『アブラハムの子、イエスキリストの系図。
アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
・・・・・・・・・・・
アブラハム以来
14代・・そして14代・・そして14代目
42代目に
マリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。』
マタイ福音書 1章1~16節
『アブラハム』
イエスキリストの系図として遺こされている 最初の人
紀元前1975年頃誕生 約4000年前の人。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖。 「信仰の父」とも呼ばれる人。
ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された、 最初の預言者
木曜日・19日・10時~
夏休み前最後の、教会での勉強会でした。
『アブハムの生き方と信仰』 検証と考察でした。
創世記11章27節~12章の7節。 たったの13節の短い文章から 検証と考察。
金曜日・20日・朝5時半
車も自転車も人もない自動車道 Myバイクだけ。

最後の勉強会で忘れた本を、引き取りに 歩いて。。。 ではなく 走りました



6時:
「教会の門扉が開いているだろうか?」 開いていなかった
。 横の小さなドアから侵入。ほっ
「勉強室への建物の鍵は 閉まったままだろうか?」 閉まったままだった
。
司祭室で司祭は すでに 勉強中でした

。 司祭に頼んで鍵が開いた。ほっ
『アブハムの生き方と信仰』 の検証と考察。
アブラハムは 歩く人でした。
神の心を知ると・・神の心に従って 抵抗せず・・与えられた人生を 黙々と 歩く。
自転車にも乗らず。←その時代にはない。 ですが・・ともかく歩く。。。。。。
砂漠のような荒地を1000km。
父親と、父親の生地・ウルを離れ・・父親と一族郎党と家畜と共に・・ハランまで。 砂漠のような荒地を1000km。 歩く歩く歩く
父はハランの地で死亡。 その時アブラハムは、すでに 75歳。
『主はアブラハムに言われた。
「あなたの生まれ故郷 父の家を離れて 私が示す地に行きなさい。」』(12章1節)
『アブラハムは、主の言葉に従って旅立った。』(12章4節)
砂漠のような荒地を900km。
75歳のアブラハムは・・
主が言われると通りに
父の地・ハランを離れ・・一族郎党と家畜。 そして、『ハランで加わった人々と共に、カナン地方に向かって出発し、』(12章5節)
砂漠の中、大群の郎党を率いて・・
食べ物は? 疲れた! 眠い! と文句を聞きながら対処しながら・・他国の陣地を通り・・歩く歩く歩く
。
カナンの地まで900km。 『カナン地方に入った。』(12章5節)
目的地まで 長距離を走りきるには・・。まして 長距離を歩ききるには・・。
忍耐がいる。 途中 涙が出る

「”きつい”は避けようのない事実。”もう駄目”かどうかは本人の裁量にゆだねられている。」世界です。(←村上春樹の言葉)
克己心がいる。 途中 自己との戦いです。
”なぜ?” ”走り終えなくてはならない理由は?” 諦めずに走り終えた者だけが、『答』をつかむ。 確信する。
1900kmを歩きとおしたアブラハムも
"きつい!” "もう駄目!” ”なぜに?” を乗り越え・・
諦めずに、
『答』を得たはずです。 『神の答え』を確信したはずです。
『わたしたちは知っているのです。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちをあざむくことがありません。』
ローマの信徒への手紙 4章3&4&5節
アブラハムは 寡黙な人でした。
ともかく 神の言葉に 口をはさまない。
理解し難い神の言葉に、自分の疑問も質問も投げかけず、ともかく 従う。 忠実と誠実を果たす。
生きている間には・・
神の計らいに 疑問が出ます。 文句も言いたい。
そして
疑問を発し・・。文句を言う・・。 言葉は自分の心を表します。
自分の言葉は、神の言葉をかき消します。 自分が優先となります。
結果・・
神の計らいを、自分流に理解することになる。 自己放棄も神優先も 実現できない。 信仰が身につかない。
寡黙を通したアブラハムも
疑問があったはず。質問もあったはず。
しかし
自分の思いを思い巡らすのではなく・・。 神の思いを 寡黙のうちに 思いめぐらしました。
結果・・
神の思いを理解出来・・神への信仰 が身についていきました。
『英知ある人は沈黙を守る』
箴言 11章12節
アブラハムは 行動の人でした。
神の思いを知ると・・理解出来ないままに・・神の思いに沿って 動く人でした。
『カナン地方に向かって出発し、カナン地方に入った。』(12章5節)
『主はアブラハムに現れて言われた。「あなたの子孫にこの地を与える。」
『アブラハムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。』 (12章7説)
アブラハムの行動は、神への信仰心を表す行動でした。
『行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
行いによって、自分の信仰を見せましょう。』
ヤコブの手紙 2章17&18節
アブラハムも人も
神への信仰を揺るぎないものとするには・・
神の言葉に聞き従う。 神に、寡黙の内に、わが身をゆだねる。 沈黙のうちに行動する。
その行程で
神を理解し・・神の更なる祝福があり・・信仰心が育まれる。
以上。
私の、『アブハムの生き方と信仰』の検証と考察 の一部でした。 お粗末さまでした
。
皆さま!
今日も、周りの人びとと楽しいおしゃべりをしながら、楽しいい一日を!!
アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
・・・・・・・・・・・
アブラハム以来
14代・・そして14代・・そして14代目
42代目に
マリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。』
マタイ福音書 1章1~16節
『アブラハム』
イエスキリストの系図として遺こされている 最初の人
紀元前1975年頃誕生 約4000年前の人。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖。 「信仰の父」とも呼ばれる人。
ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された、 最初の預言者
木曜日・19日・10時~
夏休み前最後の、教会での勉強会でした。
『アブハムの生き方と信仰』 検証と考察でした。
創世記11章27節~12章の7節。 たったの13節の短い文章から 検証と考察。
金曜日・20日・朝5時半
車も自転車も人もない自動車道 Myバイクだけ。

