goo blog サービス終了のお知らせ 

マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

アップルケーキ・・・『聖書通読会・聖書100週間』・・・モーセの半生

2019-01-01 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月1日。金曜日。『聖書通読会・聖書100週間』。

  頭を使った後・・・   『コーヒー・ブレイク』
  
  『yさん手作りアップルケーキ』  おいしい。
  穏やかな日差しに包まれて、ホッと一息です。
  今日は11人。2人の欠席。


今日の通読範囲は、出エジプト記1章~7章7節。『モーセの半生』です。
   
今日は、神に選ばれた『神のしもべの半生』、をご一緒に見てまいりましょう。


まずは。  『モーセの生い立ち』

『エジプトに下ったイスラエルの人々は子を産み、
  おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。
新しいエジプトの王は、国民に警告した。
「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。
 これから生まれる男児を殺害せよ。」』 出エジプト記 1章1-16節

そんな時。

『レビ人と結婚したレビ人の娘が結婚し、男の子を産んだが、
その子がかわいかったのを見て3か月の間隠したが、隠しきれなくなったので、
 籠を防水し、その中に男の子を入れ、ナイル川の葦の茂みの間に置いた。
 
 ファラオ(エジプト王)の王女は、葦の茂の間に籠を見つけ、取ってこさせた。
 そのとき、その子の姉が、王女に申し出た。
 「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んでまいりましょうか。」
その子の母親はその子を引き取って乳を飲ませ、大きくなると、王女のもとへ連れて行った。』
                 出エジプト記 2章1-10節


   モーセは、生まれる前から、神に選ばれていたということですね。
『殺せ!』の命令を逃れて、命令の発行者の娘に助けられるのです!めでたし!めでたし!

エジプト王の娘のもとに戻ったモーセは、
王宮で、高等学問を授けられ、知性と教養において優れた人となっていきました。
     
     それなりに幸せな40年間が流れました。


次に。   『40歳からの成人したモーセの姿』


『モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出ていき、彼らが重労働に服しているのを見た。
そして一人のエジプト人が同胞であるイスラエル人を打っているのを見た。
    モーセは周りを見回し、誰もいないのを確かめると、
 
      そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。』
              出エジプト記 2章11ー12節


  モーセは、王に追われる身となって、王宮を飛び出し、逃亡します。
40歳になった王子として育てられていたモーセは、すべてを失い、逃亡者の身となります。


預言者たちは、意に反して、すべてを失い、『荒れ野』に立つ経験が必要のようです。
   私たちも、人間として成長するには、『荒れ野』の経験が必要でなのす。

 

逃亡する
『モーセは、ファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、

    とある井戸の傍らに腰を下した。
さて、ミディアンの祭司の七人の娘がここへ来て、水をくみ、水ぶねを満たし、
父の羊に水を飲ませようとしたところへ、羊飼いの男たちが来て、娘たちを追い払った。
モーセは立ち上がって娘たちを救い、羊たちに水を飲ませてやった。

祭司は自分の娘ツッポラをモーセと結婚させ、娘は男の子・ゲールを産んだ。』
       出エジプト記 2章11-22節

  思いもかけない幸せが、逃亡者・モーセの訪れます。
幸せな40年間という年月が流れて、モーセは80歳になりました。


ここからです。
大転換です。


悠々自適の後世を送るはずの80歳のモーセは、神から召し出しを受けるのです。
    モーセは、いきなり、『神の召命』を受けてしまいました。

 

今日の最後。   『モーセの召命』


『モーセは、しゅうとミディアンの羊の群れを世話していました。
そんなある日。モーセは荒れ野に追っていき、

       神の山ホレブに来た。
    
そのとき、
柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。
   彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。
 
モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。」
   主はモーセが道をそれて見にくるのを御覧になった。
神は柴の間から声をかけられれ、、「モーセよ、モーセよ」と言われた。
彼が「はい」と答えると神は続けて言われた。

「わたしはあなたの神である。」 モーセは神を見ることを恐れて顔を覆った。

主は言われた。
「わたしはエジプトにいるわたしの民をエジプト人が圧迫する様を見た。
今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。
わが民イスラエルの人々をエジプトから救い出すのだ。」
               出エジプト記 3章1-10節


   モーセは、神さまと初めて、ホレブの山で、出会うのです。
   モーセは、実際に父なる神さまと、出会ったのです。
モーセは、罪ある者が清いお方・神を見ることを恐れ、顔を隠しました。

