6月3日。水曜日。晴れ。
素晴らしい生命力です。
庭の片隅の・・・ 『ドクダミの花』
素晴らしい生命力に拍手喝采
昨年は咲いていなかった所に、今年は可憐な姿で、群生している。 お見事です。
可憐なドクダミの花言葉・・・『白い追憶』 と 『野生』
『白い追憶』は、 転んだときにドクダミの葉を揉んで傷口に当ててもらったという、
母親との思い出を懐かしむことにちなんでいます。
『野生』は、 特別な手入れをしなくても元気に育っていく、
ドクダミの生命力の強さを表しているとされています。
Wikipediaより
人間もドクダミに負けてはいられませんね。
コロナ禍の襲来も、 人間が本来持つ『生命力』で、 勝利の日を迎えましょう。
今日はもう一つ。
素晴らしい生命力です。
ロスアンゼルスで・・・ 『平和な抗議』
我が家が購読する新聞記事
素晴らしい生命力に拍手喝采
一部で暴徒化した抗議デモの中、 遺族の望みに応えて、 平和的な抗議が目立ちました。
『兄は破壊など望んでいないはずです。
怒りや暴力に訴えるのではなく、とにかく平和に抗議をしてほしい。』
兄の死亡した現場付近で、悲しみをこらえながら、訴えた被害者の弟さん。
人間が本来持つ 『生命力』 と 『善意』 を信じましょう。
平和に解決できない問題はないはずです。
信じることができるのは人間だけができることです。
そして。
今日は6月3日。年間第九水曜日。
『聖カルロ・ルワンガと同志殉教者 記念日』
1885年~1887年。 ウガンダでは、キリスト教に反対したムワンガ王によって
多くのキリスト教徒が殺害された。
彼らの幾人かは、王の宮殿に仕えていた者や王の小姓であり、
その中でも熱心なカトリック信者であったカルロ・ルワンガと21人の仲間が
特に秀でていた。
彼らは、王の理不尽な要求を拒んだために、
ある者は剣で刺し殺され、ある者は火あぶりの刑に処せられた。
「毎日の読書」より
『今日の集会祈願』
『信じる者の力である神よ、
あなたは殉教者の血を、キリスト信者の糧としてくださいます。
聖カルロとその同志の殉教によって教会が力づけられ、
豊かな収穫をもたらすことができますように。』
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
イエスも、イエスに反対する人に、
平和的に、言葉で、誤解を解いていきます。
『そのとき、
復活はないと言っているサドカイ派の人々が
イエスの所へ来て尋ねた。
「先生、 モーセはわたしたちのために書いています。
『ある人の兄が死に、 妻を後に残して子がない場合、
その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』 と。
ところで、 七人の兄弟がいました。
長男が妻を迎えましたが、 跡継ぎを残さないで死にました。
次男がその女を妻にしましたが、 跡継ぎを残さないで死に、
三男も同様でした。
こうして、 七人とも跡継ぎを残しませんでした。
最後にその女も死にました。
復活の時、 彼らが復活すると、 その女はだれの妻になるのでしょうか。
七人ともその女を妻にしたのです。」
イエスは言われた。 「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、
そんな思い違いをしているのではないか。
死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、
神がモーセにどう言われたか 、読んだことがないのか。
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』 とあるではないか。
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。
あなたたちは大変な思い違いをしている。」』
マルコ福音書 12章18-27節
その昔。
旧約時代。
『兄が子どもを残さないで死んだ場合、弟は兄の跡継ぎを設けなければならない』
家が絶えることは重大問題でした。
そして。
新約時代。
サドカイ派の人々は、 『復活』 を信じませんでした。
そこで。 イエスを試すために尋ねたのです。
「兄弟7人共が同じ女性を妻にした場合・・・復活に矛盾が生じないか?」 と。
イエスは、的確に、サドカイ派の人々に答えます。
イエスは、『神にできないことはない』 との教えを
サドカイ派の人々に再認識させます。
『復活』とは、
『今までの命のよみがえり』 ではなく、
『新しい命』 を神から受けることです。
神が、死んだ人を愛して、彼らがずっと生きることを望まれた、ということです。
『新しい命』 に復活した人間は、
跡継ぎをつくるために結婚し、子どもを産む必要はないのです。
皆一人一人、そのままで、完全なのです。
『今日の祈願』
『すべてを治められる神よ、
殉教者は、聖体の秘跡に力づけられて苦難に打ち勝ちました。
わたしたちも困難にもひるまず、
信仰と愛をあかし知ることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人は神の『似姿』で、『愛』そのものなのです。どんな事態にも決して諦めることなく、
人の持つ、生命力と愛、を信じましょう。 お元気で!