最後の勉強会で忘れた本を、引き取りに 歩いて。。。 ではなく 走りました




6時:
「教会の門扉が開いているだろうか?」 開いていなかった


「勉強室への建物の鍵は 閉まったままだろうか?」 閉まったままだった

司祭室で司祭は すでに 勉強中でした




『アブハムの生き方と信仰』 の検証と考察。

神の心を知ると・・神の心に従って 抵抗せず・・与えられた人生を 黙々と 歩く。
自転車にも乗らず。←その時代にはない。 ですが・・ともかく歩く。。。。。。

父親と、父親の生地・ウルを離れ・・父親と一族郎党と家畜と共に・・ハランまで。 砂漠のような荒地を1000km。 歩く歩く歩く

父はハランの地で死亡。 その時アブラハムは、すでに 75歳。
『主はアブラハムに言われた。
「あなたの生まれ故郷 父の家を離れて 私が示す地に行きなさい。」』(12章1節)
『アブラハムは、主の言葉に従って旅立った。』(12章4節)

75歳のアブラハムは・・
主が言われると通りに
父の地・ハランを離れ・・一族郎党と家畜。 そして、『ハランで加わった人々と共に、カナン地方に向かって出発し、』(12章5節)
砂漠の中、大群の郎党を率いて・・
食べ物は? 疲れた! 眠い! と文句を聞きながら対処しながら・・他国の陣地を通り・・歩く歩く歩く

カナンの地まで900km。 『カナン地方に入った。』(12章5節)
目的地まで 長距離を走りきるには・・。まして 長距離を歩ききるには・・。



「”きつい”は避けようのない事実。”もう駄目”かどうかは本人の裁量にゆだねられている。」世界です。(←村上春樹の言葉)

”なぜ?” ”走り終えなくてはならない理由は?” 諦めずに走り終えた者だけが、『答』をつかむ。 確信する。
1900kmを歩きとおしたアブラハムも
"きつい!” "もう駄目!” ”なぜに?” を乗り越え・・
諦めずに、
『答』を得たはずです。 『神の答え』を確信したはずです。
『わたしたちは知っているのです。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちをあざむくことがありません。』
ローマの信徒への手紙 4章3&4&5節

ともかく 神の言葉に 口をはさまない。
理解し難い神の言葉に、自分の疑問も質問も投げかけず、ともかく 従う。 忠実と誠実を果たす。
生きている間には・・
神の計らいに 疑問が出ます。 文句も言いたい。
そして
疑問を発し・・。文句を言う・・。 言葉は自分の心を表します。
自分の言葉は、神の言葉をかき消します。 自分が優先となります。
結果・・
神の計らいを、自分流に理解することになる。 自己放棄も神優先も 実現できない。 信仰が身につかない。
寡黙を通したアブラハムも
疑問があったはず。質問もあったはず。
しかし
自分の思いを思い巡らすのではなく・・。 神の思いを 寡黙のうちに 思いめぐらしました。
結果・・
神の思いを理解出来・・神への信仰 が身についていきました。
『英知ある人は沈黙を守る』
箴言 11章12節

神の思いを知ると・・理解出来ないままに・・神の思いに沿って 動く人でした。


『アブラハムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。』 (12章7説)
アブラハムの行動は、神への信仰心を表す行動でした。
『行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
行いによって、自分の信仰を見せましょう。』
ヤコブの手紙 2章17&18節
アブラハムも人も
神への信仰を揺るぎないものとするには・・
神の言葉に聞き従う。 神に、寡黙の内に、わが身をゆだねる。 沈黙のうちに行動する。
その行程で
神を理解し・・神の更なる祝福があり・・信仰心が育まれる。
以上。
私の、『アブハムの生き方と信仰』の検証と考察 の一部でした。 お粗末さまでした

皆さま!
今日も、周りの人びとと楽しいおしゃべりをしながら、楽しいい一日を!!