マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『カリストの イエズス マリア 赤とんぼ 』・・・五島巡礼三日目・・・『望んでいる事柄を確信し、見えない事柄を確認する。』

2019-09-18 22:10:48 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

9月12日。木曜日。快晴。

    前田枢機卿様と行く上五島巡礼の旅 三日目

 

さあ!

今日も巡礼に出発です。

  バスに乗り込み

 枢機卿様の『始まりの言葉』

     『今日も無事に巡礼ができますように!

      日本の民主主義はここ五島から生まれたと言えます。
   信仰の自由を守るために五島の人たちは命を捧げたのです。

   『カリストの イエズス マリア 赤とんぼ』 

 

     今日は四つの教会とキリシタン洞窟を巡りました。
    そのうちの一つの教会と海の中の洞窟をご一緒下さい。  

 

 まずは

       『土井の浦教会』  

 



上り切ると・・・
まずは目につきます。

         『カリスト殉教顕彰碑』
 
            『由来』    

    『寛永二年 五島藩主はキリシタン弾圧を誇示するため、
  教会の伝道師カリストを若松から一里ばかりのダプトに於いて処刑した。

  役人に引かれていくカリストの後を追うキリシタンたちに、
        不朽の御恵を下さる神様を賛美するように諭し、
  刑場では友人に別れ手紙を書き、晴れ着に着替えて、
      刑史に感謝の詞を述べ、
  イエスマリアの御名を唱えて、首をはねられた。

    時は千六百二十四年四月十九日 享年五十七才であった。 
     ここにカリストの崇高な殉教を讃え顕彰する。
      二〇〇一年九月 カトリック土井の浦教会』

          枢機卿様が、
  今朝一番に、俳句に詠まれて賛美なさった 『殉教者カリスト』の碑です。
     『カリストの イエズス マリア 赤とんぼ』 

 

教会に入り・・・   

      『ミサ』
 
 

  『枢機卿様お説教』

 「神が、まず先に命まで与えて私たちを愛してくださいました。
       だから、私たちも愛しなさい。

すべての人を、神が大切にしたのです。 神がすべての人を造られたのです。
      だから、すべての人が神の子なのです。

そんな御父・神が愛したように互いに愛し合いなさい。
      赦せば、神は赦します。

    『裁くなと 赦し、赦され 赤とんぼ。』    
        赤とんぼの赤は殉教の色です。

人はすぐに裁いてしまいます。
  しかし、人はまず赦すのです。そして 赦されるのです。

   『松虫や 赦し、赦され 裁くなと。』



ミサが終わって

            『祈りの場』
   
    枢機卿様 と 土井の浦教会の信徒の皆さま と 巡礼団
    
    枢機卿様 と 当教会出身の下迫神父様のお父様から
     『巡礼者たちの崇高な生き様』 を学びます。

 

その昔の昔。
   今から457年前。 『五島』に初めて 神父様が到来したのです。

それは。
 
 1562年(永禄5年) 重病の五島領主第18代宇久淡路守純定の要請に応じて、
        横瀬浦に滞在中のイエズス会の神父コスメ・デ・トルレスと
        日本人キリシタンで 医学の知識のあったディエゴ
             が五島に派遣されました。
      五島領主・純定は、ディエゴの手当てによって、 数日で全快しました。

そんな結果。

  1566年(永禄9年) 2月五島の重臣25名がキリシタンになる。
            6月。 寺が改造されて教会となり、
        地位の髙い120名位に洗礼を授けるために盛大な式を挙行されました。
            教会の背後の髙地に十字架が立てられました。

しかし58年後。

 1624年(寛永2年 五島藩主盛利と聖堂の看坊カリスト が捕縛され、
             ダプト(高仏?高松?)で斬首されたのです。
               同日に他5人も斬首されました。

      
      『五島』 は正に 『赤とんぼ』
        『殉教の色:赤の地』です
   昨夏の巡礼の地・イスラエルと同じ空気を感じます。
  それは『神から選ばれた地』が持つ『高貴さ』でしょうか。

 


次は。

 

       『キリシタン洞窟』

  殉教者カリストが、尊い命を捧げて、信仰を守ることを教えた後
          150年ほどの後

1772年-1773年(安永元年 福江藩時代)

    大村藩の外海地区(現・長崎市)より キリシタン16戸70名が移住。
     現在の北部の大平教会、南部の土井ノ浦教会がある地に
        明治期の迫害の際に
     信徒が隠れ住んだのが『キリシタン洞窟』 です。


洞窟に向かって・・・

   海を走ります    『海上タクシー』
 

   波を噴き上げ・・・
 
 

    キリシタン洞窟は
 1566年(
永禄9年) 。

   外国人宣教師の手によって、五島全域にキリシタン信仰が広まり、
   時の領主がキリシタンに改宗すると、
   多くの家臣、領民が帰衣し、各地に教会が設けられました。
    
 しかし、その後。

   豊臣秀吉による禁令、徳川幕府による一層の過酷な迫害が起こり、
   五島も領主の世代交代などでキリシタン弾圧が始まりました。

 1868年(明治元年)
   
    五島のキリシタン探索は、ますます厳しさを加え、

   『 五島崩れ』 といわれる最後のキリシタン弾圧の嵐が吹き荒れました。
    この弾圧の嵐は、若松周辺でもそれぞれの集落で起きました。

 そのような中。

    この近くに住む里ノ浦地区のキリシタン達は、
     迫害を避けて、この洞窟に隠れました。

 

洞窟への海上タクシーの途中。

  島の合間に・・・  『マリア像』
 
      岩の切れ間が 『マリア像』 を形作ります


到着

        『キリシタンワンド洞窟』
    
      洞窟は  奥行50m、高さ5m、幅5mのT字型

   入り口はかなり広い海蝕台場の背後にある岸壁の裏側にあって
     海岸からは見えない格好の隠れ場となっています

   里ノ浦の山下与之助、山下久八、下本仙之助らは話し合って、
   生活用具や物資を持ってひそかに、この洞窟に隠れました。 

 しかし、ある朝のこと、不用意にも朝食を炊く煙を沖を通る漁船に見つけられ
    役人の知るところとなって捕らえられ
    『算木責め』などの拷問にかけられました。

この時以来
   この洞窟を 『キリシタンワンド洞窟』 と呼ぶようなりました。

昭和42年。
    苦しみに耐え、信仰を守り抜いてきた先人達をしのび、
        鎮魂の願いを込め
           『キリスト像』    が建てられました
    
     洞窟の入口に 

     高さ4mの『十字架』 と 3.6mの『キリスト像』

 

  今回の巡礼は、
  昨夏のイスラエル巡礼にご一緒した友が数人の参加です。

     その中のお一人
  「私が洗礼なんて…まだまだ先にはあるのかな?」とイスラエルで。
  「洗礼を決心しました」と五島で。いつも笑っておいでです。素敵です。
    
      イスラエルからの一年間が彼女を変えました。
 神様は 『私の愛する子よ!』 と かわいい友人に呼びかけられました。
   

  『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事柄を確認することです。』
                     ヘブライ人への手紙 11章1節
     

 

  今日も 枢機卿様の『終わりの言葉』で 一日の巡礼が無事に終了。

       巡礼三日目。 2996歩。←少な!         

   
皆様!
 御訪問に感謝申し上げます。
 私の巡礼の姿も、五島の人たちに似て、『確信』の持つ落ち着きが出てきました!?

   

       『五島』は
   神様に選ばれた『選地』に住む、
     神様に選ばれた『選民』
の住む『地』です。


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