6月24日。金曜日。晴れ。
今日は、
金曜日
聖書100週間・聖書通読会です。
『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
私たちの聖書1000週間・聖書通読会は、
只今は、思いがけないコロナ禍のために、
『ズーム教室・オンラインクラス』でのクラス続行中ですが、
2018年11月16日の『第一回目』から、約3年半が過ぎました。
残りは、あと『11回のクラス』。
あと数か月で全聖書通読完了、終了の日を迎えます。
仲間は、互いに支えあって、今まで、約3年間半、
苦労と努力と喜びを、共にしてまいりました。
まことに有難いことです。
神に感謝! 仲間に感謝!
『聖書100週間』とは、
聖書の読むべき箇所:「今週の通読範囲」を、自宅でよく読み、
週に一回(私たちは金曜日)、毎週の集まりに出席するのです。
集まった参加者全員が、順番に、
まず、
①先週読んだところの重要な事柄を、復習として発表します。
復習は、つながりや要点をつかむためにも、
また、読んできたところを忘れないためにも大切です。
次に、
②「今週の通読範囲」を、一人一人が読んで感じたことや心に響いたことを、発表します。
発表は、純粋な感想であって、解釈や説明ではないのです。
各自の感想が述べられる間、互いに心を開いて、黙って聴くのです。
発言している人が神の言葉を味わって感じた喜びを、共に味わうのです。
『聖書100週間』とは、
全聖書を、およそ100週間で、通読します。
『元始に神天地を創造りたまへり、地は定形なく空しくして黒暗淵の面にあり・・・』創世記一章一節
『OLD TESTAMENT 旧約全書』 我が家の宝物・大正五年六月廿一日印刷・『旧約聖書』
旧約聖書に約2年、新約聖書に約1年半かかります。
全聖書の通読は、
自分の信仰の土台を固めるための、
3年間半の長き『黙想期間』のようなものなのです。
そして今日、
私たち仲間は、約三年半の『黙想生活』を終え、
新約聖書の最終章に入りました。
充実感と満足感に満たされています。
感謝!感謝!
そして。
今日の通読範囲は、『使徒言行録 19章~28章』です。
今日の範囲では、
使徒パウロの、どんな苦難にもその信仰に揺らぐことのない、
目覚ましい『宣教活動』が述べられます。
西暦49年頃。 『パウロの宣教旅行 1』
アンティオキアの教会からバルナバと共に派遣されたパウロは、
小アジアのガラテア地方の町々を巡り歩いて宣教しました。
西暦48~49年頃。パウロはバルナバと共に『使徒会議』に参加した。
西暦49~52年頃。『パウロの宣教旅行 2』
再び派遣されて、ギリシャにまで渡って、宣教をしました。
フィリッピやテサロニケに続いて、
コリントには二年近く滞在して宣教しました。
西暦53~58年。『パウロの宣教旅行 3』
三回目の派遣で、特にエフェソに二年間滞在した。
西暦58年。エルサレムに上り、エルサレムで危険人物として逮捕され、
およそ二年間、カイサリアで『獄中生活』を送る。
西暦60年。囚人として、ローマに護送され、
およそ二年間、ローマで、番兵をつけられ、『監禁生活』を送る。
西暦64年か67年。パウロはローマで殉教する。
ユダヤ教の聖書学者だったパウロは、
※旧約聖書の『預言』がイエス・キリストにおいて成就したこと。
又
※旧約聖書に示されているメシアは、神の独り子・ナザレのイエスであること。
※『キリスト教の神髄』※
ユダヤ教の人々にも、ユダヤ教以外の人々(異邦人)にも、
力強く宣教しました。
多くの町を巡り歩きながら福音を延べ伝えたパウロは、
迫害のために宣教した町に長くとどまることができなかったので、
※宣教した町の信徒たちに『手紙』を送って、
彼らを支えました。
獄中生活で4年間以上の長き年月を、孤独のうちに送っていたパウロは、
沈黙の中で、『キリストの神秘』を一層深く悟り、
※イエス・キリストこそ全世界を支配し治める王であることをますます深く確信し、
それを信徒たちへ手紙で書き送くりました。
パウロは『別れの挨拶』で述べました。
『私は、自分の決められた道を走りとおし、
また、主イエスからいただいた、
神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、
この命ですら決して惜しいとは思いません。』
使徒言行録 20章2節
獄中生活の中で沢山の手紙を書いたパウロは、
それから2000年ほどたった現在も、
※パウロの手紙を読む私たちに『キリスト教の神髄』を、
教え続けてくれているのです。
今日も、
仲間と共に、聖霊に満たされて、
全聖書を通して語られる『神の言葉』を、
正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
感謝!感謝!
そして。
今日は6月24日。年間第十二金曜日。
『イエスのみ心 祭日』
この祭日の目的は、
“イエスのみ心” に表される神の愛を思い起こすと共に、
イエスの無限の愛のしるしである “み心” をたたえることです。
『今日の集会祈願』
『聖なる父よ、あなたは、人類の罪のために刺し貫かれた御子のみ心のうちに、
限りないいつくしみの泉を開いてくださいました。
私たちが、心からの奉献によってキリストの愛にこたえることができますように。』
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。』
ヨハネによる福音書 10章14節 アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスはファリサイ派の人々や律法学者たちに
次のたとえを話された。
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、
その一匹を見失ったとすれば、
九十九匹を野原に残して、
見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして、見つけたら、
喜んでその羊を担いで、家に帰り、
友達や近所の人々を呼び集めて、
『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』
と言うであろう。
言っておくが、
このように、悔い改める一人の罪人については、
悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも
大きな喜びが天にある。」 』
ルカによる福音書 15章3-7節
今日のイエス様は、
ファリサイ派の人々や律法学者たちに、
『見失った羊を探す羊飼いのたとえ』
を話されました。
イエス様は、
『見失った羊を探す羊飼いのたとえ』で、
神が善い人(99匹の羊)より悪い人(一匹の羊)を愛しておられる、
と、言われるのではないのです。
神様は、『迷った羊』をお見捨てにはならない、御方です。
神様は、人間の『悔い改め』を望んでおられるのです。
人間にとって、『改心』はとても難しいことなので、
神様は私たちを探し出して、
私たちの『改心』を助けてくださるのです。
人間は、すべての人が、弱く、もろい者なのです。
※『たとえ話』※が語ることは、
※私たち、人間の一人一人、全員が、『失われた羊』なのです。
※神様が、すべての人・『失われた羊』を探しておられるのです。
神様は、
一人の人間・罪人・『失われた羊』の改心を、待っておられるのです。
神様にとって、
たった一人の人の『悔い改め』と『改心』でも、
神様の『喜び』なのです。
私たちも、
自分の弱さを認めて、悔い改めたいですね。
又、神様は、私たちひとりひとりを探していてくださる、
愛深い御方であると、信じましょう。
神様をお喜びさせることができますように。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
何事も、努力の後に、『完成の日』を迎えることは、
達成感と充実感に満ち溢れますよね。 努力のご褒美です。
週末の土曜日、日曜日がすばらしい日々でありますように。 お元気で!
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