素晴らしい生命力です。
庭の片隅の・・・ 『ドクダミの花』
素晴らしい生命力に拍手喝采
昨年は咲いていなかった所に、今年は可憐な姿で、群生している。 お見事です。
可憐なドクダミの花言葉・・・『白い追憶』 と 『野生』
『白い追憶』は、 転んだときにドクダミの葉を揉んで傷口に当ててもらったという、
母親との思い出を懐かしむことにちなんでいます。
『野生』は、 特別な手入れをしなくても元気に育っていく、
ドクダミの生命力の強さを表しているとされています。
Wikipediaより
人間もドクダミに負けてはいられませんね。
コロナ禍の襲来も、 人間が本来持つ『生命力』で、 勝利の日を迎えましょう。
今日はもう一つ。
素晴らしい生命力です。
ロスアンゼルスで・・・ 『平和な抗議』
我が家が購読する新聞記事
素晴らしい生命力に拍手喝采
一部で暴徒化した抗議デモの中、 遺族の望みに応えて、 平和的な抗議が目立ちました。
『兄は破壊など望んでいないはずです。
怒りや暴力に訴えるのではなく、とにかく平和に抗議をしてほしい。』
兄の死亡した現場付近で、悲しみをこらえながら、訴えた被害者の弟さん。
人間が本来持つ 『生命力』 と 『善意』 を信じましょう。
平和に解決できない問題はないはずです。
信じることができるのは人間だけができることです。
そして。
今日は6月3日。年間第九水曜日。
『聖カルロ・ルワンガと同志殉教者 記念日』
1885年~1887年。 ウガンダでは、キリスト教に反対したムワンガ王によって
多くのキリスト教徒が殺害された。
彼らの幾人かは、王の宮殿に仕えていた者や王の小姓であり、
その中でも熱心なカトリック信者であったカルロ・ルワンガと21人の仲間が
特に秀でていた。
彼らは、王の理不尽な要求を拒んだために、
ある者は剣で刺し殺され、ある者は火あぶりの刑に処せられた。
「毎日の読書」より
『今日の集会祈願』
『信じる者の力である神よ、
あなたは殉教者の血を、キリスト信者の糧としてくださいます。
聖カルロとその同志の殉教によって教会が力づけられ、
豊かな収穫をもたらすことができますように。』
そして。
『今日の福音 イエスの御言葉』
イエスも、イエスに反対する人に、
平和的に、言葉で、誤解を解いていきます。
『そのとき、
復活はないと言っているサドカイ派の人々が
イエスの所へ来て尋ねた。
「先生、 モーセはわたしたちのために書いています。
『ある人の兄が死に、 妻を後に残して子がない場合、
その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』 と。
ところで、 七人の兄弟がいました。
長男が妻を迎えましたが、 跡継ぎを残さないで死にました。
次男がその女を妻にしましたが、 跡継ぎを残さないで死に、
三男も同様でした。
こうして、 七人とも跡継ぎを残しませんでした。
最後にその女も死にました。
復活の時、 彼らが復活すると、 その女はだれの妻になるのでしょうか。
七人ともその女を妻にしたのです。」
イエスは言われた。 「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、
そんな思い違いをしているのではないか。
死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、
神がモーセにどう言われたか 、読んだことがないのか。
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』 とあるではないか。
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。
あなたたちは大変な思い違いをしている。」』
マルコ福音書 12章18-27節
その昔。
旧約時代。
『兄が子どもを残さないで死んだ場合、弟は兄の跡継ぎを設けなければならない』
家が絶えることは重大問題でした。
そして。
新約時代。
サドカイ派の人々は、 『復活』 を信じませんでした。
そこで。 イエスを試すために尋ねたのです。
「兄弟7人共が同じ女性を妻にした場合・・・復活に矛盾が生じないか?」 と。
イエスは、的確に、サドカイ派の人々に答えます。
イエスは、『神にできないことはない』 との教えを
サドカイ派の人々に再認識させます。
『復活』とは、
『今までの命のよみがえり』 ではなく、
『新しい命』 を神から受けることです。
神が、死んだ人を愛して、彼らがずっと生きることを望まれた、ということです。
『新しい命』 に復活した人間は、
跡継ぎをつくるために結婚し、子どもを産む必要はないのです。
皆一人一人、そのままで、完全なのです。
『今日の祈願』
『すべてを治められる神よ、
殉教者は、聖体の秘跡に力づけられて苦難に打ち勝ちました。
わたしたちも困難にもひるまず、
信仰と愛をあかし知ることができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人は神の『似姿』で、『愛』そのものなのです。どんな事態にも決して諦めることなく、
人の持つ、生命力と愛、を信じましょう。 お元気で!