昨日・金曜日は、 『聖書講義』 に出席しました。
昨日のテーマは、『五千人に食べ物を与える』 でした。
テーマの 『御言葉』 は、マタイ福音書 14章17~20節 でした。
『御言葉』
『弟子たちは言った。
「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
イエスは、
五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお与えになった。
弟子たちは、
そのパンを群集に与えた。 すべてに人が食べて満腹した。
そして、
残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。』
マタイ福音書 14章17~20節
『講師の講義』 については、昨日のブログに書きかました。
今日は、私が考える、その続編です。
私は・・・・
弟子のように、神に捧げる 『5つのパン』 も 『2つの魚』 も 持っていません。
イエスのように、神に、『我が命』 を捧げる『勇気』も、全く持ち合わせていません。
そんな私は・・・
何を、籠に入れて、皆様に配ることが出来るのでしょうか?
配った後に『残ったパンくずを集めると、十二の籠いっぱいになる。』 ほどの、何かを持ち合わせているでしょうか?
あれこれ考える私は・・・
『イエスの御言葉』 を思い出しました。
『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』 マタイ福音書 4章4節
人は・・・
『パンと魚』 で、肉体を満腹させます。 明日へのエネルギーがわいてきます。
そして。
『御言葉』 で、霊魂を満腹させます。 悲しい心も孤独も癒すことが出来ます。
私は・・・
『5つのパン』 も 『2つの魚』 も 我が命を捧げる『勇気』 も持っていません。
しかし
『籠いっぱいの信仰』 = 『籠いっぱいの神の御言葉』 は持っています。
私も・・・
弟子 や キリスト と同様に。
自分の持ち物=『籠いっぱいの信仰』 = 『籠いっぱいの神の御言葉』 を配ることは出来ます。
私も・・・
私の小さな信仰を、神に捧げて、神におまかせします。
神は、私の小さな信仰を利用して、多くの人の心の渇きを癒して下さる。 と信じます。
私の持つ小さな信仰で・・・
神が、『神の救い』 を実現させて欲しい。
決して自己賛美のためではなく・・・『私の小さな捧げ物を使って、『神の栄光』 を見てみたい!
更に・・・
私も・・・
私が積極的にお人にお分けした故に、反対に、神とお人に増やしていただき、
『残った私の信仰を集めると、十二の籠いっぱいになる。』 のです。
確かに・・・
自分のタレントを惜しげなく捧げる時には、そのタレントは2倍にも3倍にも大きくなって返ってきますよね。
『情けは人の為ならず』 です。
これこそが、『神の御業』ですよね。
以上。昨日考えたことです。 お粗末様でした。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日、北陸新幹線が開通しました。 早い!早い! 目的地に着いてからはゆっくり!ゆっくり!したいですね!
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