マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『残ったパンくずを集めると、十二の籠いっぱいになった。』・・・続編

2015-03-14 22:21:43 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

昨日・金曜日は、 『聖書講義』  に出席しました。

  昨日テーマは、『五千人に食べ物を与える』 でした。
    テーマの 『御言葉』 は、マタイ福音書 14章17~20節 でした。

 『御言葉』

      『弟子たちは言った。
   「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」
      イエスは、
五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお与えになった。

      弟子たちは、
   そのパンを群集に与えた。 すべてに人が食べて満腹した。
       そして、
  残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
                                マタイ福音書 14章17~20節
   

 『講師の講義』 については、昨日のブログに書きかました。

   今日は、私が考える、その続編です。

     私は・・・・
 弟子のように、神に捧げる 『5つのパン』 も 『2つの魚』 も 持っていません。
 イエスのように、神に、『我が命』 を捧げる『勇気』も、全く持ち合わせていません。

     そんな私は・・・
  何を、籠に入れて、皆様に配ることが出来るのでしょうか?
配った後に『残ったパンくずを集めると、十二の籠いっぱいになる。』 ほどの、何かを持ち合わせているでしょうか?

 

     あれこれ考える私は・・・
  『イエスの御言葉』 を思い出しました。

 『人はパンだけで生きるものではない。
    神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』  マタイ福音書 4章4節

       人は・・・
 『パンと魚』 で、肉体を満腹させます。 明日へのエネルギーがわいてきます。
      そして。
 『御言葉』 で、霊魂を満腹させます。  悲しい心も孤独も癒すことが出来ます。


     
     私は・・・
『5つのパン』 も 『2つの魚』 も 我が命を捧げる『勇気』 も持っていません。
        しかし
 『籠いっぱいの信仰』 = 『籠いっぱいの神の御言葉』 は持っています。     

 
     私も・・・
      弟子 や キリスト と同様に。
自分の持ち物=『籠いっぱいの信仰』 = 『籠いっぱいの神の御言葉』 を配ることは出来ます。

    私も・・・       
  私の小さな信仰を、神に捧げて、神におまかせします。
神は、私の小さな信仰を利用して、多くの人の心の渇きを癒して下さる。 と信じます。

    私の持つ小さな信仰で・・・
神が、『神の救い』 を実現させて欲しい。
   
決して自己賛美のためではなく・・・『私の小さな捧げ物を使って、『神の栄光』 を見てみたい!

更に・・・

    私も・・・
私が積極的にお人にお分けした故に、反対に、神とお人に増やしていただき、
      『残った私の信仰を集めると、
十二の籠いっぱいになる。』 のです。

   確かに・・・
   自分のタレントを惜しげなく捧げる時には、そのタレントは2倍にも3倍にも大きくなって返ってきますよね。
                               『情けは人の為ならず』 です。
         これこそが、『神の御業』ですよね。

                 以上。昨日考えたことです。 お粗末様でした。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日、北陸新幹線が開通しました。 早い!早い! 目的地に着いてからはゆっくり!ゆっくり!したいですね!  


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