1月20日。主日。
今日は近くの教会で・・・ 『聖体拝領』
『聖体拝領』とは・・・
『主の祈りとパンを裂いた後に行われる聖体拝領(コムニオ)で、
信者は「天からのパン」と「救いの杯」、すなわち
「世を生かすため」(ヨハネ6・51)にご自分を渡されたキリストのからだと血をいただきます。』
こちらは『知識』です。 『カトリック教会のカテキズム』より。
今日も、
司式司祭様の説教を聞き…しばらくの沈黙の後に、『御言葉』が腑に落ちます。
又。
司式司祭様から聖体をいただき…しばらくの沈黙の後に、
私の内で・・『知識』 と 『キリストの現存の信仰』がかみ合います。腑に落ちていきます。
「プロになって1年ほどたって
『やっと考えることと知識がかみ合い始めた』」
・・・と振り返る、27年ぶりに無冠となった将棋棋士・羽生善治九段の『言葉』です。
なるほど。納得です。
信仰においても、知識を学び そして 考え続けるとき、知識が受肉し始めるのです。
知識が信仰へと変貌していくのです
そして。
今日は年間第二主日。
イエスは最初のしるしを行う・・・『カナの婚姻』
新郎新婦の横に座るイエス様。
『今日の福音 イエスの最初の秘跡』
『そのとき、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、
母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
しかし、
母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。
イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、
『カナの婚宴』挿絵 ヒトゥダ写本 ドイツ・ヘッセン州立美術館
召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。
召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
それで、弟子たちはイエスを信じた。』
ヨハネ福音書 2章1-11節
この時まで・・・
イエスの弟子たちは、
『イエスは神の子』という『知識』 は持ってはいました。
しかし、
”イエスは本当はだれ?”と迷い、イエスを府に落として、信じることはできませんでした。
その時・・・
イエスは、
母の「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」という『信仰』を見聞きして、
『水を葡萄酒に変える』最初の『しるし』を行いました。
『あなたの信仰があなたを救った。』マルコ福音書5-34
ご自分の『栄光』を現されました。
『葡萄酒の最初の秘跡』を見て・・・
イエスの弟子たちは、
『やっと考えることと知識がかみ合い始め』て、
『イエスを信じ』・・・『知識』が受肉し『信仰』となったのです。
『知識』が、弟子たちの中で、腑に落ちたのです。
人は、『知識』を自分のものとして『受肉』させるには、
その『知識』を、深く学び、深く洞察し・・・自分の『考え』とかみ合わせていく過程が必要なのです。
『知識』と『考え』がかみ合う瞬間こそが、
”ああ!こういうことだったのね!”と府に落ちる瞬間で、学ぶ喜びで、学ぶ醍醐味ですよね。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
一つのことを極めていくとき、物事全体が見えてくる瞬間があります。生きている喜びの瞬間ですね。 お元気で!