   モーセはいきなり、神の召命を受けてしまいました。
そして、モーセは、
「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、
しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さなければならないのですか。」3-11
       と、それを嫌がりました。

  『神の預言・神の僕』
神から選び出された人は、ほとんどの人が、嫌がって、最初は拒否します。
    エレミヤもヨナもそうです。
『神の選び』は、自分の意志とは関係なく、神から選ばれるということです。


やはり。

モーセと神さまは、色々のやり取りをします。
モーセは、「きっと無理だろうから、辞退させてください」と繰り返します。
神は、そんなモーセに、いろいろの奇跡を見せ、
「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそわたしがあなたを遣わすしるしである」と断言します。

更に。

『わたしはエジプトに手を下し、大いなる審判によって、
私の部隊、わたしの民イスラエルの人々をエジプトの国から導き出す。
わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中からイスラエルの人々を導き出すとき、
  エジプトの人々は、わたしが主であることを知るようになる。』
             と、モーセに申し渡します。


    『モーセと(モーセの預言者となった実兄の)アロンは、

         主が命じられたとおりに行った。
       モーセは八十歳、アロンは八十二歳であった。』
              出エジプト記 7章1-7節


    思い出すのは、映画・『十戒』です。
イスラエルの民を出発させたエジプトの王・ファラオが、最後に述べた『言葉』です。

 『Moses of God  what's God's truth。モーセの神こそ真実の神だ。』

 

   『神の僕・モーセ』
神から『あなたをファラオに対しては神の代わり』7-1 とすると言われたモーセ。
     
     モーセは、どんな人だったのでしょう?



  神様は、いつも、人を導くときに、御自分自らではなく、人を立てます。
   モーセを立て、究極は、イエス・キリストをお立てになりました。
     モーセは、神に選ばれた、民を導く、『牧者』です。


 モーセは、キリスト同様に、『愛』 と 『義』の人、だったのは確かです。
    同胞の苦しみを見てほってはおけない、『愛』の持ち主。
  理不尽な暴力を振るう圧制者への怒りの燃える、『義』の持ち主。
ミディアンの娘たちを、荒くれの男たちから救い出す、『愛』と『義』の持ち主。でした。

 

いよいよ。
  モーセとアロンのエジプト出発のところで、今日はおしまいです。
           長々と失礼申し上げました


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
旧約聖書は、人間の生きざまがそのまま描かれていた、おもしろいです。 お元気で!        


謹賀新年 そして 『羊飼いたちは、マリアとヨセフと飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」

2019-01-01 07:00:05 | 休日(GW。夏休み。冬休み。休暇。)

                 謹賀新年

  
  『2019年日の出』

             あけましておめでとうございます。
          新しい年が、恵みに満ちた一年となりますように。
             今年もよろしくお願い申し上げます。


そして。

今日は1月1日。   
            『神の母聖マリア 祭日』
      

          『光は、今日私たちの上に輝いた。
          一人のみどりごがわたしたちのために生まれた。
          ひとりの男の子が私たちに与えられた。

      その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の神、平和の君」と唱えられる。
            その平和は絶えることがない。』
            「今日の入祭唱」より。イザヤ署 9章1-5節
             

『今日の福音 救い主・イエスの誕生次第

         『そのとき、羊飼いたちは、急いで行って、
     マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

       八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。
         これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。』
                       ルカ福音書 2章16-21節

 

       すべては、神によって始まり、神によって完成します。
  『神はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めでであり、終わりである。』
                                     ヨハネ黙示録 22章13節


      『イエス』の名前は、『神はお救いになる』という意味です。
  イエスの『使命』は、この世に御降誕して、『神はお救いになる神』と、人々に教え伝えることです。

         神は、御ひとり子を聖霊によってマリアに宿らせて、
  おとめのほまれを保たせながら、永遠の光・イエス・キリスト」をこの世にお遣わしになられました。
      私たちは、『神の母聖マリアの祝日』に当たり、神を賛美しほめたたえます。  


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。

           改めて、皆さま、あけましておめでとうございます。
   
         日々の生活の中で見つける『小さな感動』、を綴ってまいります。
            また。
     『日々の典礼=日々の聖書』の気づきや感動を、皆様と分かち合いたいと思います。

    今年も、私のつたないブログをご訪問くださいますように、よろしくお願いいたします。