マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

静寂の中での会話・・・『我と汝』 そして 『聖ルチアおとめ殉教者 記念日』・・・『ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。 天からのものか、それとも、人からのものか。』

2021-12-13 05:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
12月13日。月曜日。晴れ。

今朝
玄関を出ると・・・
明け方に雨が降った模様です。

道路は雨跡が残るが、
気温は高めです。


    元気をくれる・・・   『ゼラニューム』
 
                   友人宅からの株分けが咲き出しました♡♡


       昨朝、教会にご一緒した友人が、私に尋ねました。
      「今朝は私をお迎えで、朝早くから忙しかったでしょ?
          それでも、今朝も走ったの?」
       「いつもより早くスタートして、走りましたよ」
           とお答えしました。


         「いつ頃から、朝の走りを始められたの?」
        友人の第二の質問に、改めて思い出してみました。


私の運動歴は、
小学校時代は、父と裏山・六甲山への登山。
そして
中学の水泳クラブ依頼・・・
高校時代は登山部、大学時代はワンダーフォーゲル(ドイツ語で渡り鳥の意味♡)部。
就職してからは・・・
ひたすら早朝ドライブでした。

      思い出せば・・・

       その後、結婚&出産で、運動を忘れていました。
             ”こりゃ大変!”

         第一子出産後、結婚三年目から、
         赤ちゃんや夫が起きてくる前の、
         『早朝ラン』が始まったのでした。

          それ以来・・・
   アメリカで『早朝テニス自主トレ』に、変更する時期もあったり、
   旅行ややんごとなき事態だと理由をつけて、さぼったり、
   それでも、細々と、
   45年ほど続いている『早朝ラン、ジョグ&ウォーキング』です。


         鶏が先か? 卵が先か?
     
    ジョグがあるから健康か? 健康だからジョグは続くのか?
        続けられる健康に感謝です。


      年を重ねた今の私にとって・・・
      『早朝ウォーキング』は、『祈りと冥想』の時間です。
   静寂の中で、無我の状態で、心の中の「もう一人の自分」と対話する。
      自分の気持ちが明確になり、整理されていきます。
    又、 神からの啓示のように、『汝の声』が聞こえてくるのです。

     『早朝ウォーキング』は、
     私にとって、一日を始めるに当っての『有用な時間』なのです。


         今朝も、雨上がりの朝、人もいなくて、
        内なる心の声に耳を傾けることができました。
                感謝!感謝!


そして。

今日は12月13日。待降節第三月曜日。

     『聖ルチアおとめ殉教者 記念日』
   
        ?-304年

 ルチアは、イタリア、シシリア島シラクサの裕福な家にまれ、
       信仰深い両親のもとで育てられた。

      父の死後、又 母の病が癒された後、
      ルチアは生涯を神にささげる決意をして、
      自分の財産を貧しい人びとに与えた。

   以前ルチアとの縁談があり、彼女に好意を寄せていた青年は、
   そのことを知って怒り、彼女がキリスト教徒であることを知事に訴えた。
   当時は、ローマ皇帝ディオクレチアヌスによる『キリスト教迫害』下にあり、
 304年。 すぐに彼女は捕えられ、信仰を貫き通したために殺された。殉教する。

   ルチアに対する崇敬は、古代から、ほとんど全教会に広まり、
        ローマ典文にその名前が入れられた。
           『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

  『信じ、キリストの名のために命をささげた殉教者は、
     キリストとともに終わりなく歌う。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスが神殿の境内に入って教えておられると、
     祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。
     

    「何の権威でこのようなことをしているのか。
       だれがその権威を与えたのか。」

       イエスはお答えになった。
      「では、わたしも一つ尋ねる。
        それに答えるなら、
 わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。

      ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。
     天からのものか、それとも、人からのものか。」

         彼らは論じ合った。
      「『天からのものだ』と言えば、
    『では、なぜヨハネを信じなかったのか』 と我々に言うだろう。
  
      『人からのものだ』 と言えば、群衆が怖い。
       皆がヨハネを預言者と思っているから。」

   そこで、彼らはイエスに、「分からない」 と答えた。
   すると、イエスも言われた。
     「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、
         わたしも言うまい。』』
                 マタイによる福音 21章23-27節


   今日のイエス様は、
   祭司長や民の長老たちと、
      『権威』について議論をしました。

      それは、  
      イエスが、神殿で商売をしていた人たちを追い出した後、
      神殿で、教えておられたときのことです。


   祭司長や民の長老たちは、
   教える資格のある人は、祭司や律法学者から学んだ後にその資格を得た人たちだけである。
   と思っていました。
   イエスは、学んだこともないのに、その資格はないと思っていたのでしょう。


   イエス様は、
   神から依頼されて、
   民に『神の言葉』を教えるために、この世に派遣されたお方です。
   同様に、
   ヨハネも、
   神から派遣され、イエスの到来を準備するために、
   民に『悔い改めの洗礼』を授けるために、この世に派遣されたお方です。


   イエスと議論する祭司長や民の長老たちは、
   イエスもヨハネも神から派遣された方たちであることを認めないのです。
   しかしそれを口に出すことは、
   ヨハネを信じている民衆の反発を恐れたのです。


   私たちも、
   『真理』を見いだすことは、とても難しいものです。
   しかし、先入観にとらわれることなく、
   神のなさる『真理』を見いだしたいものですね。
      祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『主よ、慈しみをわたしたちに示し、わたしたちを救いください。』
        詩編85章8節     アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で、ウォーキングを楽しむ方が増えたそうですね。
確かに、ウォーキング後の爽快さと達成感は、心身のリフレッシュになりますよね。 お元気で!

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