
                         ろうそくのある所では必ず点火する孫娘です。 そして お祈りです

     1870年から1873年にかけて、聖ヨセフ礼拝堂の全体に、ネオゴシックの装飾が施されました。
                          見事な 『聖ヨセフ祭壇装飾衝立』 も同時期のものです。


  中央部分:子供のイエスを腕に抱く聖ヨセフ と 彼の生涯の7つの場面を表現しました。
          中央は聖ヨセフ像。
    左側上から下へ、ヨセフとマリアの結婚。 キリストの誕生。 イエスの神殿奉献の場面です。  
中央右側は、
エジプトへの逃避。 エルサレムの神殿で見つかったイエス。 ナザレの聖家族(ヨセフ・キリスト・マリア)です。
                          中央下は、ヨセフの死の場面です。

側面パネルの絵画
左側:ひざまづく教皇ピウス9世とその守護聖人ペテロ。 そして シエナの聖ベルナルディーノ、聖トマス・アクイナス、
                聖ベルナルドゥス、聖ヨハネ・クリソストモス、聖アウグスティヌス、聖ヒエロニムス です。
右側:ひざまづく王カール2世と聖司教マテルヌス。 そして 聖ビルギッタ、聖テレジア、聖イグナシウス・ロヨラ、
                サレスの聖フランシスコ、聖ヴィンセント・ド・ポール、聖アルフォンソ です。


       私は、キリストの養父・ヨセフが、理想の男性として、寡黙で愛情深く忠実で無垢で、大好きです。
      私は、息子にヨセフのような人に育ってほしいと願って、幼児洗礼の息子の霊名をヨセフとしました。
                                  ヨセフのような男になった息子。 神に感謝!感謝!


そしてもう一つ。

           『聖母被昇天』                     コルネーリス・シュフット作品 
    大聖堂の翼廊と身廊の交差部、『祝福の塔』 と呼ばれる塔の43mの位置に、
        息を呑むほどに美しい円形の絵画(直径580cm)が見えます。

うずまくような多数の天使達に囲まれ、輝かしい光を浴びて天へと昇っていくマリアが描かれています。
   マリアはもう少しで、父なる神と神の子キリストのもとへたどり着きます。
  三位一体の第三のペルソナ、鳩の形をした聖霊もまたマリアの到着を待っています。
     天使たちは、マリアに捧げる冠を持っています。

    撮った写真を、ズ~~~~ムUpしてみました。 ご確認いただけましたか?
                                  私たちも昇る『神の国』を、確認しておきましょう!


     二日間の孫娘と私。

『アントワープ聖母大聖堂』を、絵を描き そして 巨匠達の沢山の絵を見て、大いに楽しむことが出来ました。
       大聖堂の中で、神様やマリア様の話をいっぱいして そして いっぱい祈りました。

すばらしい時間を二人で過ごしました。
    この大聖堂訪問が、
   孫娘の信仰心を確かなものとしてくれますようにと、祖母は心からの祈りをしました。

                                     
     最後に孫娘と私。
 
 主祭壇の前に立って祈り・・・。主祭壇真正面の『聖母の被昇天』 を、最後にもう一度、見に行きました。

   すると・・・

  発見しました     『主祭壇裏側にある 小さな階段』 

   下りていくと・・・

       主祭壇の下       何基もの  『石棺』
 

      どなたか高人の棺だったのでしょうか?  中は空。
             そういえば・・・バチカンでも各大きな教会でも。階下は墓ですよね。

            
      ここで。
     亡くなった沢山の、知っている人知らない人の、冥福をお祈りした次第です。

            皆様のお幸せも、祭壇前で、お祈り申し上げました。


                     以上。
                     主婦の私の今回の旅ブログの終了です。

    皆様!
    旅ブログへのご訪問に深く感謝申し上げておりました。
              ありがとうございました。 お粗末様でございました。 
    帰国して、お目にかかります。  
              又よろしくお願い申し上げます。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
始めまして! (マリア)
2015-09-20 06:16:53
これからよろしくお願いいたします。
今日から始まったラグビーワールドカップ! 日本は初戦で歴史的な勝利を収めましたね! 34-32! バンザ~イ!
ニューカッスルでも3回の試合があるようで、大好きな懐かしいニューカッスルの町の様子や球場が写るでしょうか?と、楽しみにしています!
23年前はニューカッスル。 そして 6年前はベルギー。 今もイギリスにお住まいなのですね。 大好きな英国なので、Yuki様を身近に感じます! ブログ友ですね。 よろしくお願いいたします。 
返信する
Unknown (Yuki)
2015-09-19 18:55:08
初めまして。
マリアをキーワードにブログを書こうと思い、こちらに行きつきました。
するとニューカッスルとベルギーの旅行記を読ませていただき驚きました。23年前に住んでいたニューカッスル。今もイギリス在住です。6年前はベルギーに在住しておりました。
今後もブログを楽しみにしております。
返信する

コメントを投稿