今日の大学の哲学の勉強は、とても身近に感じることが出来ました。
デカルトは、「『徳は習慣である』というのは、正しいのです」 と述べます。
私達は、人として成長していくときに、人様に評価されたい言葉がありますよね。
「あの方は、徳のある方ね。」の言葉で評価されたいものです。
その徳とは何かと考えてみますに、言葉にしにくいものです。
そして、デカルトは、「徳とは習慣」だというのです。
人間の徳は、『つねに正しく判断する心構えをいつも持っていること』。
つねに正しく判断する心構えでいるためには、①真理の認識が出来ていること ②必要が起こった場合いつでも、真理の認識を思い出し、それに従うことができるようにする習慣、の二つが必要であります。
われわれは同一の事柄に絶えず注意していることはできないのでありますから、以前にある真理を確信するに至った理由がいかに明白なものであったにしても、もしその真理を、長いたびたびの考えめぐらすことによって、精神のうちに刻印し、それを習慣に化するのでないならば、のちになって、偽りの外見によって、その真理を信ずることからそらされるおそれがあるのです。
この意味において、『徳は習慣である』 というのは正しい、とデカルトは言います。
人が徳を磨くには、先ず 『真理の発見』 の重大作業をしなくてはなりません。
そして次に、『見つけた真理につねに従うために、習慣となるまで自分の中に真理を刻み込む』 努力をしなくてはなりません。
『徳』 が何であるのかが、デカルトの考えから良く分かりました。
大学の哲学の1学期の授業は、『真理の発見方法』を学んで来ました。
もうすぐ、大学も夏休み!
夏休みの間に、『真理の認識』 の重大作業をしっかりとしたいものです。
写真は、我が家に今年も美しく咲いた紫陽花の「ハイドランジア・アナベル」です。
毎年美しく咲き私たちを楽しませてくれる花々の命をつかさどるのは神であり、「神の存在こそは、真理である」としてはいけませんか?
デカルトは、「『徳は習慣である』というのは、正しいのです」 と述べます。
私達は、人として成長していくときに、人様に評価されたい言葉がありますよね。
「あの方は、徳のある方ね。」の言葉で評価されたいものです。

その徳とは何かと考えてみますに、言葉にしにくいものです。
そして、デカルトは、「徳とは習慣」だというのです。
人間の徳は、『つねに正しく判断する心構えをいつも持っていること』。
つねに正しく判断する心構えでいるためには、①真理の認識が出来ていること ②必要が起こった場合いつでも、真理の認識を思い出し、それに従うことができるようにする習慣、の二つが必要であります。
われわれは同一の事柄に絶えず注意していることはできないのでありますから、以前にある真理を確信するに至った理由がいかに明白なものであったにしても、もしその真理を、長いたびたびの考えめぐらすことによって、精神のうちに刻印し、それを習慣に化するのでないならば、のちになって、偽りの外見によって、その真理を信ずることからそらされるおそれがあるのです。
この意味において、『徳は習慣である』 というのは正しい、とデカルトは言います。
人が徳を磨くには、先ず 『真理の発見』 の重大作業をしなくてはなりません。
そして次に、『見つけた真理につねに従うために、習慣となるまで自分の中に真理を刻み込む』 努力をしなくてはなりません。
『徳』 が何であるのかが、デカルトの考えから良く分かりました。

大学の哲学の1学期の授業は、『真理の発見方法』を学んで来ました。
もうすぐ、大学も夏休み!
夏休みの間に、『真理の認識』 の重大作業をしっかりとしたいものです。

写真は、我が家に今年も美しく咲いた紫陽花の「ハイドランジア・アナベル」です。
毎年美しく咲き私たちを楽しませてくれる花々の命をつかさどるのは神であり、「神の存在こそは、真理である」としてはいけませんか?